第101話 外伝「月の花」2

 夏至祭のことだ。

 皇帝陛下の先祖たる太陽神を寿ぐ祭はよっぴいて行われ、七つの丘は祝祭の熱に彩られた。

 公式行事に参加する資格のないわたしは、黄金宮殿の自室に引きこもり不貞寝するつもりが、歓声や楽隊の音だけでなく、ひとのざわめく気配のあまりの猥雑さに落ち着きなく身体を起こした。

仕方なく髪をひとつに束ね、持っている服のなかでいちばん飾りの少ない薄青の上下をまとい、腰に細身の剣を穿いて部屋の外に出た。

 こうすれば、わたしの顔を知らないものにはただの貴族の子弟に見えるに違いない。

 平民でありながら、わたしは帯剣が許されていた。

 護身のために、けっこうな剣士にも手習いをつけられた。騎士ではないものの、そこそこは使えると自負していた。

 城門を開けているために、普段はこれほど奥まで入ってこられない下級貴族などが固まって廊下をそぞろ歩き、時にはあんぐりと口を開けて太陽神の御業を描いた壮麗な天井を見あげていた。

 わたしはそういう者たちを横目にして、一人で歩いた。供をつけるのは性に合わないだけでなく、自分が平民であると思い知るのには相応しいと感じて退けていたからだ。

 さすがに今日は無用心なせいか、衛兵がわたしの一人歩きをかるく見咎めた。

 わたしに指図するなど百年早いと恫喝をこめて一瞥すると、衛兵は背筋を正して何事もなかったかのように向き直った。

 そうして宮殿内のあちらこちらをあてどなく歩くうちに、露台でひとり、宴の熱気をさけるかのように街を見おろす人物を見つけた。

 ルネ・ド・ヴジョー伯爵であった。

 今宵の彼はいつも見かける式服姿ではなく、若やいだ緑色の上下を着ていた。黄金の胸飾りには小粒ながら色の美しいエメラルドが配されて、膝から下の長い、形のいい脛を同じ色のタイツにつつみ、生まれついての騎士らしく長剣を腰に吊るしていた。そのまま、この祭りの日だけ皇帝陛下のそば近くに控える特別な近侍であるといってもいいほどの出で立ちであった。あのしかつめらしい式服をまとうのをやめればいいと命じたくなったわたしは、自分にはそのような権限は何もないと考えて、何かひどく思いつめた様子のその横顔に声をかけた。

「騒がしいのは嫌いか?」

 彼はこちらを認め、皇族に対する礼をとろうとしたのを目顔でとめた。

 彼は女の顔を見るときのような、謙虚でありながら不躾ではない程度に賞賛のまじった瞳でわたしを眺めた。

 そういう顔で相手を見るのは宮廷人らしくないと伝えたほうがいいかと思いつつも、彼がわたしに気を許しているのだと感じてそれをやめた。

 この数ヶ月、大神官の気に入りとなった彼に対する嫉妬の入り混じった数々の羨望の噂こそあれ、田舎者らしい失策をやらかしたという風聞はひとつとしてなかったことを思い出したのだ。

 川風に頬をなぶられて顔をあげると、夏の宵に相応しい銀香梅の芳香が鼻先をかすめた。

 彼はわたしが花の香に気づいたのをたしかめるように露台のしたに視線をうつし、それから背の低い潅木の生垣へと顔をむけ、白い小さな花々を細めた瞳で見つめてから、月神の愛でたもう花ですね、と口にした。

 そうしてあらためて、頭をおこして質問にこたえた。

「騒がしいのは少々苦手です」

「わたしもだ」

 気心の知れたもの同士の笑みがうかんだ。

 けれどわたしは念のため、ひとこと言い添えた。

「されどそなたは太陽神を奉るものだ。たとえ今日の役目を終えたとはいえ、このようなところに隠れるようにしているのは感心できない振る舞いだな」

「それは……平にご容赦いただきたく」

 彼がなにか言いかけたのをわたしは察した。そして、先ほどまで彼が熱心に見つめていたほうを確かめた。

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