第56話 ヴジョー伯爵、騎士トマと馬に乗る

 若者はすなおに頷き、私のあとをついてきた。

 日はまだ西に落ちるには早く、城壁にうつる塔の影はぼんやりと引き伸ばされて歪み、斜めに傾いで並んでいた。

 煩いほどに鳴く烏の群れのほうを見やると、先週処刑されて塔に吊るされた夜盗の遺骸がひとつ、地面に腐り落ちていた。まかり間違えばああなっていてもおかしくはなかったのだと思うと、いつもはさして気にとめない腐臭がやけに鼻についた。

 オルフェ殿下は残虐な刑を好まれない方ではあるが、祝祭事の少なくなった今、処刑は大きな見世物だとよく心得ておいでだった。

 牢に送り込まれた後、ひとりしか監視をつけられず放り出された己をかえりみると、ずいぶんと信頼されているらしい。その証拠に、古神殿につないでおいた馬もちゃんと城へと連れてこられていた。

 馬丁たちの態度は敬意にあふれ、いつもどおり蹄鉄の泥まで丁寧に拭われていた。鬣に絹紐が結われて編みこまれていたのは、どうやら私が姫君をお迎えに行くことを知っているからと思われた。

 とすれば、私が牢に繋がれていたと知っているのは本当に一部の人間だけということになる。

「なにか変わったことは?」

 私は愛馬の首を撫でながら、馬丁長に尋ねた。

 長はきびきびとした足取りで近づき、まずは馬のほうを見て目じりをさげた。東の国から買い求めた馬は、他の馬より背が高く、ひときわ目立つ。

「古神殿と新神殿に頻繁に行き来があるくらいですかね。それから、かわいそうに、今朝飛び込んできた一頭は泡吹いてダメになっちまいましたね。戦でも始まるような顔つきでしたが……」

 そこでことばを濁したのは、私の顔色を読むためのようであった。

「いよいよですか?」

「いや、それは、私にもわからない」

「伯爵様はいっつも正直だ」

 毎度のことで大口を開けて笑われた。長とは初めて登城したときから付き合いだ。尻を押して鞍に乗せてもらったことさえあるのだから、こちらの頭が上がらない。

 戦の準備が始まっているのは、彼らには理解できている。馬具や馬鎧を新しくする貴族たちも増えているし、馬自体を買い求める動きがある。

 飼い葉を高くつみあげていた少年が、こちらを見つめながら耳をそばだてている気配がある。長が舌打ちし、気合をかけて目の前の仕事に戻らせた。

「この調子で落ち着かなくて困ってるんですよ。上つ方からはなんの沙汰もないしでね。始まるなら始まるで、都の外にいる家族をこっちに呼び寄せておきたいし、正直、おれたちゃ伯爵様だけが頼りなんでさあ」

 オルフェ殿下にお尋ねすればいいという言葉はのみこんだ。あの方が厩に来ることはめったにないのだ。長はこちらの心中を見透かしたように肩をそびやかして続けた。

「ろくろく狩もしないような次期御領主様に何ができるっていうんですか。そりゃあ確かに夢みてえにお綺麗だ。だが、姫様ならまだしも、男では役に立たんでしょう。よっぽど妹のエリス姫のほうが男らしいって噂ですよ。おれは見ちゃいないが、なんでも颯爽たる騎士ぶりだってことじゃないですか。馬上姿も様になってるって話だから、あの方に代わってもらっちゃいかがですかね」

「いい加減にしないか」

 私の一声にも、彼は怯まなかった。

「伯爵様、無礼は百も承知でさあね。おれたちだって無駄死にしたくはないって言ってるだけですよ。伯爵様が和平工作でモーリア王国のお姫様をお迎えするってはなしですが、おれは反対ですよ。さきの伯爵様が亡くなられたのは、いったい誰のせいだか思い出してください」

「父は、夜盗と戦って」

「実はモーリア王国の雇った傭兵だってはなしじゃないですか」

 彼のいうことは事実だ。

 父は今時の宮廷風の雅には疎かったが実直で、昔気質の騎士らしく礼儀正しいひとだった。騎士達を引き連れて幾日も野山を駆けずり回ってすごし、狩場を領民に開放することはなかったが獲れた獣は気前よく分け与え、異国の言葉には不自由したが計算は速く、裁判においては不正を見抜き厳しく処断した。

 私の今日があるのは、父お抱えの騎士達が健在で、領地を守ってくれているからだ。

「敵国の王女なんか娶るより、おれは、伯爵様にはエリス姫をお迎えしていただきたいですね。いまの公爵夫人は葬祭長であって大教母ではあられないし、黒髪に黒い瞳の《大教母》のおられないこの国は、なんだか按配が悪いですよ。《大教母》になられるには御子を設けないとならないっていうんだから、皇帝陛下の愛妾だったなんてこたあ、どうでもいいじゃないですか。なんにせよ、エリス姫はこのエリゼ公国に帰ってこられたんですよ」

 私はそれを聞いて笑ったようだ。反論するか納得されるものと予想していたらしい長は怪訝な顔つきで眉をひらいた。私は、その顔を見おろして軽く頭を揺すって続きを遮った。長は踏み込みすぎたと感じたのか、非礼を詫びて頭をさげた。

 エリス姫に関する情報はなさそうだと決まりをつけて、後ろで控えたままのトマを振り返った。

「あなたの騎馬は?」

「わたしは馬持ちの身分ではありませんので」

 その紅潮した頬に、自分の問いを恥じた。騎士身分といっても誰もが常時、馬を持てるわけではないことを忘れていたわけではない。しかしながら、話を切り上げたくてついかけた言葉が、彼の自尊心を傷つけたことに自分の迂闊さを恨む。

 場を察した長が先ほどの少年にあごをしゃくった。少年は奥へと駆け出し、すぐさま手綱をひいてやってきた。その髪の毛は馬の小便のためか、麦わらのような色をしていた。少年の瘰癧の残る腫れた喉許にトマも気がついたようだが表情をかえず、自分に用意された馬をじっと眺めた。

「お貸ししますよ。神殿騎士様ならご身分は確かだ」

 少年から強引に手綱を渡されたトマの横顔を見つめながら、長に心づけを渡そうとすると彼は頑として首をふった。

「どうせ遊ばせておいても走らせにゃなりませんから。伯爵様にあずければ、ここにいるときより拙い扱いはさせませんでしょう。

 それより、いざってときは知らせてください。城勤めのくせして情報が遅いなんざおかしな話だが、事実なんでね。最近みなさん口が堅くなってて不安なんですよ」

 私は苦笑でうなずき、それからトマへと顔をむけた。彼は深く謝意をしめして頭をさげた。これで道中馬一頭分の手間賃も増えたが、この笑顔のためなら惜しくはない。  

 自分の監視人に余計なことをしたとも思うが、エリス姫の「知己」であるなら粗略に扱っていい人物ではない。

 トマは城門をくぐりぬけた私に並ぼうとはせず、ぴたりと後ろにつけた。

 乗り馬をもっていないというわりに、たいそう乗りなれている。ひざが柔らかく、頭の高さが一定で、エミールなどから較べて格段に上手い。私より体重の軽い分、同程度の馬を用意して走らせれば彼のほうが楽々と先を行くと思えた。帝都では今でも馬術競技会など頻繁に行われるそうだから、出場経験があるのかもしれない。

 これなら曲がりくねった路地で速度をあげて駆けてもついてくるに違いないと拍車をいれると、はたして、後ろでは見せ鞭すらなく、すっと追い出してきた。洗練された騎乗に、自然とこちらの口の端があがる。

 こんなふうに乗れる騎士はそういない。

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