第49話 エリス姫、騎士団長の妹がかつての侍女と知る

「そなた、本当にオルフェが好きなのだな」

「好きでもない君主のために命をかけて働けますか?」

 真顔で返した男に、おれは首をふった。

 この男が傭兵という身分から、騎士団長へと這い上がったのはただオルフェのためだと知って、おれは自分が殺されようとしていることをいったん忘れた。

 だが。

「おれはだから国を出ようとしたのだがな」

「あなたがたとえ国外に出ようとも、オルフェ殿下のおこころは休まりませんし、ヴジョー伯爵は殿下をお恨みするでしょう」

「オルフェも伯爵も、それほど臆病でも狭量ではないと思うが」

「それはあなたがそう思いたいだけのことですよ」

「そんなことはない」

「エリス姫」

 男の大きな手が頬をつかみ、おれはびくりと肩をすくませた。

「あなたのように美しい女性に期待されれば、男は誰でもそのように振る舞います。俺だって、ミレーヌに嫌われたくはない」

「……兄がいるとは聞いたことがなかったが……」

「義父を殺して城を出ましたからね」

 眉を顰めたおれの顔に、なんのこともない様子で囁いた。

「ミレーヌは、実の父親と関係していました。俺はだから、あの男を殺した」

 息を止めたおれの頬から手をはなし、

「そんなに驚くことでもないでしょう。珍しいことでもない」

 おれは、声も出せずに相手の顔を見た。

「ミレーヌは、男に襲われたといいましたか?」

「……そうだ。髪は乱れ、服の破れた酷い格好で……必死で抵抗したからと……」

「金払いの悪い男だったんでしょう。俺が家を出てからあの娘は娼婦のような真似をして暮らしていたそうですから」

「そなた、実の妹をそのようにっ」

「おれはそれを悪いとは言いませんよ。食えなければ仕方ないでしょう。この広い城館から父親がいなくなり、母は死んで、血の繋がらない兄たちに虐げられて蔑ろにされては、他に生きていく術はない。あいつはそれが嫌でこの城から逃げ出して、あなたの侍女になった。持参金なぞもたしてもらえる身分じゃありませんでしたからね。

 たしかに、事件のほんとうのところは俺にもわかりません。その男は恐らく死んだのでしょうし、俺は、そのことをミレーヌに聞かなかった」

 おれがわけもわからず頭をふると、男は苦笑した。

「俺は、ミレーヌに、男のモノを切り落として恥じず皇帝と渡り合うあなたの気骨があればよかったと思うし、殿下にも似たようなことを感じるが、俺の好きなのは、どうしてか、誘惑に流される考えなしで行き当たりばったりのミレーヌであり、引っ込み思案で自信のないあの方なのですよ」

「そなたの妻は、どんな女なのだ」

 問いかけに、アラン・ゾイゼが口を噤んだ。

 おれは、その顔の前に白いレースのヴェールを掲げた。

「これは、そなたの妻のものではないか?」

 男の手はそれを受け取らなかったが、おれは、ここまで聞かされてはきっと殺されるものと何処かで覚悟しながら続けた。

「破いてしまってすまなかった。彼女に、マリー・ゾイゼにそういって返してほしい」

「名前を知って?」

「昔馴染みだ。知っている」

「何処で」

「古神殿だ。おれは、城で暮らすよりあそこで暮らした時間のほうが長いのだ。父親に似ず、声の細い、儚げな美しいひとで、おれはよく本を読んでもらった。エリーズと、おれの本名を呼ぶのはあのひとだけだ」

 その右手が布に伸ばされて、またおりた。

 躊躇いがあるのは、彼がまだ、おれをどうしようか迷っているからだと思った。

 おれだとてむざむざ殺されたくはないし、また、月の君の許にかえされるのは御免だった。もしもそんなことになったなら、今度こそ、おれは本当に足に枷を嵌められてしまうに違いない。奴隷のように暮らさなければならないなら、今ここで殺されたほうがましだ。

 いや、殺されたほうがといっても、捕らえられたモーリア王国の騎士どもに嬲り殺しにあうのは嫌だ。それに、あんなに戦をしたくないと願うオルフェ自らが戦のために立ち上がらなければならなくなる。

 生殺与奪権を相手に委ねたままいることに耐えられず、男の顔を仰いだ。

「して、おれをどうするか決まったのか?」

「命乞いをしないんですか」

 呆れ声で問われたが、おれは無駄なことはしない質なのだ。

「泣いて縋れば助かるというわけでもあるまい。金の件はせんに話したとおりだ。御伽噺の王様のように、そなたの望みを何でも叶えてやるといえるほど、おれは地位がない」

「なるほど。あなたはやはり、女にしておくのは惜しいおひとだ」

「だからどうした」

「ただそう思っただけですよ」

 それから騎士団長はまっすぐにおれを見て、こういった。

「エリス姫、あなたの望みはこの国を出て布教活動に勤しむことでよろしかったですね?」

「ああ」

「だが、なんの奇跡もなくば、人はあなたの教えを信じないでしょう」

 おれは口を結んだまま、自分を見おろす相手を見た。それは皮肉でもなんでもなく、ただ本当のことを述べているふうであった。

「俺も、奇跡なんざ信じちゃあいないんですが、だが、あなたにはそれを期待したい」

「何が言いたい」

「伝説の地下都市を、見つけてきてはいただけませんか?」

「あれは、そなたも知っての通り、ただの地下通路だぞ」

 男はそこでにやりと笑っておれを肩に担ぎ上げ、松明を持ってその部屋を出た。

 階段で落とされてはたまらないが、逃げられるのであれば、こんな好機はない。この大きな城の全域を見張るほど仲間がいるとは思えなかった。ところが、おれを支えるのは片腕だけだというのに、足で蹴ってもびくともしない。

「老婆心ながら、体力は温存しておいたほうがいいですぜ」

「おれをモーリア王国の騎士のところに送り込むつもりか」

「あんな男たちにくれてやるくらいなら、俺が貰いますよ」

「だが、そなたは鶏姦者であろう」

 その言葉ではじめて、男が足をとめた。

「……ずいぶんな罵り語をご存知ですね」

「そういう知り合いがいる。それに、そなたはここに来て一度もおれに欲情してない」

 そこで、おれの足が地についた。

「嫌な女だといわれませんか?」

「言われるよ」

 おれは乱れた髪を手で直し、その縮れた髪先の感触に癇をたてて頭をもたげた。

「おれを何処に連れていくつもりだ。地下都市なぞない。あれは伝説だ。そなた、おれに手を下すのが恐ろしいのだろう。何もかも有耶無耶にしてのうのうとエリゼの都に帰る気か?」

「俺の行く末を心配してくれるんですか?」

「おれが気になるのはそなたのそれではなく、オルフェと公国の未来だ。大砲がなくて勝てるのか?」

「戦争ですから、何があったからといって必ず勝てるものでもないでしょう」

 男はもっともなことを楽しげにこたえ、月明かりにおれの顔をしげしげと見た。そして。

「あなたを殺すのはたしかに惜しいと思ってますよ。たしかに、堅物のヴジョー伯爵が夢中になるのもわかる気がするくらい、魅力的で美しい。

 だからこそ、あなたに本当に神の恩寵がないのは信じられない」

「ないものはないのだから致し方ないだろう」

「あなたにそれがあるのだとすれば、俺は、オルフェ殿下の臆病も許せますし、あなたに臣従礼を誓ってもいい」

「神がいれば、おれたち人間はこれほど苦しまないと思わないのか?」

「では、何故あなたはそんな姿に生まれたのですか? 大教母は、たしかに人の死を言い当てたそうじゃあありませんか」

「それはあの方に医術の心得があったからだ。不思議でもなんでもない。時には苦しまずにすむようにと、ひとを死なせてやったこともある」

 おれはとうとう自制心をなくして言ってはならぬことを口にしていた。だが、目の前の男はそれに驚くことはなかった。

「知っています。マリーが教えてくれたのでね」

 おれたちはしばし互いに見つめ合った。

「……そなた、おれに、何をさせたい」

「『地下都市』の何処かに、不老不死の妙薬の湧く泉があると聞いている」

「そんなものはない」

「では何故、歴代皇帝はこの都に固執するのですか?」

「ここが北方の要衝だからに決まっておろう」

「ここが、女神の住まいだからですよ」

 辛抱強いといっていいほどの声で、彼が続けた。

「エリス姫、サルヴァトーレという男がここに来る本当の目的は、皇帝陛下からのご命令で不死の妙薬を探すためです」

「馬鹿をいうな。あの方は、そのような愚かしいものを信じてはおらん」

「それは、あなたがそれをお認めにならないだけのことだ。十数年前に数度、陛下はこの土地へ使節団を遣した」

「……真実か?」

「マリーが嘘をつくと?」

 おれは、マリーが夫である男に嘘をつくとは思えなかった。

 十数年前といえば、皇后陛下が病に倒れられたときとちょうど重なる。

 薬を欲しているのが誰か、おれには見当がつかなかった。

 否。

 おれは、それが皇帝陛下自身ではないかと想像した。

 いま、陛下が亡くなれば、モーリア王は血気に逸って南へ進軍するに違いない。

「そなたは、おれにそれを探して来いと命じるのか?」

「もし、それを見つけられるのだとすれば、それはあなただけにできることだと申し上げたつもりですよ。それに、たとえその妙薬があろうがなかろうが、あなたは俺の手に余る」

 それは事実上、おれを逃すという意味だ。もちろん、おれは地下通路の道は知っていたし、状況をかんがみれば下手に外を出歩くよりよほど安全だ。

「はじめから、そのつもりだったのか?」

 その質問には、男は頭をふった。

「俺は、女に手をかけるのは好かんのですよ」

 彼の母親がどのようにして死んだのか、おれは知っていた。

 なにも、不思議なことではない。

 おれは、おれが生まれてから今までの、エリゼの都に住む人間たちの「死亡記録」はすべて目にしている。貴族や有力商人、または大きな事件であれば、その内容も頭に押し込むよう鍛えられた。これがあればこそ、「葬祭長」と呼ばれるのだ。

 だから、彼はおそらく自らの身分を明かしただけで、おれがそれを知ったと理解している。

 彼の両親は揃って帝国貴族だった。仕事でこの地に訪れ、野盗に襲われた。母親は連れ去られてのち、川に浮かんだ。父親はその後この土地の貴族の娘と結婚したが、その妻の一族によって抹殺されている。彼がその謀略から生き残ることができたのは不思議だった。もしかすると、ミレーヌが匿ったのかもしれないと、おれは想像した。または、帝都に逃れていたのか、そのあたりは謎だ。

ミレーヌの母親は同族と再婚したが、すぐに亡くなる。権謀術数と裏切りの横行する貴族社会では、血族といえど安心してはいられないものだが、こちらは病没と記憶している。

 おれの目にすることのできるのは死の記録だけで、生きている人間のそれではない。

 その了解をのみこんで、男はおれの手に松明を握らした。

「約束してください。古神殿についたら、その足ですぐあの街を出ると。移動の手配は、マリーがすべて取り仕切ってあります」

「宰相は承知なのだな?」

「ええ。オルフェ殿下が帝国の姫君の暗殺計画をたてたとき、俺と宰相はそれをいったんは受け入れましたが、帝国の報復を恐れて遂行しませんでした。殿下自身も察しておいでのように、大砲も、姫君も、何もかもこの国とモーリア王国の交戦条件を適えさせるためだけのもので、この国に捨て駒になれと命じられているだけのことだ。

 宰相は、モーリア王国の王女付きの礼拝堂筆頭顧問でした」

「だが、彼女の側近に裏切られたのではなかったのか?」

「今度はあちらが兄君から裏切られたようで、実際のところは家臣団ともども引き連れて、この国に亡命したいというのが本音のようです」

「信じると?」

「信じちゃあいませんが、使わない手はないでしょう」

「宰相の努力は認める。モーリア王国の大臣たちとも和平工作が秘密裏に成っているのはわかる。だが、国王と結べなくば証拠にはなるまい」

「だからこそ、あなたに行っていただきたい」 

 おれは無言で相手の顔をみて、吐息をついた。

「それを早く言え」

「宰相に堂々と断りをいれたではありませんか」

「結婚しろなぞというからだ」

「行くも嫁ぐも生きて戻れるかどうかという意味では同じですよ。それに、オルフェ殿下がどうやっても首を縦に振りませんでしたからね」

「さんざん担いでおいて、表向きはオルフェを立てるのか?」

「言わせていただけば、あなたが現れるまでの殿下は何一つ失敗するような方じゃなかったんですよ」

 それは、おれにも想像ができた。オルフェは頭がいい。少なくとも、おれが想像できることくらいは幾らでも先回りできた。そうして、先回りしすぎて不安に陥るのだ。

「おれが行けば、戦争が止められるとでも思っているようだが」

「少なくとも、モーリア王はあなたに興味がある」

「皇帝のお下がりは要らないと言っておるのにか?」

「その言葉こそが何よりの証拠だ。モーリア王の欲するのは洗練された帝国の息吹です。それに、色仕掛けはお手の物ではないですか」

 誰が得意なものかと言い返そうとして、おれは、もっともなことばを選んだ。

「女一人を敵地へ差し向けてのうのうとするのは恥ではないか?」

 黒衣の騎士はおれの嘲りをまるで意にとめず、淡々とこたえた。

「あなたがそちらへ行っている間に、レントと共同戦線を結び、皇帝軍を呼びます」

「誰が」

「ヴジョー伯爵とその母上が」

 つまり、すべてはゾイゼ宰相閣下の筋書き通りというわけか。

 おれは肩を落として高笑いした。

「いいだろう。ただし、こちらからも条件を出す。女戦士の姫君アレクサンドラと彼女の護衛たちの安全をはかることだ」

「それはもう、十全に」

 その表情に、サンドラが、皇帝陛下のもっとも愛する孫であると周知なのだとわかった。

 ふと、死神トトの顔が思い浮かぶ。

「大砲は、どうするのだ?」

「金は、あなたが支払ってください」

「引き渡すか?」

「実はすでに強奪してあります」

「なにっ」

 騎士団長は不適に笑い、おれを見た。

「金は、国債を発行してでも補填できるが、あなたは代わりがきかない方だ。たかが大砲ごときでやすやすと他国にくれてやるつもりはないですよ。戦争で、人間以上に高くつくものはないんですよ。一見ひとの命は安いようですがね、一人前の兵士に育てるには金がいるし、死ねば遺族年金だって払わにゃならんしね。あなたのように、自分の命をかけて国を守ろうなんておひとは勿体無くて手をつけられませんよ」 

 言いたいことは山ほどあった。だが、おれには今現在の「戦争」がどのようなものか、正直なところ、わからなかった。いや、いくらでも知識はあったが、帝都でのそれと、この国のそれがまるで違っていることに眩暈がしそうだった。

 帝都にいたころ、「戦争」といえば、指定された広い平野で、国家の雇い入れた傭兵と傭兵がするものと思っていた。傭兵隊長は昔の騎士のように華々しく気障な男か、または吝嗇で金勘定にうるさい男か、そのどちらかしか知らなかった。

 おれは、いつの間にか「平時」であることになれきってしまったに違いない。

 非武装の人間が殺されていく事実を、おれは今一度自身に問うた。

 そんなことだけは、何があろうとも避けねばならない。

「……委細すべて了解した」

 おれが頷いたのを確かめたその顔にむけ、

「短剣を返せ。それから財布もだ」

「おや、ちゃんと覚えておいでですか」

「忘れるか。中身もきちんとあらためるぞ」

 男は苦笑しながら腰にさしていた短剣と吊るした財布を差し出した。実は、心配していたのはおれの紋章入りの指輪だった。万が一、悪用されてはたまらない。

 はたして、それらはきちんと手をつけられておらず、すべてそのままだった。刃毀れがないかを確かめる視線に、男は心底呆れたように漏らした。

「お姫様ってのはもっとおっとりしたものだと思っていましたがね」

「おっとりしていては、命が幾つあっても足らぬわ。そなたのような男にいいように騙されて売られ、国があっさり滅びるぞ」

「さいですね」

「吊り帯はどうした?」

「細かいですね」

「オルフェからもらったのだ、銀製だぞ。返せ」

 睨みつけると、男は悪びれない笑顔でこたえた。

「あれは、おれの手間賃として取りますよ」

「では貸しておく。あれはおれも気に入っている。おれが無事、この国に帰ってきたときに返せ」

 そう言って背をむけたその瞬間、おれの背後で男の苦痛の声があがった。

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