第12話 ヴジョー伯爵、女戦士の姫君アレクサンドラに脅迫される

「御用とあればこちらから馳せ参じましたものを」

 如才ないあいさつとはいえないが、私は一応、筋を通した。

「こっちの用だから、それはかまわない。それより伯爵、無腰で歩いて不安じゃない? じゃなきゃよっぽど腕に自信でもあるとか?」

 彼女の視線が腰におち、私は苦笑でそれを受け流した。

「そうではありません。この街で私を襲うものがあるとすれば、流れ者だけですよ。身構えれば身構えるほど、相手も緊張するものです。幸いなことに、この街に住む者であればみな私の顔を知っています。私は金銭も持ち歩いていませんし、指輪も何もしていない。私から奪えるものがあるとすれば、この命だけです」

 無論、小刀だけは男子の嗜みとして差していたが、それは貴族の男がもつものとはいえない日用品だ。

 私は街中で何かを欲しいと思い立てば、神殿のツケで払う。飲み物は葡萄酒を携帯しているし、潔斎のため予定にない外食はしない。物乞いや病人へ喜捨するのに不便だと思うことはあるが、その場合はこの神殿へ案内する。歩けないほど弱っているのであれば、担いで帰る。それだけのことだ。

「その命、あたしが欲しいといったらどうする?」

 姫君の両目を見据えて私はこたえた。

「取っておいきなさい。貴女に、取れるのであれば」

「大きく出たね」

「貴女は武器も持たない無抵抗の人間を殺せるようなひとではない」

 それを聞いたアレクサンドラ姫が艶やかに微笑んだ。

「あたしはね、エリスのためなら自分の手を汚すことくらい幾らでもできるよ」

 ひどく誇らしげな声で彼女は続けた。

「あたしはあなたとは違う。エリスのためなら何でもできる。あたしは、エリスがいたからあの宮廷で生きられた。だから、今度はあたしがエリスのために命を張る番だと思ってる」

「アレクサンドラ姫?」

「あたしはエリスのことを何でも知ってる。見ないようにしてきたあなたとは違う」

 そういって、若いむすめは高らかに笑った。

「伯爵は自分から何も選ぼうとしない。他人から与えられたものでしか、自分をはかれない臆病者だ。それに、ここにあなたがいるかぎり、エリスはこの街を離れない。だからあたしはあなたが邪魔でしかたない」

 支離滅裂な論理というわけではなかった。

 このむすめにとっては、エリス姫を帝都へ連れて帰るのが本当の目的なのだと知れた。

「貴女はなにか思い違いをされておいでです。私がいようがいまいが、あの方にはなんの関係もない」

「そうやって、どうしてエリスのことを無視するんだよっ」

 姫君の咆哮に、私は目を見開いた。

「エリスがかわいそうじゃないかっ。エリスは何もかも捨ててこの街に帰ってきたのに、この世でいちばんの贅沢も賞賛も、何もかもを捨ててきたのに、なんでここでも他人に利用されて、不幸じゃなきゃいけないんだよっ」

「それは……」

 私にも、わからなかった。

 彼女の目に涙があふれ、はらはらと零れ落ちた。

「ここでも、といいましたね」

 私の声に、アレクサンドラ姫が身体の力をぬいた。

「ああ。言ったよ」

 彼女は私の顔を見あげた。

「アレクサンドラ姫、あの方のことを教えてくださいますか?」

「それは断る。あたしはあんたが嫌いだ」

 彼女は涙を手の甲でぬぐい、鼻をすすった。

「だから剣を構えて尋常に勝負しろと言いたいところだけど、あいにく、伯爵の剣はエリスが持ってるんだよね」

 このむすめに取り上げられた剣は、では、あの方が預かっているということだ。

「菫の家で待つと、エリスが言ってた」

 そのことばを耳にした瞬間、何をおいても駆けつけねばならぬという想いの強さにしたたかに殴られた。それは私の胸倉をつかみ、引きずっていくような狂気じみた暴力だった。

 私はその妄想を払いのけようとかぶりをふり、今夜、神殿の炎を絶やさぬよう務めるのは私の番で、つまり外出は許されないのだと、頭のなかでくりかえす。

「ああ、伯爵は行けないんだ。いや、行かないんだね?」

 アレクサンドラ姫はそういうこちらの意をくんだ。

「そう……ですね」

「なんで?」

「今ほど宰相とオルフェ殿下に、モーリア国の王女との婚姻を受諾すると申し上げてきたところなのです」

 女戦士の姫君が首をかしげた。

「それで?」

「ですから……」

「ねえ伯爵、あなたの領地はこの国の約半分だって聞いたけど、ほんと?」

 いきなり話を変えられて、私は意識をたてなおした。

「それは誤解がありますね。この国においていちばん広い領土をもつのは神殿です。《死の女神》をまつる神殿のもつ領地がこの国の三分の一ほどを占め、残りを公爵家とわが家、いくつかの貴族が分けているといったほうが正しいでしょう」

「つまり、今までは公爵家がこの国でいちばん偉い祭司でいたから、この国の三分の二をぶんどっていたと」

 首肯すると、姫君は感慨深げにため息をついた。それからついと顔をあげて、

「じゃあさあ、神殿が伯爵に加担すれば、公爵家そのものだって潰せるってこと?」

「それはありえません」

「どうして?」

「公爵家こそが《死の女神》の血統だからです。

 皇帝が太陽神の末裔であるというように、いえ、それ以上の確信をもって、エリゼ公爵家の方々は《死の女神》の寵児なのですよ。

 そして、この国の基盤にあるのは《死の女神》への崇敬、いえ、畏怖の念です。公爵家に刃を向けて無事ですまされると思う人間は、少なくとも、この地にはいないように思います」

「それはでも、エリスさえ押さえとけばいいだけの話だよ。公爵家の面々が死のうが、エリスがいれば、問題ない。なんていっても、エリスは《死の女神の娘》なんだからさ」

 私は目の前のむすめの整った横顔に、質問をぶつけた。

「それが、皇帝陛下のご意向ですか?」

 彼女はちらりとこちらを見て、唇のはしにうっすらと微笑を浮かべた。

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