第31話 勝負前日


 翌日。

 明日は、カオルとシズクの真剣勝負。

 カオルは朝餉の準備をしている。

 

 マサヒデは庭の隅に、そっと結び文を置いておいた。

 

『カオル様の監視者の方々へ。


 既に聞いておられると思いますが、カオル様とシズク様の真剣の勝負を行います。

 明日夕刻、日没前。

 冒険者ギルド訓練場にて。


 カオル様の戦闘技術は既に合格と聞いております。

 されど、此度は手練れとの真剣の勝負。

 是非ともご覧になって頂きたく存じます。


 マサヒデ=トミヤス』


 縁側から、マツの声。


「マサヒデ様。朝餉の準備が整いました」


「ありがとうございます。すぐに行きます」


 マサヒデは縁側から上がり、膳の前に座った。


「おはようございまーす」


 あくびをしながら、シズクも席につく。

 

「シズクさん、おはようございます。

 少し、服の乱れを直して頂けると・・・」

 

「マツさん、食べたらすぐ着替えるよ。気にしないでよ」


「・・・その、胸元が見えてしまいますので・・・

 マサヒデ様の、目の毒に・・・」

 

「分かった分かった。恥じらいってね」


 ごそごそと寝巻きを整え、シズクも席につく。

 マツが手を合わせる。


「それでは、いただきます」


「いただきまーす」


 皆が箸を進める中、マサヒデは膳を前にして、厳しい顔をしている。

 

「あの、マサヒデ様? どうか?」


「ご主人様? こちら、苦手でしたでしょうか?」


「いや・・・」


 マサヒデの空気に、皆の箸が止まる。

 しばらく沈黙して、マサヒデは顔を上げた。

 

「カオルさん。シズクさん。明日の勝負ですけど」


「なに?」「はい」


「もし、時間内に相手を倒せなかった場合ですが・・・

 その時は、お二人共、クビにします。

 荷物番として付いてくることも、許しません」


「・・・」


「必ず、時間内に相手を倒して下さい。いいですね」


 マツががたん、と膳を揺らし、


「マサヒデ様。いくらなんでも」


「マツさん」


 マサヒデが厳しい顔を上げる。

 マツはマサヒデの顔を見て、言葉が続かなくなった。


「うん。いいよ」「はい」


 マサヒデが小さく頷く。


「よし。では、食べましょうか。いただきます」



----------



 朝食の後。

 食器を洗い、カオルは与えられた小さな部屋に入る。

 

「・・・」


 ことん。

 小さな壺を置く。

 割れやすいように、だが、動いた程度では割れてしまわないように。

 慎重に、薄く刻みを入れていく。


「・・・」


 細い紐で縛って、少し強く、とん! と机に置く。

 もう一度、手に取って確認する。


「・・・よし」


 同じような小さな壺をいくつか用意して、中に液体を入れ、懐に入れる。

 蓋を閉め、立ち上がり、小さな部屋の中を、ばばば! と動く。


 また、壺を懐から出し、もう一度確認。

 割れていないか。

 中身が滲み出ていないか。

 懐紙をそっと壺の表面に当てて、すーと撫でてみる。


「・・・」


 懐紙を見て、こくん、と頷き、壺をしまった。

 これが、カオルが考えた、シズクに対する手の『一つ目』だ。

 もうひとつ、稽古の後に思い付いた手がある。

 立ち上がって、カオルは部屋を出た。


「あら、カオルさん。お出かけ?」


「はい。買い物に。何か必要な物はございますか?」


 部屋の隅で、鉄棒を「ふんふふんふーん」と鼻歌を歌いながら磨いているシズク。

 シズクの準備はこれだけ・・・

 私はあれだけ念入りに・・・しかも、まだ準備も終わっていないのに。


「でしたら、椿油を買ってきてもらえます?

 クレールさんの準備が整い次第、マサヒデ様のご実家に挨拶に行きますし。

 カオルさんは、良い物を選んでくれますから」


「はい」


「何か甘い物が食べたいなあ。ねえ、皆で食べようよ」


「そうですね。じゃあ、カオルさん、何かお菓子もお願いします」


「承知致しました」


 カオルが出て行った所で、マサヒデは庭を眺めながら、朝方に文を置いた場所に、そっと行ってみた。

 『ご厚意に感謝致します』

 と、書かれた文が置いてあった。



----------



 午後。

 からから、と玄関を開ける音がした。

 

「ごめんください! ラディスラヴァ=ホルニコヴァです!」


「あら、ラディさんですね」


 マツが立ち上がる前に、す、とカオルが立ち上がり、玄関に行く。

 

「ホルニコヴァ様。ようこそいらっしゃいました」


 カオルが手を付いて頭を下げる。

 

「あの」


「カオル=サダマキでございます」


「え?」


 立ち上がり、ばさ! とメイド服を脱ぐと、冒険者姿のカオル。


「あ」


 ばさ! とメイド姿に戻る。


「・・・」


「普段はこの姿で、トミヤス家に仕えております。

 改めまして、ラディさん。ようこそ」


「あ、はい」


「して、本日はいかなご用件でしょう」


「あの、師匠・・・マツ様はご在宅でしょうか」


「はい。おられます」


「お時間があれば、魔術を、と」


「聞いて参ります。少々お待ち下さい」


「はい」


 すー、とカオルが奥に消えて行く。


「・・・」


 ラディも初めて見る忍に驚いた。



----------



「奥方様、ラディさんが来られました」


「あら。ラディさんが?」


「はい。お時間があれば魔術を、と」


「是非、入ってもらって下さい。こちらへお通ししてもらえますか」


「はい」


 少しして、カオルとラディが来る。

 ラディは廊下で頭を下げ、


「師匠! お時間頂き、ありがとうございます!」


 と、びし! っと頭を下げた。


「あら、師匠だなんて。ふふ、嬉しい。

 でも、そんな堅苦しくならず、マツとお呼び下さいね」


「は!」


「さ、こちらへ」


「は!」


 ラディは頭を上げ、部屋に入ろうとして、鴨居にごん! と頭をぶつけた。


「あいた」


 思わず、マツとシズクが笑ってしまう。


「くす」


「あはははは!」


 ぶつけた額を押さえもせず、ぴし! と背中を伸ばして入る。

 マツの前に綺麗に背を伸ばして正座するラディ。

 頭をぶつけたせいか、綺麗な姿勢が余計におかしく見える。


「ぷ・・・んふ、んふふふ」


 シズクが口を押さえて笑いをこらえる。

 ラディはマツに目を向けたまま、


「こちらの方は・・・私と同じく、生徒の・・・」


「いえ。シズクさんです」


「シズク・・・こちらが、明日の勝負の・・・」


「そういえば、ラディさんは、初めてお会いになるんでしたね」


「はい」


「シズクさん。こちらが治癒師のラディさんです」


「よろしく! 明日は、カオルの治癒、よろしくな!」


 ぴく、とカオルの眉が動く。


「シズク様も、お怪我には! じゅ~~ぶん! に! お気を付けて下さいませ」


 口調とは裏腹に、顔は能面のように表情がない。

 ぴく、とにこにこしていたシズクの笑顔が止まる。


「ふーん・・・言うじゃないか」


「・・・」


 部屋に冷たい沈黙。

 ごくり、と喉を鳴らすラディ。

 マツはその雰囲気に全く構わず、


「さ、ラディさん。縁側にどうぞ。

 あの魔術、もう書類にまとめておきました。ちょっと待ってて下さいね」


「はい」


 とたた、とマツは軽く奥に走って行き、数枚の閉じた紙を持ってきた。

 

「カオルさん、何でも良いので、お皿を一枚お願いします」


「かしこまりました」


「さ、ラディさん。ここに足を降ろして」


「は」


 2人は縁側に腰掛ける。


「どうぞ、お読み下さい。

 これ、私の独自の魔術ですので、どうしても感覚的な所が多くて・・・

 あまり上手く説明が書けなかったんですけど」


「は。ありがとうございます」


 ラディはぱらり、と紙をめくって、何度も読み返している。


「奥方様。皿をお持ちしました」


「ありがとうございます」


 興味深げにシズクが顔を覗かせるが・・・

 

「・・・ううん・・・さっぱりだ・・・」


「シズク様にご理解は無理では?」


「・・・何が言いたい?」


「あ、これは失礼致しました。声が小さかったでしょうか。

 シズク様の! 頭では! ご理解は! 無理ではございませんか!」


「ほーう・・・ふふーん・・・煽るじゃん・・・」

 

 カオルの大声に驚いて、ラディが顔を上げる。

 マツは2人に構わず、

 

「さあ、ラディさん。試してみましょう」


 と言って、皿を庭石に投げつけた。

 ぱりん! と音が鳴り、皿が砕け散る。

 皿の割れる音に驚き、はっと皿を見つめるラディ。

 

「集中して、魔力を感じてもらえますか。

 ほら、こんな感じにですね、薄い水を流しつつ、戻しつつ、というか・・・」


 空気を全く気にせず「こんな風に」とラディに声を掛けるマツ。

 背中にぎりぎりとした殺気を感じ、額に汗を垂らしながら皿を見つめるラディ。

 すーっと皿が戻っていく。


 その後ろで、額に青筋を立ててカオルを睨むシズク。

 シズクを無視して、茶を淹れるカオル。

 明日は、このカオルとシズクの真剣勝負だ。

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