第10話 貴族の世界・2
帰るとちょうど昼時。
「マサヒデ様、今日は昼は抜いておきましょう」
「え、飯抜きですか? 私、何かしましたか?」
「いえ、レイシクランの方々って、ものすごく食べるんです。一緒にお食事するんですから、お腹は完全に空かせておいた方が良いです」
「ああ、確かそんな話でしたね」
「多分、それでも追いつけないと思いますけど、少しは合せませんと。まあ、あちらはご承知かと思いますが」
「そんなにですか? 彼女、私より全然小さかったですけど・・・」
ふふ、マツは笑いながら、
「きっと、マサヒデ様も驚きますよ。身体全体が胃袋なんじゃないかってくらい食べます。でも、折角素晴らしいレストランでお食事出来るんです。お腹は空かせておきましょう」
「私は実際に見たことはありませんが、おそらく体質のせいでしょうね。怖ろしく消化が早いのだと思いますよ」
「へえ・・・そんなにですか」
「さあ、次は紋服の確認ですね。一度、袖を通してみましょう」
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奥の間に入り、昨晩2人が用意してくれた紋服を着てみる。
ぴったりだ。
「マサヒデ様。素敵です」
「お二人共、さすがですね。まるで、仕立て屋に揃えてもらったようです」
「良かった。先程も言いましたけど、すごい量を食べると思いますから、帯は少し緩めで行きましょう」
「はい」
「ご主人様、紋はこれで間違いありませんね?」
「はい。大丈夫です」
「よーし! では、私のドレスですよ!
うふふ、絶対にマサヒデ様を驚かせてみせますよ!」
「ははは。マツさん、あまりに美しくて、ご令嬢が目に入らない、なんてことはやめて下さいよ」
「その勢いで行きますから!」
「楽しみにしてますよ」
「ではご主人様、今のうちに冒険者ギルドで湯など借りてきては」
「あ、そうでした。朝稽古の後、湯を借りてませんでした」
「それではご主人様、ごゆっくりなさってきて下さいませ」
「行ってきます」
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ギルドで湯を借りたマサヒデは、念入りに身体を洗い、湯船に浸かった。
「ふーう・・・」
あと数時間で、ご令嬢と対面だ。
一応、自分は礼儀作法は全然だから、と先に謝りを入れておこう。
アルマダも立会人として来てくれると言っていた。
貴族のアルマダと、王族のマツ。心強い立会人だ。
・・・自分1人だけ作法の知らない男・・・
逆に目立ってしまうだろうか・・・
「・・・」
彼女は長寿な一族だ。
マツほどではないというが、おそらく50はとっくに超えているだろう。
自分は・・・
マツは、この程度の覚悟も出来ないような者は許さない、と言っていた。
もう、彼女もとっくに覚悟は出来ているかもしれない。
しかし、実際に側で見ているとどうだろう・・・
どうしても考えてしまう。
ばしゃ! と顔に水を掛けた。
いや! もう、考えても仕方がない!
彼女が受け入れてくれるなら、全力で幸せにするまで!
ざ! と湯船から勢いよく立ち上がり、マサヒデは湯から出た。
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さっぱりした身体で、マツの家に戻る。
からからから。
「只今戻りました」
「ご主人様。おかえりなさいませ。さあ、マツ様がお待ちです」
「待っている?」
そういえば、いつもなら手を着いて迎えてくれるマツがいない。
「さあ、どうぞ。驚きますよ」
カオルはにやにやしている。
縁側の部屋で、白いドレスを着たマツが立って待っていた。
派手すぎず、控えめすぎず。
ヘッドドレスは控えめな、金に黒い宝石。
耳にも、黒い石のイヤリングをしている。
首の大きな黒い石がはまったペンダントが、少し目立つ。
ちょん、とスカートの端を持って、マツが頭を下げる。
「うふふ。マサヒデ様。いかがですか」
「すごい」
素直にすごい、という言葉が出た。
普段は和装だから、全くイメージが違う。
いかにも『姫』な服装だ。
「・・・おお・・・やっぱりマツさんて、姫なんですね・・・」
「あら。普段は姫になんか見えないって仰りたいんですか?
ご令嬢より目立ってはいけませんから、これでも、地味にしたんですよ」
「はあー・・・」
「ちょっとペンダントが浮いちゃいますけど・・・
これは、どうしても付けておかないといけない物でして」
「礼装の一部みたいなものですか?」
「まあ、そんな感じです」
「ご主人様、奥方様はいかがですか?」
「いや、これは見違えました。素晴らしいです」
「ご満足頂けました?」
「ええ。本当に、ご令嬢が目に入らなくなりそうですね」
「まあ。お上手ですこと。さあ、マサヒデ様もそろそろ着替えましょう」
「そうですね」
マサヒデも奥の間で着替える。
ささっと着替えて、帯は緩めに。
上着は出る直前で良いだろう。
「それでは、ご主人様、奥方様。何もないとは思いますが、一度会場の方を見回って参ります。終わり次第、戻ります」
「え」
「では」
カオルが「ばさっ!」と服を脱ぎ捨てると、地味な薄い緑色のドレス姿になった。
声をかける前に、そのまま、さー、と音も立てずに駆けて行ってしまった。
「・・・あっ」
ここから、あの格好で走って行くのか?
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日が少し傾いてきた頃、アルマダも到着した。
「失礼致します。ハワードです」
マツはドレスを着ているので、代わりにマサヒデが出て行った。
「アル・・・」
戸を開けると、見たことのないアルマダがいた。
灰色に少し銀が混ざったような色のベストを着て、首にタイを巻いている。
同じような色の上着を小脇に抱えている。
履いている靴も綺麗に磨かれて、日の光を反射している。
整えられた綺麗な金髪、洗練された服、磨かれた靴。
頭から足先までが日の光を照り返し、アルマダが光り輝いて見える・・・
「・・・」
「マサヒデさん。本日は立会人としてお招き頂き、ありがとうございます」
「はい・・・」
「マツさんの準備は、もうお済みですか?」
「あ、ええ、済んでます」
「さぞやお美しいことでしょうね。楽しみです。では・・・」
「・・・」
アルマダはさっさと中に入って行ってしまった。
「おお! マツ様! これは・・・これはお美しい!」
中からアルマダの声が聞こえる。
(完全に負けている)
ぼーっと玄関に立ち、少しして、マサヒデの心にもくもくと不安が広がってきた。
(これは、大丈夫なのか・・・?)
このままでは、自分は完全に埋もれてしまわないだろうか・・・
綺羅びやかな3人がにこにこと喋る中、ひとりでぽつんと食事をつまむ自分の姿が目に浮かぶ。
「いやあ、素晴らしいですね・・・」
「まあ、ハワード様・・・」
2人の会話が、遠く聞こえる。
からからー・・・と、そっと玄関の戸を閉め、マサヒデは輝く2人のいる部屋に、恐る恐る入って座る。
2人の会話は全く耳に入らず、「ええ」とか「はい」とか生返事をしていると、外にがらがらと音がした。
「あ、馬車が来ましたね」
「え? 馬車?」
「はい。私が手配しておきました」
「馬車ですか? ホテルはこの町にあるんでしょう?」
「マサヒデさん・・・」「マサヒデ様・・・」
2人の目が冷たく刺さる。
「な、なんですか?」
「マサヒデさん。マツ様をこの格好で歩かせたり、馬に乗せたりするつもりだったんですか?」
「あ! たしかに・・・その通りです」
アルマダは額に手を当てて、軽く首を振った。
「ふう・・・マサヒデさん。そのくらいの気は回せるようになりませんと・・・これは身分云々は関係ありませんよ。当然のことです。まあ、今回はいきなりでお忙しかったでしょうし、失念してしまったのも仕方ありませんけど」
「はい・・・」
「急ぎでしたので、マツ様にはとてもご満足頂けるとは思いませんが・・・
本当に申し訳ありませんが、今回だけはお許し願えますか」
「そんな、ハワード様。わざわざご用意して下さいましたのに、文句などありませんよ」
「今のマツ様の姿を見たら、気が引けてしまいますよ。まるで王宮騎士をロバに乗せるようなものです」
「まあ、お上手ですこと。ハワード様も、お口がお達者なんですね」
「ははは! マサヒデさんには勝てませんよ!」
「うふふ」
「ははは」
「・・・」
完全に置いてけぼりだ。
(カオルさん、早く帰ってきて下さい・・・)
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