一人の夜 1

「フィリエル、その、すまないんだが……、明日からしばらくの間、別々の部屋で眠らないか?」


 リオンが申し訳なさそうな顔でそう言ってきたのは、彼の生誕祭が二週間後に迫った日のことだった。


「え……?」


 すでにベッドにもぐりこんでいたフィリエルは、目を見開いてベッドの上に上体を起こす。

 リオンが何やら慌てた様子でフィリエルの肩にガウンをかけた。


「陛下、あの、つまり、明日からここに来なくていいと、そういうことですか?」

「あ、ああうんそうなんだが、とりあえずガウンに袖を通してくれないか」

「は、はい……」


 別々で寝ることとガウンに何の因果関係があるのかはわからないが、袖を通せと言われたので素直に従う。

 のろのろとガウンに袖を通して、きゅっと合わせを胸の前で握りしめ、フィリエルは視線を落とした。

 ドッドッドッと鼓動が速くなってくる。


(えっと、わたし……何かした?)


 頭のてっぺんから血の気が引いて、うつむいたまま顔を上げられないでいると、隣にもぐりこんだリオンが遠慮がちにフィリエルの頬に手を添えた。


「フィリエル?」


 そっと顔を上向かされた途端に、ぽろっと目から何かが零れ落ちる。

 リオンがぎょっとした。


「フィリエル⁉」

「あ……」


 何かが落ちたと思ったものは、涙だったらしい。

 ぱたぱたと目じりからあふれだした涙が、シーツの上に落ちる。

 リオンが狼狽えたようにおろおろして、フィリエルをぎゅっと抱き寄せた。


「な、なんで泣く⁉」


 ぎこちない手つきで頭が撫でられる。

 その慌てぶりに、どうやら嫌われたわけではなさそうだと、フィリエルはほっと息を吐いた。


「す、すみません、ええっと、その、びっくりして……」


 ぱちぱちと目をしばたたいて涙を止めると、リオンが涙の痕を拭ってくれる。

 フィリエルは大きく深呼吸をすると、勇気を出して、別々に寝る理由を訊ねることにした。


「あ、あの……、しばらく別々に寝るって、その、どうしてですか……?」

「あー……」


 リオンは天井を仰いでから、言いにくそうに言う。


「ええっと、生誕祭までに、顔色を何とかしろと言われてな」

「顔色……」


 リオンは相変わらず目の下に濃い隈を作っていて、とっても疲れた顔をしている。

 しかし、それとフィリエルと別々に寝ることの何に意味が――


(まさか、わたし、寝言とかうるさい⁉ 寝相が悪いとか⁉)


 さーっとフィリエルは青ざめた。

 もしかしなくともリオンの隈の原因は、フィリエルの寝言とか寝相の悪さだったりするのだろうか。


「す、す、すみません、わたし、ええっと……」

「いや、フィリエルが悪いわけじゃないんだ! 俺の精神力の問題で……」

(精神力⁉)


 つまりは強い精神力を要されるほどフィリエルの寝相は最悪なのだろうか。


(もしかして歯ぎしりとかもしてるの⁉ いびきとか⁉)


 恥ずかしさのあまり再び涙が盛り上がってくると、リオンが慌ててまたぎゅうっとフィリエルを抱きしめる。


「な、泣かないでくれ! 生誕祭までだ! 生誕祭が終われば問題ないから!」


 いや、生誕祭が終わっても問題だろう。生誕祭を乗り切ればリオンの安眠妨害をしていいという理由にはならない。


(陛下といちゃいちゃとか、それ以前の問題だったわ……!)


 どうしよう。どうしたらいいのだろう。寝言とか寝相とか歯ぎしりとかいびきとか、これらはどうやったら改善するのか。寝ている本人は気づいていないのだから改善する方法がわからない。


(助けてヴェリアー‼)


 こんな恥ずかしい相談ができるのはヴェリア以外にいない。

 明日、すぐに相談に行かなくては。


「わ、わたし、部屋に……」


 明日からという問題ではない。今夜から一緒に寝ない方がいいに決まっている。

 部屋に戻ろうと、フィリエルはリオンの胸をそっと押した。けれどもリオンの手の力は緩まずに、何やら慌てふためきはじめる。


「あ、明日からでいいんだ! 俺のいい方が悪かった! とにかく、生誕祭が乗り切れればそれでいいから、な、泣くな……!」

「でも……」

「いいんだ。さ、寝よう。な?」


 リオンがフィリエルを抱きしめたまま横になる。

 腕の力が強いが、もしかしてこれは、抱きしめることでフィリエルの寝相の悪さを何とかしようとしているのではなかろうか。


(は、恥ずかしい……)


 リオンがぽんぽんとガウン越しに背中を叩いてくれる。


「おやすみ、フィリエル」

「……おやすみなさい、陛下」


 リオンに挨拶を返しながら、フィリエルは、今夜は眠れないかもしれないと思った。





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