新たな火種 2
「おはようございます、陛下」
「ああ、おはよう……」
目の下にくっきりと隈を作ったリオンが、ぼんやりした声で返事をした。
(何故かしら、日に日に陛下がやつれていくような……。仕事、忙しいのかしらね?)
コルティア国はそろそろ初冬に入る。パーティーの開催も増え、社交界が華やぐ季節である。
今のところ、国王夫妻が出席しなければならないパーティーはないようだが、招待状は日々届いているようだ。
(陛下、もともとああいった場は好きじゃないから、開催者がよほどの人でない限り断るものね)
国王が出席すると箔がつくので、貴族たちはダメもとで招待状を送ってくるのだが、伯爵家以下のパーティーにリオンが参加したためしはない。
侯爵家の誘いも、八割がた断っているくらいだ。
(でも、社交、かあ……)
これまでフィリエルはお飾りの王妃だったので、社交もそれほど行っていなかった。
パーティー以外にも、女性にはお茶会という社交の場があるのだが、フィリエルにはあまり招待状は届かなかったし、主催しても来てくれるかわからなくて怖かったので一度も開いたことがない。
しかしリオンも心を開いてくれたし、夫婦として日々成長しているはずなので、フィリエルも王妃としてきちんと社交を頑張らねばならないかもしれない。
もぞもぞとベッドから起き出し、上にガウンを羽織った。
どうでもいいがこの夜着は透けすぎると思う。
女官長は「これが普通です」と言っていたが、世の中の既婚女性はみんなこのような心もとない夜着を着ているのだろうか。
(まあでも……、陛下も平然としてたし、普通なのかしらね)
これを着せられた時はものすごく恥ずかしかったが、リオンが平然としていたせいで、逆に恥ずかしがっている自分が自意識過剰なようで恥ずかしくなった。
猫のときも、一応毛でおおわれていたけどあれはあれで裸みたいなものだったので、必死に「あの時と変わらない」と言い聞かせて心を落ち着けているが、さすがに上に何も羽織らないまま向き合えない。
きゅっとガウンの紐を結ぶと、リオンもベッドから抜け出して上にガウンを羽織った。彼は彼で、上半身裸で眠る癖がある。
冬に差し掛かり、朝晩が冷えるようになったので、フィリエルはメイドを呼んで暖炉に火をつけてもらった。
本当なら、主人が起き出す前にメイドや侍女が暖炉に火を入れるものなのだが、リオンは相変わらず無断で部屋の中に入られることを嫌うので、呼ばれるまで誰も入ってこないのである。
暖炉に火をつけたメイドが一緒に温かいお茶を用意してくれて、一時間後に朝食を運んでくると告げて部屋を出て行った。
(陛下もそろそろ、ご自分の侍女を置けばいいのに)
リオンには侍従はいるが侍女はいない。侍従と侍女では役割が違うので、着替えのときとか、侍女を置いた方がいいと思うのだが、本人は気が進まないという。
(なれなれしいのは嫌いだって言ってたけど、前に何かあったのかしらね?)
本人が嫌がっている以上、フィリエルが強引に侍女を持つことを勧めることはできない。
「陛下、着替え手伝います」
「ありがとう」
袖のボタンが留めにくそうだったので手を貸して、フィリエルは自分も着替えるために一度リオンの部屋を辞した。
王妃の部屋は、リオンの部屋から少し歩く。
フィリエルが外に出ると、当たり前のようにリオンの部屋の扉を守っていた兵士の一人が一緒についてきてくれた。
分厚いガウンを羽織っているが、この姿で歩くのは少し恥ずかしい。
一夫多妻制の国では後宮があるところもあるらしいが、コルティア国には後宮は存在しない。
昔から、国王に呼ばれた妻が王の寝室を訪れるのが習わしのようで、その際は今のフィリエルのようにガウン姿で部屋に向かうというので、コルティア国ではこれが当たり前なのだが、ガウンの下の自分の格好を考えると落ち着かなかった。
王妃の部屋に到着すると、部屋の中で支度を整えて待っていてくれた侍女のポリーが顔を出して、「あーっ」と声を上げた。
「またお一人で戻って来たんですか? 呼びつけてくださいって言ってるじゃないですか!」
「ポリーたちも朝は忙しいだろうし、この時間はあんまり人がいないから……」
「そういう問題じゃないんです!」
「ポリー、そんな口調で話すとまた女官長に怒られるわよ」
部屋の中から別の侍女が苦笑する。
彼女たちはメイドから侍女に昇格されて、目下、侍女にふさわしい教養を身に着けている最中なのだ。教育係の女官長は、なかなか怖いらしい。
ポリーが「やばっ」と首をすくめて、廊下に頭を出すと、きょろきょろと左右を確認した。
「よかった、いない。さ、王妃様。早く中へ!」
鬼のいぬ間に、というつぶやきが聞こえてきて、フィリエルは苦笑した。
部屋の中はすでに暖炉が焚かれていて、ぽかぽかと温かい。
「それで、昨夜はどうでしたか?」
ポリーが、きらきらと瞳を輝かせて訊ねてくる。
「どう、って?」
「ですから、ついに……、ついに、はあったんですか⁉」
「いつも通りよ」
答えると、ポリーががっくりとその場に膝をついた。そこまで絶望するようなことだろうか。
「まだですか⁉ こんなに透けてるのに⁉ 陛下は実は女性ですか⁉」
「失礼なことを言わないの。陛下は男性よ」
「じゃあどうして!」
ポリーだけでなく、他の侍女たちも神妙な顔で頷いている。
(この子たちはどうしてわたしと陛下の閨事情が気になるのかしら……?)
フィリエルも、もちろん最初は身構えていた。
リオンがフィリエルを無視していた以前ならあり得ないことだっただろうが、夜に一緒に眠ることを許可してくれてからは、いつそうなってもおかしくないと覚悟していたのだ。
毎晩ポリーたちにバスルームでピカピカに磨き上げてもらっているので、いつそうなっても準備は万端。
想像するだけでドキドキして心臓が壊れそうになるけれど、同時に心の中でそうなることを望んでいる自分もいて、いつそうなるのかと毎夜期待しながらベッドにもぐりこむ――のだが。
(陛下ってば、まったくその気にならないのよね。わたしが人に戻ったときに、もう傷つけたくないみたいなことを言われたけど……もしかして、陛下、そういうことまったく考えてなかったりする⁉)
世継ぎはエミル王子がいると、以前言われたことがある。
つまり世継ぎには困っていないから、フィリエルと子作りをする必要はない、と。
だから添い寝以上のことをするつもりはない、と、そういうことだろうか。
もちろん、フィリエルはリオンの隣で眠れるだけでこれ以上ないくらいに幸せだ。大切にされているのもわかっている。
しかしフィリエルももう二十三歳だし、リオンとそういうことになったらもっと幸せになれるんじゃないかなあ、とも思ったりもする。
(いやでも、もしかしたら陛下はそういうこと自体ダメなのかも! 人が苦手だし、可能性はあるわよね!)
そうであるならば、こんな際どい夜着を着るのは問題ではなかろうか。リオンの負担になっていたらどうしよう。
「ねえポリー、もうこの夜着やめない?」
「え? 何を言っているんですか! ダメですよ! 押して押して押しまくればきっと陛下もいつか観念しますから!」
「それもどうかと思うけど……」
「でも、早く世継ぎ作っとかないと、また側妃問題が持ち上がりますよ」
(それはいや……)
リオンが世継ぎはエミルでいいと言っても、周囲はやっぱりリオンの子を期待している。
王太后があんなことになったのだ。彼女に溺愛されていたエミルを不安視する声があるのもわかっている。
(でも本人が乗り気じゃないのに、ねえ)
フィリエルは何よりリオンの心を大切にしたい。
リオンはフィリエルを傷つけたくないと言ったが、フィリエルも、彼にこれ以上傷ついてほしくないのだ。
「王妃様も陛下といちゃらぶ新婚生活を送りたいでしょう⁉」
(いちゃらぶ新婚生活……)
ぐらり、とフィリエルの心が大きく揺れた。
いちゃらぶ――すなわち、いちゃいちゃ、ラブラブな新婚生活。
(い、いい響き……)
ごくり、とフィリエルはつばを飲み込む。
閨事情は置いておくとしても、いちゃいちゃラブラブはしたい。
いちゃらぶ新婚生活ってどんなものだろうと想像しかけたフィリエルは、そこで重大な事実に気が付いた。
(そういえばわたし、人に戻ってから陛下に一度もキスしてもらってない‼)
閨の心配の前にもっと大問題があったと、フィリエルはさーっと青ざめた。
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