夫婦の形

新たな火種 1

 暗い部屋に、すーすー、と静かな寝息が響いている。

 リオンの腕にぴったりと腕を巻き付けて熟睡しているのは、妻、フィリエルである。

 どうやらフィリエルは寝ている間に何かにしがみつく癖があるようだと知ったのは、彼女が人に戻った翌日のことだった。

 たまに枕を抱いて寝ることもあるが、彼女がしがみつく対象は、たいていが隣で眠っているリオンだった。


(……眠れない)


 リオンも、フィリエルが人に戻って一か月くらいは、彼女の隣で普通に眠れていた。

 けれども二か月がたった現在、日に日に寝付けなくなっている。

 そしてリオンが眠れなくなった原因も、わかっていた。


(誰だ、こんな夜着をフィリエルに与えたのは……!)


 人に戻ってしばらくは、フィリエルは露出の少ないシルク素材の、悪い言い方をすれば色気もへったくれもないような夜着を着ていた。

 普段からその夜着を着ていたようで、本人も気にしている様子はなかったし、リオンもまったく気にならなかった。

 どこかの誰かが「初夜のやり直し」などと吹き込んだようで、最初のあたりはフィリエルもがちがちに緊張していたが、五年放置して、その後はしばらく猫になっていた妻が人に戻った途端に組み敷くほどリオンも鬼畜ではない。


 というより、もうこれ以上フィリエルを傷つけたくないので、ゆっくりとお互いを理解しながら、彼女がその気になった時でいいだろうとも思っていた。

 その思いは紛れもなくリオンの本心だったし、いつまでも待つつもりでもいた。

 以前フィリエルに言った通り、世継ぎは最悪弟エミルを据えればいい。

 だから無理に子を作り必要もなく、フィリエルが望まないならこのままでもいいかなとも思っていた。

 思って、いたのだ。


 リオンは天井に向かって、はーっと熱い息を吐き出す。

 フィリエルが人に戻って一か月が経ったころ、どこかの誰かが――まあ、おおかた女官長あたりだとは思うが――フィリエルに、やけに透ける「新妻仕様」だとかいう夜着を与えた。

 フィリエルは最初その夜着を着ることを拒否したそうだが、「これが当たり前だ」と諭されて、以来、ずっとリオンの忍耐を試しているとしか思えないような際どい夜着を着ている。

 女官長はおそらく、リオンとフィリエルの間に夫婦の営みがないことに気づいていて、あの手この手で何とかしようと仕掛けているのだろう。


(精力剤を渡された時はどうしようかと思った……)


 フィリエルは去年まで、侍女たちにないがしろにされていた。

 そのためフィリエルの侍女は一度全員解雇し、彼女が人に戻った際に、改めて侍女を雇おうとしたのだが、フィリエルが浮かない顔をしていたので少し方向性を変えたのだ。

 本来あり得ない躍進になるが、フィリエルの侍女を新たに雇うのではなく、フィリエルが猫のときに世話係としてつけていたポリーをはじめとするメイドたちを侍女に昇格させたのである。


 周囲からの反対も上がったが、女官長が責任をもってポリーたちに侍女としての教育を施すと請け負ってくれたため、今ではこの異例な出世に表立って文句をつける人間もいなくなった。

 だが、リオンは失念していたのだ。


(あのメイドたち、やたらとフィリエルに懐いているからな)


 ポリーたちは、猫のときのフィリエルをそれはそれは可愛がり、人に戻ってからもやたらと世話を焼きたがる。

 そんな彼女たちの目下の悩みは、フィリエルとリオンの「夫婦関係」らしかった。

 女官長まで一緒になって、「さっさとやることをやれ」と半ば脅しのようなものを日々送り付けてくるのだ。

 そして女官長たちはとうとう、この薄い夜着の下のフィリエルの下着まではぎ取ったのである。


 服として機能していないほど透けている夜着の下が真っ裸とか、普通の男なら間違いなく襲っていると思う。

 それを擦り切れそうな自制心で押さえているリオンは、当然、眠れるはずがないのだ。

 フィリエルはフィリエルで、猫のときに耐性がついたのかよくわからないが、最初こそ恥ずかしがっていたものの、今では平然とこの姿で隣にもぐりこんで眠りにつくのである。


(そういえば女官長が、さっさと夫婦の部屋を作れとも言っていたな。いやだが、この状況で共同の部屋を使うようになったら、それこそ俺の理性が吹っ飛ぶ……)


 今は、フィリエルが王妃の部屋で支度をすませて、夜にリオンの部屋に来ていた。

 なので、リオンはガウンを脱いだフィリエルを大急ぎでベッドに誘い込んで布団をかけて体を隠させ、何とか事なきを得ていたのである。

 それが仕事以外ずっと一緒で、なおかつあの透けた夜着姿で目の前をちょろちょろされでもしたら、その場で押し倒さない自信がない。


(夫婦の部屋は何としても拒否だ)


 リオンも、フィリエルと一緒にいるのは嫌ではない。

 むしろ暇があれば一緒にいたいとも思っている。

 が、それとこれとは話が別なのである。


(せめて、せめて夜だけ猫に戻ってくれ……)


 睡眠不足も重なり、リオンもそろそろ限界だ。


「……にゃー」

(頼むから……!)


 フィリエルはしばらく猫だったからなのか、寝言でよく猫の鳴きまねをする。本人は気が付いていないのだから仕方がないが、これが破壊力が強くて困る。


(早く朝になってくれ……)


 こうして今日もまた、リオンは眠れない夜を過ごすのだった。





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