猫と人間 4
「…………フィリエル?」
リオンが部屋に戻ると、ベッドの上で、猫が待っていた。
くりっと大きな紫色の目に、艶やかな白銀色の毛並み。
どこか不安そうな声で「なー」と鳴く、驚くほど美人な猫だ。
「え? え? ちょ、え? どういうことだ⁉」
すぐに理解が追いつかなくて、リオンはベッドに駆け寄るとフィリエルを抱き上げた。
フィリエルを抱えたままベルでメイドを呼びつけると、すぐにフィリエル付きのポリーがやって来る。
「ポリー、どうして王妃が猫に戻っているんだ⁉」
ポリーは困惑顔で、「理由はよくわからないのですが……」と、入浴中に突然フィリエルが猫の姿に戻ってしまったのだと告げた。
(確かに突然人に戻ったし、逆もあるのかもしれないけど、いや、でも……)
やっとフィリエルが人に戻ったと思ったのに、猫に戻るにしても早すぎやしないだろうか。
糾弾されるのだろうかとポリーが青ざめていたので下がらせて、リオンはフィリエルを抱えたままベッドの縁に腰かける。
「フィリエル……、どうして猫に戻ったんだ?」
「にゃー」
ふるふる、とフィリエルが首を横に振る。フィリエルもわからないらしい。
もとはと言えば彼女が人をやめて猫になりたいと願ったのはリオンの責任であるので、フィリエルを責めるわけにはいかない。
頭を撫でると、フィリエルが目を細めてリオンの腕にすりっと顔をこすりつけた。
(猫に戻ったということは、フィリエルの心はまだ人に戻りたいとは思っていないということか)
フィリエルが人に戻りたいと思うにはどうしたらいいのだろう。
(今回少しの時間でも人に戻ったんだ。その理由を探ればわかるだろうか)
考えたところですぐに答えは出ないので、リオンは風呂に入ることにした。
フィリエルをベッドの上に下ろして、「いい子にしているんだよ」と頭を撫でてバスルームへ向かおうとして、目を瞬く。
「なー」
「フィリエル、ついてくるのか?」
ベッドから飛び降りて、フィリエルがリオンのあとを追いかけてきた。
風呂嫌いのフィリエルが、である。
(人に戻ったから風呂が好きなことを思い出したのか? いや、そんな馬鹿な)
あれだけ毎度、嫌だ嫌だと逃げ回っていたのだ。たぶんあれば猫の習性で、猫に戻ったフィリエルが風呂を克服したとはどうにも思えない。
「一緒に風呂に入るのか?」
「なー」
入るらしい。
珍しいこともあるものだなと、リオンはフィリエルを抱き上げると、一緒にバスルームへ向かった。
バスタブに入ると、フィリエルがリオンの腕にしがみついてぷるぷると震えている。
「やっぱり怖いんじゃないのか?」
「にゃあ」
フィリエルは首を横に振るが、彼女の全身が風呂を拒否しているのは明白だ。
「今日はもともと風呂の日じゃなかったし、ほら、外で待っていろ」
可愛そうになってきて、フィリエルを湯から出してやろうとしたのだが、「なー!」と大きく鳴いて首をいやいやと横に振る。
「いったい今日はどうし――いてっ、わかった! わかったから爪を立てるな!」
ぎゅうっとしがみついてきたフィリエルを腕に抱えなおすと、彼女は安心したようにまたくてっとリオンに寄り掛かった。
(どうしたんだ?)
フィリエルがおかしい、気がする。
リオンは急いで入浴をすませると、フィリエルを連れて部屋に戻った。
濡れているフィリエルの毛をタオルで拭いてやり、自分の髪も乾かす。
様子が変なので早く休ませた方がいいのだろうかと、いつもより早いが就寝することにした。
部屋の灯りを落とし、いつものようにフィリエルを腕に抱いて横になる。
今日は猫ではなく、人のフィリエルがいたかもしれないのにと思うと、ちょっと残念な気持ちになった。
(いろいろ話をしてみたかったんだがな)
約六年間を取り戻すように、たくさん話をしたかった。
フィリエルが何を考え、何に興味があるのか。好きなもの嫌いなもの。どんな顔で笑うのか、どんな顔で眠るのか。
彼女を腕に抱いて眠ったら、自分がどんな気持ちになるのだろうかとか、この部屋に戻って来るまで、いろんなことを考えた。
そっとフィリエルの背中を撫でる。
柔らかい毛の感触と、彼女の髪の感触はどう違うのだろうかと思った。
知らないことだらけの自分の妻。
リオンが台無しにしてしまったこの六年を、一分一秒でも早く取り戻したいと、取り戻さなければならないのだと、妙な焦りが胸を占める。
「フィリエル」
「にゃー」
呼びかけると、返事がある。
猫のフィリエルを腕に抱いていると安心するし、愛おしいと思う。
でも、今のリオンは、それで満足できない。
猫ではない彼女を抱きしめてみたい。
「にゃー」ではない、彼女の声を、返事を聞きたい。
フィリエルの鼻先にキスを落とす。
びっくりして固まったフィリエルを腕の中に抱き込んで――、人間のフィリエルの唇の感触を、想像した。
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