深夜の訪問 1
「リリ、ほら見て」
ひゅん、と目の前を横切ったふさふさした何かに、フィリエルは反射的に飛びついた。
「にゃー!」
「ぷっ、ははは!」
リオンがどこかから仕入れてきた猫じゃらしにムキになって飛びかかったフィリエルに、彼が声を出して笑う。
ここのところ難しい顔をしていたリオンが笑ったことにホッとしつつ、猫じゃらしに引っかかった自分が恥ずかしい。
(うー、わたし今、完全に猫……)
と思うのだが、ゆらゆらと目の前で猫じゃらしを揺らされるとじっとしていられなかった。
「にゃー! なー! にゃああん!」
とびかかり、猫パンチをお見舞いする。猫じゃらしにいいように遊ばれてしまう元王妃っていったい……。
(いや、元人間としても終わってる気が……)
それにしても、仕事が終わってヴェリアのところにフィリエルを迎えに来たリオンが、何か小さな箱を持っていることには気づいていたが、猫じゃらしが入っていたなんて驚きだ。
いったいどこで仕入れてきたのか。
それよりも、猫と同じ目線になって楽しそうに猫じゃらしを動かしているリオンの笑顔が眩しい。
(うぅ、可愛い……!)
二十五の男に可愛いもないだろうと思うし、リオンは可愛いというよりカッコイイという形容詞が似合う精悍なタイプだが、無邪気な顔をした彼は少年のように可愛いと思ってしまう。
「にゃーにゃーにゃー!」
(というかそろそろやめてー! 止まらないから‼)
狩猟本能というやつだろうか。理性では止められない。猫じゃらしに振り回されまくりだ。
猫じゃらしを振り回していたリオンも、しばらくするとさすがに飽きてきたらしい。
猫じゃらしを置いてフィリエルを抱き上げるとソファに座った。
皿に水を入れて差し出してくれたので、ぺろぺろと舐める。運動して疲れたのだ。
ブリエットからリオンと結婚すると聞かされてから三日。
あれから、特にそれらしい噂は耳にしなかった。
リオンもいつも通りで、結婚に向けた動きはない。
まあ、王族の結婚とはすぐにとはいかないものだ。
王妃だったフィリエルが消えたとあれば、なおのこと。
まだ三日では、ブリエットの言葉が真実か否かの判断はつかない。
(結婚、するのかな……?)
リオンが誰かを娶る瞬間を想像するだけもやもやする。
リオンはわたしのだと、大声で叫びたくなる。
自分からリオンの妻でいることをやめたくせに、誰にもとられたくないと思ってしまう。
(なんて身勝手なのかしら……)
つらいから、苦しいから、リオンの側にはもういられない。
でも誰のものにもならないでほしいなんて、身勝手以外のなんでもない。
わたし以外の誰かと幸せになってほしいなんて、口が裂けても言えないし思えない。
好きな人の幸せを願うことすらできない自分は、なんて性格が悪い女だろう。
「リリ、急に静かになってどうした? 疲れたか?」
お腹を見せるようにごろんとされて、こちょこちょとくすぐられた。
「にゃぁんっ」
身をよじると、くすくすと笑われる。
「そろそろご飯だからな、リリ。今日はヘルシーに野菜料理らしいぞ。お前、最近ちょっと肥えたからな」
「にゃ⁉」
太ったと言われて、フィリエルはぴしっと凍り付いた。
(なんですって⁉ 太った⁉ わたし、太った⁉)
そういえば、ミルク以外が食事に出されるようになってもりもり食べるようになったし、いい子にしたご褒美のおやつでリオンからクッキーをもらっているし、ついでにヴェリアのところで蜂蜜入りの紅茶を飲んでごろごろしている。
運動はリオンの手が空いているときに、週に一度か二度、庭で走り回るだけだ。
摂取する食事の量が増えたのに全然運動していないから、その分体に脂肪が蓄積されてしまったのかもしれない。
「にゃあああああんっ」
(いやああああああ‼)
大変だ。このままデブ猫まっしぐらは絶対に避けたい。人間から猫になっても、プロポーションは維持したい。それが乙女心というものだ。
フィリエルはリオンの腕の中から飛び降りると、ばたばたと部屋の中を走り回った。
とにかく運動だ。運動、運動! 道理でリオンが猫じゃらしを持ってきたわけである。
「こらこら、部屋の中で暴れない」
「にゃーにゃーにゃー!」
「肥えたって言ったから怒ってるのか? お前、たまに人の言葉を理解しているような反応をするよなあ」
ぎくり、とフィリエルは立ち止まった。
その隙にリオンがフィリエルを抱き上げる。
(怪しまれては……ないよね?)
さすがに猫が自分の妻だと勘付かれることはないだろうが、リオンの言葉に敏感に反応するのは避けた方がいいかもしれない。
うむむむと考え込んでいると「今度は静かになった」とリオンが不思議そうな顔をする。
そしてまたお腹ゴロンをされてこちょこちょとくすぐられていたとき、部屋の扉を叩く音がした。メイドが食事を運んで来たらしい。
リオンとフィリエルの夕食を運んで来たメイドは、部屋の中のテーブルの上に食事を並べると一礼して去って行く。
リオンは、食事の給仕も必要としないのだ。
フィリエルのご飯を床の上に置いて、自らグラスにワインを注いだ。
「リリ、いただきます」
「にゃー!」
(いただきます!)
フィリエルが猫としてこの部屋に来るまで、リオンはいつも一人で食事をしていたのだろうか。
フィリエルも王妃のときは部屋で一人で食事をしていたからわかる。
一人は、寂しい。
もしフィリエルが人間のときに、彼が他人に対して心を開かないのだと気づいていたら、何かが違っただろうか。
フィリエルのことが嫌いでも、強引に、食事くらいは一緒に摂るようにとお願いできたかもしれない。
愛情は返してもらえなくても、もっと違う夫婦関係が構築できたかもしれない。
何故フィリエルは、冷たくされたことに落ち込んで傷ついて――勇気を出して彼と向き合おうとはしなかったのだろうか。
待っているだけだったのだろうか。
冷たくされることに怯えて、手を伸ばさなかったのは、フィリエルも同じだ。
リオンだけを責められない。
「……ん?」
スープを飲んでいたリオンが、ふと、その手を止めた。
「なー?」
「ああ、何でもないよ」
フィリエルに笑いかけて、リオンが飲みかけのスープを遠ざける。好きな味ではなかったのだろうか。
気になって、リオンの膝に飛び乗って、スープの方に身を乗り出そうとすると「だーめ」と言われて床に下ろされる。
「猫には塩分が強いし、リリは今日からダイエット」
「にゃっ」
夫に体重管理をされることほど恥ずかしいことはない。
しょぼーんとうなだれていると、リオンがぷっと噴き出した。
「食べすぎはよくないけど、ちょっとだけならおやつも上げるから、そう悲しそうにしないの」
「なーぉ」
返事をすると、リオンが自分の食事を再開する。
食事を終えるまで、遠ざけられたスープに手が伸ばされることはなかった。
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