後妻のすすめ 4

 同時刻――


「陛下、例の件、考えてくださいましたかな?」


 春の行事に関する会議が終わり、席を立とうとしたところで宰相ボルデ公爵に話しかけられて、リオンはわずかに眉を寄せた。

 会議室を出て行こうとした大臣たちが、興味を引かれたように、一人、また一人と立ち止まり振り返る。

 リオンはチッと舌打ちしたくなるのをこらえて、冷え冷えとしたエメラルド色の瞳を宰相へ向けた。


「その話なら、断ったはずだが」


 しかしボルデ公爵は、大袈裟にため息を吐いて首を横に振る。


「陛下、これは国にとって重要な問題です。どうぞ再考くださいませ」

「いずれ必要になるとはいえ、今すぐに妃を娶るつもりはない」


 きっぱりと断ると、ボルデ公爵が眉をひそめた。

 ボルデ公爵からは再三、自分の娘ブリエットを妃に取るようにと言われ続けていた。

 しかもそれは、フィリエルがいた時からだ。

 隣国の手前離縁はできないが、子ができないのだから側妃を娶るべきだと、それはもうしつこいくらいに繰り返された。

 決まって、うちの娘は気立てがよく、と続くのだから、そのたびに唾棄したい気持ちに駆られたものだ。

 宰相という地位にありながら、この男はまだ上がほしいらしい。


 側妃であれ国母ともなれば、王妃同等、子が成長すればそれ以上の発言権が約束されるだろう。次期王の外祖父ともなれば、宰相の権限はさらに高くなる。

 見え見えの下心を引っ提げてリオンに再婚を迫るのだから、鬱陶しいことこの上ない。


 さらに忌々しいことに、ボルデ公爵は貴族間でも味方が多い。彼の意見に賛同して、同じようにリオンに再婚を迫る輩は多かった。

 今も、その場に残った大臣たちが「ボルデ公爵令嬢でしたら安心ですな」と口をそろえている。

 そして決まって「フィリエル王妃は、失敗でしたからな」と続くのだ。


 子ができないから。国王との仲が悪いから。極めつけに蒸発したから。だから「欠陥品」だったと嗤う。


 大臣たちの笑い声に、リオンは激しい頭痛を覚えた。

 笑っている大臣の顔が、宰相の顔が、ぐにゃりと歪んで見える。

 ゆがんで現れたのは、形容しがたい化け物の顔だ。

 吐き気を覚えて、リオンは片手で口元を覆うと「再考するつもりはない」と言い捨てて足早に会議室から去った。


(ああ、気持ち悪い……)


 フィリエルが消えて三か月。

 さすがにこのままにしておけないことは、リオンにもわかっている。

 ロマリエ国にはフィリエルが消えたことはまだ報告していないし、真実を伝えるべきかどうかも検討中だ。


(秋までには方向性を決めないといけないんだが、さてどうしたものか……)


 社交シーズンがはじまる秋に、ロマリエ国から王太子夫妻が訪れることになっているし、こちらからも使者を送ることになっていた。

 さすがにロマリエ国の王太子夫妻が訪れたときにフィリエルが不在であれば誤魔化しきれない。


 しかし、正直に失踪したなどと言えば、こちらへの心象が悪くなるだろう。それどころか関係性にひびが入りかねない。

 宰相などは、フィリエルが愛人と蒸発したと言えばあちらの責任にできるのではないかとふざけたことを言っていたが、リオンはそんな虚言は吐きたくなかった。

 かといって、他の大臣が言ったように流行病で死んだことにするのも気が進まない。

 からっぽの棺を埋葬すればいいじゃないかと言われたが、もしそれでフィリエルが生きて戻ったらどうするつもりなのだろう。


 ロマリエ国から定期的にフィリエルに宛てた手紙が届いているが、あれもどうするか考えなければならない。

 他人の手紙を読むのは気が引けて封を切らずに置いてあるものがすでに三通溜まっていた。いつまでも返信が来なければ怪しまれるが、フィリエルはいつも手紙を自分の手で書いていたので、下手に代筆させると逆に怪しまれる。


(病気で寝込んでいるから代筆したなどと言って、誰か見舞いにでも来られたら大変だしな……)


 どちらにせよ、どういう方向性で対策を取るのかを決めなければならない時期に来ているだろう。

 王妃がいなくなったとわかれば、後妻にと他国からも声がかかるかもしれないし、下手をすればロマリエ国からフィリエルの妹を勧められるかもしれない。


(ああ、頭が割れそうに痛い……)


 妃など娶りたくないのに、王という立場がそれを許さない。

 リオンは後ろから追いかけてきた側近に、頭痛がするから少し休むと告げて、獣医師の部屋へ向かった。

 扉を開けると、ベッドの上に寝そべっていた美人猫が顔を上げて「なー」と鳴く。

 くりっとした紫色の瞳に、銀色の綺麗な毛並み。


「リリ」


 ふわりと抱き上げ、背中に顔をうずめると、あれほどつらかった頭の痛みが引いて行く気がした。


「おや、陛下、もうよろしいんですか?」


 丸眼鏡をかけた女獣医が気真面目そうな顔で言う。


「ああ」


 短く返事をして、猫を抱いたまま踵を返した。


「にゃー?」


 気のせいか、どうしたの、とリリに訊かれた気がした。

 見下ろすと大きな瞳がじっとこちらを見つめている。


「何でもないよ、リリ。部屋で少し休憩をすることにしたから、一緒に遊ぼう」


 できることなら立場も責任も何もかもをかなぐり捨てて、リリと二人で田舎で暮らせればいいのにと、リオンは思った。






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