猫、逃亡を試みる 3

「リリ、め! 次やったらお仕置きだからな‼」


 メイドから報告を受けて急いで部屋に駆け付けたリオンにむんずと掴まれて、フィリエルは怒られていた。

 フィリエルがこれでもかと暴れまわったので部屋の中はものすごく散らかっている。

 エメラルド色の綺麗な瞳を鋭くして睨まれたフィリエルは、きゅっと体を縮こまらせた。

 リオンの冷たい視線は、かつて人間だったころの自分に向けられていたのと同じで、心臓が凍り付きそうになった。

 ぷるぷる震えていると、リオンが眉を下げてフィリエルを抱えなおす。


「まったくもう。もしかして、一人にしていたから寂しかったのか? 甘えたな猫だなあ」

「みぃー」


 別に寂しかったわけではないが、怒らないでほしい。

 暴れまわって悪いと思っているが、テンションが振り切れて自制がきかなかったのだ。


「今度からお前にお留守番はさせられないな」

「み?」

(うん?)

「執務室にお前の居場所を作らせるか」

「にゃ?」

(ほんと? ここから出してくれる?)

「さすがにこれは……ないもんなぁ」


 部屋の中を見て、リオンがしみじみと呟く。

 カーテンや天蓋は破れ、引き裂かれたクッションから飛び出た綿が散乱し、壁紙にはくっきりと爪痕がついている。

 散々走り回ったせいで、棚や本棚からも物や本が落っこちて床に散乱しているし、花瓶が割れて絨毯の一部が水浸しだ。


「に……にゃぁ~……」


 つい、とフィリエルは自分がしでかした惨状から目を背けた。


(うん、そうね。さすがに、ないわ……)


 理性が吹っ飛んだ猫、怖い。自分でしでかしたことだけど、本当、怖い。よくここまで暴れられたものだ。

 おかげで鬱屈とした気分はすっきりとしたが、かわりに申し訳なさでいっぱいだ。

 メイドさんたちが「おとなしい猫だと思ったのに」とぼやいているのを聞いて、穴があったら入りたい気分だった。

 この後片付けをするメイドさんたち、心の底からごめんなさい。


「まあ、今回は閉じ込めっぱなしだった俺も悪いか。よしよし、仕事が片付いたら散歩にでも連れて行ってやるからな。お前も部屋に閉じ込められていたらイライラするよな」


 綺麗なエメラルド色の瞳からは冷たい雰囲気は消えている。

 ほっと胸をなでおろしておると、リオンに抱きかかえられたまま執務室に連れて行かれた。

 一人がけのソファの上に下ろされて、頭をなでなでされる。


「リリのための居場所は今度作らせるから、今日のところはここでいい子にしていろよ」

「な!」

(はい…………ってそうじゃなーい! おとなしくしてどうするわたし!)


 フィリエルの目的はここから逃げることである。せっかくリオンの部屋から出られたのだから、隙を見て執務室から逃げ出して、城からおさらばするべきだ。

 しかしこの部屋で暴れまわったりしたら、今度こそ首に縄をつけられるか檻に閉じ込められるかしそうな気がして、ううむと唸る。

 リオンの執務室は、私室と違って人が頻繁に出入りしている。

 書類を運んだり運び出したり、誰かが何かの報告に来たり、休憩のためにお茶が持って来られたりするからだ。

 リオンの私室に閉じ込められているより、よほど逃げ出すチャンスがある。


(ここはおとなしくしているふりをして隙をつくのが賢明ね!)


 城から逃げ出しさえすればこっちのものだ。

 城の裏手の廃墟の塔に魔女が住んでいるのは、誰も知らない。ヴェリア本人がそう言っていたから間違いないだろう。


 ヴェリアは数年前から勝手にあの塔に移り住んでいたそうだが、魔女の魔法で気づかれないようにしていたらしい。フィリエルがヴェリアを見つけたのは本当に偶然で、彼女自身驚いていた。

 そして泣きそうな顔をしていたフィリエルに、「まあ、これも何かの導きかねえ」と笑って、住処の塔に案内してくれたのだ。

 ゆえに、あの塔まで逃げることができれば、誰にも気づかれないはずである。


「いい子だな、リリ。もうすぐメイドがミルクを持ってくるから、それを飲んだらお昼寝でもしておいで」

「にゃ!」

(ふふん、誰がお昼寝なんてするものですか!)


 ミルクを飲んだら、じっと逃げ出す隙を伺うのである。

 そして、セカンドライフを謳歌するのだ。


「にゃんにゃんにゃにゃーん」

「ふふ。リリ、急に機嫌がよくなったな」


 妻がいなくなって四日も経ったのに、心配一つしていなさそうなリオンなんて、さっさとバイバイしてやるのである!




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