偽物勇者

@Nekomoppu

偽物勇者

王国は、酷く貧しかった。国民は重い税金に悩まされ、日々の食うものさえも手に入らない。水は汚染され、金に困った親によって女子供は売られる。その理由は全て国王が暴君であるからだった。そんな絶望的な状況で、国民のために立ち上がった男、名をレイチェルと言う。

───この物語は愚かな英雄譚であり、王国に隠された真実の話でもある。


レイチェルは元は孤児であった。美しい母は物心ついた頃に亡くなり、金も無く盗みを働くしか生きる術を知らなかった。そんな彼を救ったのは、心優しい領主であった。恰幅な領主は、何時も笑みを浮かべていて彼に救いの手を伸ばした。かくして、レイチェルは彼の養子になった。それからの暮らしは、レイチェルには考えられないほど贅沢なものだった。温かい食事に、学びや剣術の先生を付けてくれた。領主は多忙で帰って来なかったが、レイチェルは幸せだった。そして、素晴らしい生活をさせてくれた領主に何時か恩返しがしたいと誓った。

「レイチェル、今まで黙っていたんだが……実はお前は前王の血筋を継いでいるのだ。」

領主がそうレイチェルに告げたのは、成人祝いが終わった次の日だった。あまり使われていない書斎に呼び出され早々に、現王の弟であること、この国が貧しいのは全て暴君のせいであること、レイチェルに革命を起こして欲しいことを苦々しい面持ちで言われた。

「僕が、王弟というのは信じられませんが……元より父様に救われたこの命、貧しい民のためならば尚さら、喜んで大任を果たしましょう。」

こうして、レイチェルを筆頭に領地の男たちや暴政に苦しむ民によって革命軍は結成された。

数年後、革命軍は王城へと踏み込むことに成功した。王の元へいち早くたどり着いたのは、やはりレイチェルであった。

「暴君、ラディオスよ。最期に言い残すことはあるか。」

「……誰に剣を向けている、私を王と知っての狼藉か。」

「民を虐げていてその不遜な態度……許せない、何人、何百人の民の犠牲の上に立っていると思っているんだ…ッ!」

「哀れな、お前はまだ自分の立場が分からないのか。」

王はレイチェルに剣を突きつけられて尚、黄金の椅子にふんぞり返っている。

「なにをッ……!」

「目に見えるものばかり信じる、青臭い英雄様だな。」

王が鼻で笑い、片手を上げる。その瞬間、大広間に一人の拘束された男が騎士の格好をした男数人と共に入ってきた。拘束された男を見て、レイチェルは叫んだ。

「父様ッ」

「随分とその男を慕っているようだな、良いか、今から其奴は反逆罪と横領罪でこの国を追放する。」

「なっ……横領?父様は教会にも寄付をして、貧しい領民のために学校まで建てたんだ。っ……やはり、貴様は人の皮を被った悪魔だ!今すぐその首を落としてやる…ッ…!」

レイチェルが正義の鉄剣を喰らわそうと大きく振りかぶった。王の首へと届く寸前、剣は騎士により捕らえられた領主の元へと飛んでいく。「ヒッ」とくぐもった声が聞こえ、レイチェルは飛んで行った剣が領主へと刺さる前に自身の腕で受け止めた。

「ぐっ……!だ、大丈夫ですか、父様。」

腕にめり込んだ剣は、血飛沫を上げながら床へと落ちていく。ぽたたっ、と真新しい血液が白いタイルへ小さな水溜まりを作った。レイチェルは、領主の口枷を取ろうと手を伸ばし、邪魔をする騎士を投げ飛ばしてやっと領主の口を自由にしてやれた。レイチェルは、心優しい領主がいわれのない罪を暴君に着せられ挙句に拘束をされ、さぞ心細い思いをしただろうと思った。けれど、領主はレイチェルの思いもよらない声でこう叫んだ。

「っ、この……ッ、役たたず!!何故早く王を殺さなかった、何故わたしを1番に助けない!?恩知らずめ、こんな事ならばお前を養子になどしなければ良かった……ッ」

この世のものとは思えないほど憎しみを込めた表情で、レイチェルはこの人は本当に自分の、あの優しい父様なのかと疑った。今の領主は悪魔憑きのようで何度も何度もレイチェルに罵声を浴びさせていた。それを見た王様はうんざりした顔で騎士に領主を連れて行かせると、呆然とした顔のレイチェルを哀れに思い判決を先延ばしにして牢屋へと入れた。


 数日後、王ラディオスはレイチェルの元へ護衛を連れて訪れた。薄暗い牢屋の端で、顔を両足に埋めているレイチェルは顔を上げずに問うた。

「……父様は、父様はどうなったんですか。」

「無論、追放した。今頃は野垂れ死んでるだろうよ。」

その言葉に勢いよく顔を上げて王を睨む。護衛騎士が鋭い剣をレイチェルに向けるのを、ラディオスは片手で制した。

「良い目になった。数日間、頭を冷やさせてやった甲斐があったな。来い、レイチェル。お前に真実を告げよう。」

ラディオスは牢屋の鍵を取り出して、解放する。訝しげな顔のレイチェルは護衛によって拘束され、王が向かう先へと連行されていった。

王に連れられた部屋にレイチェルが入ると、目隠しと口枷を取られた。護衛騎士が扉を閉めれば王と二人きり。ラディオスは椅子に腰掛けると、テーブルの上にあるお茶菓子を手に取り彼の口へ入れた。

「むぐっ……。」

「飲み込め。」

レイチェルは訳も分からず、甘いクッキーを数回咀嚼して飲み込むと「どうだ?」とラディオスが聞いてきたので「美味しいです」と律儀に返した。それを聞いたラディオスは可笑しそうに声を上げて笑い「そうか、良かったな」と微かに柔らかい声音で言った。

「席に着け、先ずは真実の話の前に幾つか質問をしよう。あの領主に、俺のことは何と教えられた?」

レイチェルは眉間に皺を寄せて、大人しく席に座ったあと静かに答えた。

「……暴君と。国民が飢え、苦しんでいるのは全て貴方のせいだと教えられました。」

「そうか、それでお前は確かめたのか?国民が飢え、苦しんでいるのは俺のせいだということを。」

「はい、現に私の領地では皆飢えておりました。他の民の方もそうでしょう。」

レイチェルは真っ直ぐにラディオスの目を見て告げた。

「成程、そうやってお前は英雄に祭り上げられたのか。あの外道の洗脳は上手くいった訳だ。」

「……何の話です。貴方こそ、僕を利用するつもりでしょう。父とのことで不安定になった僕の心につけ込んで、最後には国民の見せしめにでも使うつもりですか。」

意志のこもった言葉に、ラディオスは肘を机に付けて手のひらを片頬に乗せると感嘆の声を上げた。

「どうやら、馬鹿では無いらしい。」

「父には感謝しているんです。孤児である僕を助けてくれたのには変わりない、一生かけても返せない恩がある。」

段々と下を向くレイチェルは、父の目が苦手だった。口元は笑っているのに目は蔑むように冷たい色を灯していた。それに気づかない振りをして言いなりになっている自覚は多少なりともあったのだ。「いいだろう」ラディオスはおもむろに口を開く。彼が紡ぐ真実は、レイチェルが思っていたより酷いものだった。

 領主はそこそこの家柄の生まれだった。歴史ある貴族側に付いて、旨い汁を啜る類の人間だった。元より小心者の彼の気を大きくさせた転機は、王の息子であるレイチェルの発見であった。ラディオスとレイチェルは双子として生まれたが、王位継承権の問題により、前王と前王妃の侍女に引き取られた。よってラディオスはひとりっ子として育っておりレイチェルを実際に目で見るまでは自分に弟がいるなんて信じられなかった。

領主は、王族に近い貴族の会話によって双子の弟の存在を噂程度に聞いていたが、やはり半信半疑だった。確信に変わったのは、美しいと話題の平民の女を見に行った時であった。ラディオスそっくりの子供を見た時、身体に電撃が走ったようだった。母親代わりである美しい侍女が流行病であることを知ると、レイチェルを養子にしようと裏で着々と準備を進め始めた。彼を傀儡に仕立て上げ王にしようと企んだのだ。それに賛同したのは政治を思うままに出来ないことに不満を抱く貴族連中と、洗脳された領地民だった。そういう訳で、英雄レイチェルは誕生した。

「俺も舐められたものだ、わざとらしい罠にかかる間抜けな連中に、王の座を引きずり下ろせると思われていたのだからな。」

ラディオスは喉を潤すために紅茶を一口飲むと、レイチェルにこう言った。

「刑が決まるまで、お前に真実を見せ続けてやろう。」


 次の日、レイチェルは昼頃にラディオスに呼ばれた。何故か服を着替えさせられて、同じような衣服を身にまとった王の元へと連れて来られた。

「なんだ、お前悪夢でも見たのか?酷い顔色だぞ。」

「……いえ、お気になさらず。」

レイチェルは昨日の話で一睡も出来なかったのだが、それをラディオスには悟られたくなかった。

「まぁいい、行くぞ。今日は視察だけだからな。」

ラディオスは意気揚々と城下町へ向かっていく。先ず最初にレイチェルが見たのは花を売っている少女だった。どうやら、目が見えないらしい。

「花は、花は入りませんか?」

目を瞑ってきょろきょろと辺りを見渡す少女に、ドンッとぶつかる男性。レイチェルが動き出そうとしたのをラディオスは腕で止めて、無言で視線を男性へと向けた。

「あ?なんだ、こんなところで突っ立ってると危ねぇぞ嬢ちゃん。花売りなら、そこの店の近くでやりな、あそこなら客入りもいい……で、一本いくらだ?」

「え、えぇと、10です。」

「あ''ぁ?いくらなんでも安すぎだろうが、30、いや50で売りな。10本くれよ、嬢ちゃん。こんな綺麗に咲いてんだ、そんくらい値段上げても誰も文句言わねぇさ。文句言ってくるやつがいたら、俺がとっちめてやるからよ。」

男性は少女の元にしゃがむと、10本花を買って少女を安全な場所まで案内すると去っていった。それを見たレイチェルは酷く驚いた。

「他人を気遣う心の余裕がここの人々にはあるんですね……それに、こんなに沢山の人の笑顔を見たのは初めてです。」

「この国はまだまだだ、そう遠くない未来あの子が安心して暮らせる国を作る。」

そう即答したラディオスに、レイチェルは信じられないような気持ちになった。今まで国王を倒せば民が笑って暮らせると本気で思っていた自分を恥じた。

「僕は、僕は取り返しのつかないことをしてしまったんですね。」

レイチェルは、革命軍として戦ってきた。今思えばその相手は果たして敵だったのだろうか。革命軍が攻め入ったから仕方なく戦った領民だとしたら、そう考えたところで背筋が震え冷たい汗がぶわりと背を伝った。

「お前たち革命軍の存在が確立したのは、俺の名前が付いた学校がある領地を火の海にした後からだったな。」

「……はい、あの学校は子供たちを従順にさせるために国王が建てた学校だと。」

「そう思うか?」

「……ッ、…っ…いいえ。」

「誰かさんが子供を逃がしてくれたお陰で、国の宝は守られた。大半は孤児院行きになったがな。」

レイチェルは下唇を噛んだ。口端から伝う血は顎先から首へと垂れる。

「十分だろう、今日は帰るぞ。」

ラディオスはレイチェルの顔を眺め、暫くすると背を向けて城の方角へと歩いていく。その背にレイチェルは苦々しい顔で問いかけた。

「待ってください、僕は……僕は何故生かされているんですか。」

「忘れたのか、お前に真実を見せるためだ。」

顔だけ振り向かせたラディオスは、口角を上げて「遅い」と続けて言うとレイチェルの顎先や首筋に伝う血液を手を伸ばして親指でぐいと拭き取ってやった。そうして、再び歩き始めた彼にレイチェルは大人しく付いて行くのだ。

 城に戻ったあと、レイチェルは倒れるようにして牢屋にて睡眠を貪った。最後に彼が言った言葉と表情が頭から離れず、触れられた場所からレイチェルの焦燥と恐怖が拭い取られたように錯覚した。

――夢の中で、レイチェルは革命軍の象徴として戦っていた。国王の学校が建てられた町から炎が立ち上る。悲鳴と子供の泣き声が段々と聞こえなくなっていった。

「大将、男共は逃げたヤツ以外全員やったぜ。」

「そうか。」

「このまま東に言ったとこに、国王の宝を隠した街があるんだってよ。そこも行くだろ?いずれ国王の軍が来る、その前に動かなきゃな。」

「……あぁ。」

レイチェルの鼻にツンとした火薬の臭いと生命が終わる音が聞こえていた。瞳に映る赤い炎は黒い炎になって灰色の煙で覆われる。母親に抱かれた子供が煙を吸って衰弱していくのが孤児の頃の自分の重なった。命令に反して子供を見つからない場所へ隠した、食料も分けたが子供達は無事だろうか。反抗する男は殺した、女はどうなったか分からないがきっと殺されただろう。レイチェルはずっと、国王を殺すこと父様の望みを叶えることのみ考えていた。王都まで行くのに、数多の村を焼き仲間を失った。王は一向に出てこない。民が酷く不安がっている、なんて薄情者だろうと思った。

進む事に王都を侵略している気になった。街から人は消え、最初以来大して血を流していない。それでいいと思った、早く王を殺してこの灰色の戦いを終わらせたかった。


 随分と眠ってしまったらしい、重い頭をゆっくりと起こして暗い牢屋の中に微かに陽の光が差す窓をぼうっと眺める。今は恐らく昼くらいだろうかと、鉄格子の外を見れば7、8くらいの子供が駆け寄ってくるところだった。何故こんなところに子供が来れたのかは分からないが、その子供の顔は目の形以外は王によく似ていた。

「あうあ!」

子供は、あー、とかうーと言いながら鉄格子の中にいるレイチェルに身振り手振りで何かを伝えている。その表情は何処か焦っているようだった。

「……すまない、私は君が何を伝えたいのか分からない。」

そうレイチェルが言うと子供は大きな目に涙を浮かべて、再びうあー、と話し出した。

「泣かないでくれ、君にそう訴えられても僕はここから出られないんだ。」

「あうあ!うー、あう、うあ!」

子供は、ポケットから鍵を取り出すと鉄格子の施錠を解いた。驚くレイチェルに構うことなく、王の許可無く牢屋の鍵を開けた子供は鉄格子の中に入り、レイチェルの手を掴んで歩き始めた。戸惑うばかりのレイチェルだが、振りほどくことも出来ずに監視に見つかるまではこの子供になすがまま、着いて行こうと小さな手を緩く握った。

子供が向かった先は、庭園だった。綺麗な花が所々に列を成して咲いている。

「こんなに……綺麗な場所がこの国にはあるんだな。」

レイチェルがそう呟くと、子供は「あう」と言って握っている手を引っ張った。

子供の歩く速度は最初から早かったが、段々と走るようになっていく。それと共に微かに血の臭いがした。レイチェルは訝しげに、手を繋いでいた子供を抱えて慎重に前へ進むと子供の泣き声も聞こえてきた。

「一体何が起こってるんだ?……とりあえず、君は隠れて待ってなさい。」

「あうあ、あう!」

レイチェルが子供を下ろしてしゃがむと、子供は険しい顔で首を振った。その瞳は涙に濡れながらも真っ直ぐにレイチェルを映していた。

「……分かった、僕からはぐれないように。」

根負けしたレイチェルは、再び子供の手を握ると、血飛沫が飛んだであろう木を横目に通り抜けていく。木々の開けた空間は、信じられない光景が広がっていた。

騎士服を身にまとった男が矢に刺され何人か倒れている、真ん中に綺麗な女性が胸に血溜まりを作って蹲っておりその近くに女性とよく似た女の子が泣きじゃくっていた。

「あうあ、あう!」

手を握っていた子供が言葉を発すると女の子は、「兄様ぁあ''ーー!母様がぁあ''ーーー!」と顔をぐちゃぐちゃにして声を上げた。兄様と呼ばれた子供は、女の子の傍まで行きぎゅっと抱き締めた。

レイチェルは子供たちの母親の元へ行くと、その女性は微かに息をしていた。周りの騎士は生命を終わらされていたが、その女性は生きていた。レイチェルはその女性の傍らに座ると、血が滲む衣服を解いて傷口を見た。医者では無いが、応急処置をしなくてはならないと傷口を止血し始めた。レイチェルは自分の服を脱いで、なるべく綺麗な所で傷口を抑えた。だが、血はどんどんと流れ女性の顔は青白くなっていく。

「っ、頼む……止まってくれ……ッ!」

子供の泣き声がずっと聞こえている、抑えている布に血がじわじわと広がってレイチェルは殆ど祈るように止血を続けていた。ふと、女性の手が緩慢な動きでレイチェルの手に触れた。驚いて女性を見ると掠れた声で「ありがとう……子供たちを、どうか……宜しくね……れ、ちぇる。」と言うとそっと微笑んで女性は息絶えた。

「なっ……」

なぜ僕の名前を、と口にしようとした時女の子がびゃあと泣いた。「お母様」と何度も口にする子供にレイチェルはすまないと唇を噛み締めて謝ることしか出来なかった。


 王妃殺害事件の後、レイチェルの処刑は直ちに決まった。この事件は、捕まったレイチェルの解放を訴えて革命軍の仲間が起こしたものらしい。

ラディオスにそう聞かされた時は、心臓に重りが付けられた心地がした。革命軍の象徴をまだ望まれているのだと、レイチェルは国を引っ掻き回した英雄としてその生涯を閉じるのだと思った。

「人間らしくなったな、レイチェル。」

事件の端緒として語っていたラディオスは、鉄格子の中にいるレイチェルを見て口角を上げた。

「前までの僕だったら、死ぬことよりも王である貴方を殺すことに執着していましたから。」

「今はどうだ?」

ラディオスの問いかけにレイチェルは息を呑むと、拳を握り締めてこう答えた。

「叶うなら、僕の手で僕自身を殺したい。」

ラディオスは面白そうに眉を上げると、レイチェルに続きを促した。

「僕は、生まれてこの方ずっと自分のことしか考えて無かった。孤児の生活に戻りたくないから、捨てられないようにと望んで父の傀儡になった。他人の事なんて考えてないくせに、英雄と呼ばれるようになってしまった。……ラディオス、僕を殺してくれなかったのは何故です。貴方ならこんなことになる前にもっと早く僕を止められたはずだ……ッ!」

鉄格子の軋む音が耳のすぐ側で聞こえる。レイチェルは八つ当たりで、ラディオスを責め立てた。心の底では、そんなことは無意味だと分かっていたが聞かずには居られなかった。出会った時から、実の兄弟であるというのにレイチェルは彼が何を思っているのか分からなかったのが尚のこと八つ当たりを増長させた。

ラディオスは、少し困った顔をして、鉄格子の間に手を伸ばした。剣だことペンだこが出来ている手でレイチェルの頬を撫でると、ぎゅむっと抓る。「いたっ」と間抜けな声を出せば暗い牢屋にラディオスの笑い声が響いた。

「俺は王である前にただの人の子だ。お前もそうだろう、英雄である前にただの人間で……俺の弟だ。」

レイチェルの瞳に知らず涙の膜が張った。震える唇を噛んでも、瞳からは瞬きする度にじわりと涙が浮かぶ。

「兄である俺が、弟であるお前を殺せるわけが無かった。レイチェル、ずっと愛していた。兄として、お前の家族として……ずっとだ。」

ラディオスは涙を拭うと、レイチェルの頭に口付ける代わりに、鉄格子へと親愛の証のため唇を寄せた。生まれた時からずっと欠けていたパズルのピースが合ったようだとラディオスは、レイチェルを初めて見た時から思っていた。それと同時に、灰色の目をする弟を殺さなければならない己の王としての運命を呪っていた。

レイチェルにとって、酷なことだと分かっていた。けれど弟が人としての人生を歩む前に殺すことは出来なかった。英雄に仕立て上げられた者の末路と、過去の真実がどれほど悲惨でも兄のエゴとして、弟を人間として死なせたかった。

「……っ、っ…、に、兄様……っ」

己とそっくりの顔立ち、背丈を持つ弟ははくはくと口を何度か動かして、苦しむように息を吸ってやっと兄と呼んでくれた。鉄格子の中で、涙をぼろぼろと零ししゃくりを上げる男は、英雄なんて大層な呼び名じゃない、ラディオスの大切な家族であるレイチェルという名前のただの青年だった。

しばらくレイチェルは泣いて、ラディオスは黙って寄り添っていた。それは死刑執行の数十分前まで続いた。十分泣いたレイチェルは、涙を拭ってラディオスに言った。

「あの、兄様、最後に良いですか。どうして王妃様は僕のことを知っていたんです?」

「俺が言ったからな。」

あっけからんと言うラディオスに、レイチェルは驚く。

「弟がいると、言った。正確には、第1王子の名前を付けた時、俺の弟の名はレイチェルというらしいから子供に同じ名前を付けたいと言ったんだ。」

ラディオス曰く、小さい頃にほとんど夢心地で母親に言われたことを思い出したらしい。弟が居るかどうか本人は半信半疑なのだが、母親がラディオスに教えた名前がしっくり来たため忘れないようにと息子に付けたらしい。

「兄様の、その息子って……」

レイチェルの頭に浮かぶのは、王妃が殺された日に自身を呼びに来た子だった。あの日はあちこちで革命軍が最後の悪あがきと言わんばかりに暴動を起こしていたらしい。それの鎮圧のため医者や騎士が王宮から居なくなり、手薄になったところを狙われたとのことだ。

「何かあったらお前を頼れって、ここの鍵と共に渡してたんだよ。」

「なっ……それは、危険だろう。自分の息子に罪人を頼るように言うなんて。それに、僕は……助けられなかった。」

「助けてくれたさ、お前が居なきゃあの子たちにとってもっとトラウマになっただろうよ。それにお前は医者じゃない、なのに全力で助けようとしてくれて、彼奴の夫して心から礼を言う。」

「……っ、子供たちは……。」

レイチェルの耳と手には女の子の泣き声と母親の言葉、小さな手の温もりが残っていた。

「母親が目の前で死んだんだ、そりゃギャン泣きだ。でも、子供達とお前だけでも無事で良かった。」

ラディオスは妃の死を悲しめているのだろうかとレイチェルは心配に思った。家族を大切に想うラディオスにとって、胸が引き裂かれる思いだろうと考え自然と眉が下がる。

「ラディオス、僕の前では無理はしないで。王である前に人なんだろ?」

レイチェルはラディオスがしてくれたように、鉄格子の隙間から手を伸ばして頬に触れる。するとラディオスは驚いたように瞬きをして、レイチェルの手に自身の手を重ねた。

「馬鹿だな、俺は今から弟も失うんだぞ。」

「でも、子供たちがいる。……僕は今から王妃様に謝らなければいけないな、子供たちのことを頼まれていたんだ。」

レイチェルは初めて心の底から笑った。育ててくれた母を失った時から、自分は独りで誰にも知られずに死んでいくのだと恐怖した。だから父に拾われた時、安堵してしまった。英雄だと呼ばれた時も誰かの記憶に残るなら良いかと何も気づかない振りをした。けれどそれは恐怖を誤魔化すためのものであって、真に安心できる理由にはならなかった。

ずっと逃げ続けていた清算は、何処かでしなければいけないと思っていた。きっとろくな死に方をしないだろうと覚悟もしていた。絶望を受け止めることはレイチェルが思っていたよりも辛くて苦して、頭がどうにかなってしまいそうだった。それでも最期に、無条件に自分を愛してくれていた存在を知って自身も愛することが出来たことが、レイチェルの人生の喜びだった。

 遠くの建物の鐘が鳴る。処刑の時間を告げる音だった。


 死刑執行人によって、手首を縛られ断頭台へと上がる。目線の少し下には、国民がレイチェルを見上げていた。大半が恨めしいといった顔をしていたため、レイチェルは自身の死を望む人がこんなに居るのかと改めて思い知った。

「罪人、革命軍の首謀者として王国を撹乱した罪で只今から処刑を始める。」

執行人が罪状を述べると、レイチェルに頭垂れるよう促した。両膝を地面へと置き、頭を差し出す。レイチェルは静かに目を閉じたタイミングで、執行人は剣を振り上げた。

「あうあ!」

その時、この国の第1王子が執行人の足にしがみついた。ざわりと民衆が困惑の声を上げた。その時、1人の男が断頭台へ登ってきた、戸惑った執行人の足にくっついている第1王子を取り上げると王子の首元へ剣を当てた。革命軍の一員だった男は声を張り上げて要求した。

「間抜けな第1王子の死ぬところを見たくなければ、我らがリーダーを解放しろ!」

それからは一瞬の出来事だった。レイチェルは行き場を無くした執行人の剣を奪うと、第1王子へと剣を向けた男の手首ごと切り落とし悲鳴を上げる男の首を跳ねた。

「きゃああああ!!」「何が起こったんだ!?」「化け物!!」とその場は血飛沫と共に阿鼻叫喚と化した。レイチェルは涙を浮かべている第1王子を抱えると、その頭を撫でて「勇気のある子だ、僕を助けようとしてくれたんだろう?でも、僕は大丈夫だよ。さぁ、父様の元にお帰り。」と微笑んだ。

「あう、あうあ!」

第1王子は更にレイチェルの服にぎゅうとしがみつくとぼろぼろと涙を零しながら首を振る。仕方のない子だとレイチェルは困った顔を浮かべれば、ラディオスが此方に歩いてきた。

「レイチェル第1王子、お前の父は此方に居る。」

手を差し伸べるラディオスと視線が合う。どうやら、第1王子は罪人を自分の父親だと勘違いしたとシナリオを作るつもりらしい。レイチェルは、「ごめんね、レイチェル。ありがとう。」と唇を動かして小声で第1王子に言うと、パンッと子気味良い音を立てて頬を叩いた。驚く第1王子の手が緩むとそのまま怒りの表情を作るラディオスに渡し、レイチェルは民衆の前で声を荒げた。

「この国は罪人の処刑一つまともに執行出来ないのか!ほとほと嫌気が差した!能無しな国王と馬鹿な王子ではこの国の未来も暗いだろう!民よ!私を王に選ばなかったこと精々後悔するといい!私、ディエゴ・D・レイはせめてもの国の情けとして我が仲間と共に死のう!」

血が滴る剣の切っ先を胸に向けると、そのままレイチェルは自身の身体を貫いた。ディエゴ・D・レイとは領主の養子に入った時に名付けて貰った名前である。レイチェルとは育ての母が呼んでいた名かつレイチェルを王族だと知っていた人物が呼ぶ名前でもあった。

そうして、革命軍のディエゴ・D・レイの生涯は閉じた。鐘が静かに2回鳴り響き、鳥が優雅に旋回する晴れの日のことである。この話は愚かな英雄譚として、代々国民に受け継がれていくのだった。


 そしてここからが、 王国に隠された真実の話である。胸に剣を刺して死んだと思われたレイチェルだったが、普段大きな声を出さない第1王子が大声で泣いたため国民に見せる前にレイチェルの死体と思われる身体は早々に片付けられた。執行人の名誉回復のため断頭台の革命軍の仲間の死体は任せ、レイチェルはラディオスが手引きした医者の手によってその命を奇跡的に繋ぎ止めることに成功した。目覚めたレイチェルは、名をチェルと変えて王の影武者兼王子の剣術指導役として今でも王宮で暮らしている。

 数年後、執務室にて。

レイチェルこと、チェルは扉を軽くノックした。チェルの髪は金髪に染め目元を前髪で隠し、身体付きが分からないような衣服を身にまとっていた。

「入れ。」

許可が出て直ぐに扉を開けると、書類に囲まれたラディオスが手を動かしながら視線をチェルに向ける。

「レイチェルの様子は?」

「今日は前回よりも重い木刀で練習なさっていましたよ。成果は少しずつですが、あの子は強い子です。貴方のような立派な王になれると思います。」

「……それは、俺に早く引退しろって?」

「へ、いえ、そんなことは!」

手を止めて、チェルに問うラディオスに首と手をぶんぶんと振り否定すればラディオスは可笑しそうに笑う。

「あの、ラディオスは凄くいい王様だと思います。本当に。」

チェルは真剣な顔でラディオスに言うと、「兄としては?」とまた問いが返ってきた。

「兄様は良く無茶をして自分で全部解決しようとするから、心配です。でも、僕の大切な家族なので……えっと。」

「俺もお前が心配だよ、罪滅ぼしだと何でもかんでも周りを助ける。レイチェルが救ってくれた命、無駄にしたら後悔してもしきねれぇだろ。」

「それは兄様も同じでしょう、子供たちを心配させては父としてどうかと。」

ラディオスとチェルは、顔を見合わせて吹き出した。お互い考えていることは似たり寄ったりなので本当の兄弟のようだと部下に言われる度に誤魔化すので精一杯だ。こうして鉄格子越しでは無くラディオスと共に笑い合えることが幸せだった。

レイチェルは、チェルと名を変えても過去はずっと身体を侵食し蝕んでいく。どうしようも無い事実から逃れることは出来ないが、それ以上に未来を想うことが出来る自分を嬉しく思った。

この王国は、きっと発展し続いていくだろう。ラディオスという偉大な王の名は歴史に刻まれ、愚かな英雄の名は御伽噺として、現在まで受け継がれていく───。



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