思い出彼女。

 また場面が切り替わった。

 そこは少し前の記憶で見た帰り道の途中のようだ。


 冷たい風が肌を撫で、それに反応して体が微かに震える。

 右肩にスクールバックを背負い、左手には黒くて長い円状の筒を持っている。卒業証書だ。

 もちろん隣には彼女もいた。


「終わったね、卒業式」


 彼女がぽつりとそう呟く。その声音はなんだか少し寂しそうだ。


「だね……」


 卒業式の後の帰り道。隣には彼女。この光景も知っている。

 思い出そうとしても何も思い出せない。だけど知っている。


「あのさ、ちょっと寄り道してかない?」


「え? ああ、うん。いいよ」


 彼女についていきながら、人通りの少ない静かな道を二人で歩いていく。

 その間に会話はなく、ただ静かに、そしてゆっくりと歩いた。

 そんな時だった。


「あ、あのねっ……」


 そう言って彼女は足を止めると、こちらに向き直った。

 どこか恥ずかしそうに顔を赤らめ、視線はわずかに逸れている。


「う、うん?」


 何やら緊張している様子の彼女が、ゆっくり深呼吸をしてからこう言う。


「――あのね、私……好きな人がいるの」


 真っすぐな視線をこちらに向けている。


「え――」


 つい、そんな声が漏れる。

 何故だろう。彼女の『好きな人』という言葉に反応している。


「そう……なんだ……」


 どう返していいかわからず、俺は言葉を詰まらせる。

 今まで見てきたのは全て彼女との思い出。

 そして彼女を意識するたびに、自分の鼓動は高鳴っていく。

 記憶を無くしてからは味わったことのない感覚だ。

 だけど俺はこの感覚を、感情を知っている。いや、覚えている。


「う、うん……」


 恥ずかしさに耐え切れなくなったかのように、再び彼女は視線をそらした。


「あの、えっと……。それって……」


 何故だか急に頬が火照っていくのを感じる。


「うん……?」


 彼女はまたこちらに視線を戻すと、俺の様子を不思議そうに見つめている。


「いやっ、えっと……だからっ、俺も――」


 俺も、なんだろう。俺は何て言おうとしていたんだろう。

 言葉の続きが分からない。この後は何て言ったんだろう。


 そもそもこんなこと言っただろうか。

 わからない、けど――


「なんだ、これ……。昔の記憶……?」


 頭に浮かぶのは色んな表情の彼女の姿。

 彼女の笑った顔が好きだ。怒った顔も好きだ。照れた顔も、困った顔も好きだ。


 いつもそばに彼女がいて、楽しくて、嬉しくて、そしてたまに切なくて。

 一緒にいると胸が高鳴り、彼女から目が離せなくなる。

 その声が、その表情が、どれも愛おしい。


 いつも近くにいたのに、どうしても伝えらなかったこの気持ち。

 思い出した。この感情が何なのかを。


「そっか、俺……好きだったんだ」


 その時、不意に頬に何かが伝っていく感覚に気づいた。

 つい口に出していた。出さずにはいられなかった。

 それは、あの時彼女に言えなかった言葉。


「えっ――」


 俺のその言葉に、彼女は驚いた表情で目を見開いた。


「あれ、今……え?」


 表情を変えず彼女がそう呟く。

 それから彼女はなぜか笑みを浮かべて、嬉しそうに俺を見つめた。


「まぁ、いいか。――ねぇ、覚えてる?」


 笑顔でこちらを見つめるその瞳には滴がたまり、そして静かに頬を伝って零れ落ちた。


「昔はいつも一緒だったよね」


 そうだ、いつもそばにいて楽しそうに笑っていた。そんな彼女の笑顔に、惹かれていた。


「私が落ち込んでいるとさりげなく励ましてくれたりさ」


 彼女にはいつも笑顔でいて欲しかったんだ。


「将来の話なんかもしたよね」


 この先もずっと一緒にいたかったから。ずっと隣にいて欲しかったから。


「ねぇ、覚えてる……? 私のこと。ずっと前から、キミが好きだったんだよ?」


 笑顔は決して崩さず、だけども涙が止まることはない。

 彼女とのたくさんの記憶が、思い出が、彼女を見るたびに溢れ返る。

 いつかの彼女との懐かしい日々が、感情と共に蘇っていく。


「うん……、覚えてるよ」


 お互いに涙を流しながら、優しい笑みを作る。

 俺はずっと、彼女が好きだった。

 いつからかなんてわからないけど、気づいたらそうだった。


 当たり前のように隣に君がいて、楽しそうに笑ってくれる。

 そんな日々が、たまらなく愛おしかった。

 全部、大切な思い出。


「……また、会いに行くから」


「うん」


「今度はちゃんと伝えるから」


「うん……」


「だから、待ってて。もう絶対に、忘れないから」


「うんっ……!」


 再び瞳に溢れ返る滴をぼろぼろと零しながら、それでも彼女はずっと笑みを浮かべ続けていた。


「じゃあ、またね。待ってるからっ――」


 途端に景色が色褪せていく。

 風の音も、草の匂いも、握りしめた拳の感覚も、全てが徐々に薄れていく。

 そろそろ夢から覚める時間だ。


 今度は絶対に忘れない。

 この感情を、想いを、彼女のことを。

 そしてもう一度彼女に伝えに行くんだ。


 そうしたら多分、彼女は笑ってこう言うんだろう。

 

 

『――また、会えたね』


                                 (おわり)

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オモイデカノジョ。 晴時々やませ @yamaseharetokidoki

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