オモイデカノジョ。
晴時々やませ
失くし物。
吐く息は白く、冷たい風が頬を刺す。辺りは真っ白な雪化粧で覆われている。
街灯が小さく明かりを灯し、薄暗い静けさが、なぜだか妙な切なさを醸し出す。
粉雪がはらはらと舞い落ちる薄暗い住宅街の狭い道。仕事帰りの俺はいつものように家路を歩く。
現在二十三歳、独身。一人暮らし。普通のサラリーマンだ。朝はバスに揺られ、会社ではデスクでパソコンとにらめっこをして、夜は帰って寝るだけ。
何の変哲もない、つまらない日常だ。
俺は何でこんな生活をしているのだろう。昔の将来の夢は何だったのだろう。
考えたところで答えは見つからない。
それもそのはず。俺には五年前から昔の記憶が無いのだ。
高校卒業からすぐ交通事故に遭って記憶を無くしてしまったらしい。
一緒に事故に巻き込まれた人もいるみたいだが、その時のこともさっぱり思い出せない。
知っているのは、奇跡的に事故で亡くなった人はいないということだけ。
しかし日常生活に支障が出るような当たり前のことは覚えていた。
忘れてしまったのは思い出というものだろう。
家族や友達、それに以前の自分がどういう人間だったのかがまるで思い出せない。
どういう性格で、何が好きで、何が得意で、何が嫌いで、何が苦手だったのか。
家族や友達の顔を見ても、何も思い出すことはなかった。
そんな何もかもが抜け落ちてしまった状態で、俺は目を覚ましたのだ。
そして今まで、特に何も深く考えることなく普通の日々を過ごしてきた。
いつか何か思い出すかもしれないと、現状から目を背けてきた。
そして今もまだ、その延長にいる。
自宅である四階建てのマンションの一室に着くと、俺はスーツの上着を椅子に掛けてそのまま布団に転がり込んだ。
特に趣味もなく、帰ってからは風呂と食事と睡眠くらいしかすることはない。
よくもまぁこんなつまらない大人になったものだ。だけど不思議と何も感じない。
それはやはり昔の記憶が抜け落ちているせいなのだろう。思い出と共に記憶された感情までもが無くなってしまったのかもしれない。
俺は感情表現が苦手だが、本当は忘れてしまっているだけとも言える。
特に恋愛感情というものが俺にはよくわからないのだ。頭ではそれを理解していても実際にどういう感情なのか感じることができない。まるでどこかに置いてきてしまったような感覚だ。
寝返りを打つように仰向けから体勢を変えると、テーブルの下に置かれた一冊のアルバムに目が留まった。
「……ん? これは……」
それは高校の卒業アルバムだった。
俺はおもむろに手を伸ばしそれをつかみ寄せると、適当にパラパラと捲り始めた。
「こんなのいつ出したっけ……」
しばらく無言のまま、ただ何となく適当なページを開いていく。
そこに懐かしさなど欠片もない。俺の知らない思い出がたくさん詰まっていた。
おそらく友達であろう人達の写真もたくさんあるが、俺にはもう誰なのかわからない。
写真の中の俺はそれはもういろんな表情をしていた。
今の自分じゃとても考えられない。
そうこうしているうちに後ろのページまでたどり着いてしまった。
そこには何もない白い余白に、色んな人の名前とたくさんのメッセージが綴られている。
おそらく寄せ書きコーナーみたいなスペースなんだろう。
その中の一つに目が留まった。
『また会おうね』
ただその一文だけ。書いた人の名前はなかった。あったところで思い出せるわけでもないが、なぜかその一行から目が離せなかった。
上手く言い表せないが、心の中に靄がかかっているような、そんな気分だ。
「まぁ、今さら見たって何も思い出せるわけないよな」
それ以上あまり深く考えはせず、俺はアルバムを閉じて適当な場所に置いた。
それから目を瞑ってし少しすると、意識は徐々に遠のき、やがて深い眠りへと就いていった。
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