第12話 カーネーション
轟々と風が吹き荒れている。
この風は全て、師匠によるものだと合点がいくまで時間はかからなかった。
そこから繰り広げられた光景は、僕には到底理解ができるものではなかったが。
僕を狙っていた魔獣たちは、今、真っ先に倒すべき敵として師匠を認識している。
魔獣は師匠に襲いかかるが、全く歯が立っていない。
まるで赤子の手をひねるように、師匠は涼しい顔で次々向かってくる魔獣を仕留める。
使っているのは、基礎的な風魔法だ。
ただ、その精度と威力が桁違いすぎる。
しばらく一方的な猛攻が続くと、魔獣も不利を悟ったのか、ジリジリと後退していき、やがて気配が遠ざかっていった。
完全に魔獣が姿を消したことを見届け、僕はふっと身体の力を抜く。
師匠も、攻撃の手を止め、こちらに駆け寄った。
彼女の顔は、今にも泣きそうに歪んでいる。
僕は、なぜ師匠がそんな顔をするのか分からずに、苦笑してしまった。
「リツキ~。ごめんね、ごめんね~っ」
「なんで師匠が泣きそうになってるんですか」
「だって!あ、リツキ怪我してるじゃん!」
「え?ああ、こんなの大したことありませんよ」
「そんなことない!今治すから!」
師匠はあわあわとしながら、足の咬み傷に手を添える。
ぽわっと薄紫の魔力が灯った。
と、みるみるうちに傷が塞がり、痛みも引いた。
「…すごい。師匠、回復魔法も使えたんですね」
「前は苦手だったんだけどね。得意な子と仲良くなって、教えてもらって、ある程度できるようになったんだよ」
「へえ」
「…よし、これで大丈夫」
「ありがとうございます」
突如、視界がかげった。次に、ふわりとあたたかいものに包まれる。
息をのんで固まると、腕が背に回されぎゅっと力が込められた。
頬に触れる髪の柔らかな感触を感じ、師匠の後頭部が見えて初めて、自分が抱きしめられているのだと気がづいた。
「えと、あの、師匠……?」
「ほんっっとうに良かった!!」
腕の力がさらに強まる。
「リツキが無事で、本当に良かった!!!」
僕は、僕の、選択は間違ってなどいなかった。
この人が僕の目の前に現れてくれたのは、僕の人生の中で最も幸福な偶然だった。
「ひぐ、うぐ~」
「師匠、そろそろ泣き止んでください」
「だって~~」
師匠に苦笑しながら、僕の目にも涙が滲んでいた。
魔獣を退けてからしばらく経ち、僕たちはようやく帰路につこうとしていた。
「ほら、帰りましょ」
「ゔん、ぞうだね」
「もー」
笑ってしまう。さきほどの、魔獣に啖呵切った人はどこに行ってしまったにやら。
「あれ、リツキそれどうしたの」
「え?」
師匠が指しているのは僕の手。いや、僕の手が握りしめているカーネーションだった。
「え、あれ、どうして…」
思い当たるのはひとつ。最初に襲われた時の衝撃で、そのまま摘みとってしまったのだろう。
申し訳なさが込み上げる。
しかし、いったいどうしたものか。これはそもそも師匠に渡そうと思っていたものだし…
「まあ、家で生ければいっか。さ、帰ろ」
「ま、待ってください!」
いきなり大声を出した僕に、面食らったように師匠は振り返る。
僕は、呼び止めたくせにえっと、とかあの、とか繰り返してなかなか言い出せない。
「あ、あの、これは師匠に…」
「…」
「師匠に、渡そうと思っていたものです!」
言った。言ってしまった。恐る恐る反応を伺う。
チラリと盗みみた師匠の顔は、キラキラと輝いていた。
「え、うそ、くれるの!?」
「はい…」
「嬉しい!やったあ!」
ぴょんぴょん小さく飛び跳ねながら、全身で喜びを表している。
カーネーションをそっと手渡す。
「ありがとう!」
これは、予測だが、この時の師匠の笑顔は一生忘れないだろうと思った。
~~~~~~~~~~~~~~~
ふふっ、と無意識に笑い声がもれる。
ついつい掃除の手を止め、思い出に浸ってしまった。
このペースじゃ、掃除が午前中に終わらなくなってしまう。
カーネーションは棚の上に置き、改めて腕まくりをして気合いを入れ直す。
「よし、やるか」
「リツキー!」
と、ドタンと大胆な音を立てて師匠が飛び込んできた。
勢いにのってそのまま僕にぎゅっと抱きつく。
「ど、どうしたんですか。朝ごはんは調理場にありますよ…」
「それはもう食べた!美味しかった!」
「じゃあなんで」
師匠の圧力に苦しくなりながら見上げると、ウルウルした目を返された。
「だって、リツキ置き手紙も何もしてかないから!」
「あ、そういえば忘れてましたね」
「それに、ユーシサスがリツキは私たちに愛想尽かして出てったんじゃないかって言うから、怖くなって…」
「そんなことしませんよ」
「わかってたけどお」
ユーシサスさんも分かってて脅したんだろうな。
僕、遠い目。
にしても、僕がいなくなったかもというだけでこの取り乱し様。不覚にも、嬉しくなってしまうじゃないか。
ふと、カーネーションのことを思い出し、指差す。
「あ、そういえばこれ、落ちてたんですけど」
知ってますか、と続けようとして師匠の大声に遮られた。
「これ、これ!どこにあったの!」
「棚の下ですけど…」
「よかった~~!ありがと~~~!」
師匠は手のひらにカーネーションを乗せると、頬ずりをする。
そんなに大切なものだったんだろうか。
「あの、師匠。それってそんなに大切なものだったんですか?」
「当たり前だよ!」
僕の問いにずいっと前のめりになる。
「だって、リツキが初めて私にくれたものだよ!?」
その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかってしまう。
「え、そのカーネーションって、あの時のものなんですか…?」
「そうだよ」
当然ことのようにうなずく師匠を、信じられない心地で見返す。
「うそですよね?」
「ほんとだよ!もしかして覚えてない…?」
「いや、覚えてますけど!だって、あげたのって9年も前ですよね?カーネーションがここまで持つはずないじゃないですか!」
「あ、ああ!それは、ほら、回復魔法と水魔法を使って、長持ちするようにしてたというか」
前代未聞すぎる。
今、僕は間抜けヅラをしているだろう。
仕方ないじゃないか。師匠がやっているのは、異次元すぎることだ。
しかも、全ては、僕があげたカーネーションを枯らさないために。
「はは、あははは」
「え、ちょ、なんで笑うのさー」
「ふ、ははは」
「もー」
この人は、本当に、最高の師匠だ。
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