第37話 復讐
年が改まってすぐ、ヴァスキアは王国の再興を宣言した。
新国王エカルト即位と成婚は、他の二国にあてて宣言と同時に知らされる。ヴァスキアの民に広く知らされたのはもちろんのことで、11年の長きにわたる冬の時代の終わりを人々はみな喜んだ。
春の到来を告げる即位、成婚の慶事であれば、国を挙げて派手に賑やかに祝いたいところだが用意された祝典は極めて質素なものだった。
凶作や内乱による飢饉はどの国でも深刻で、他国からの来賓は一切招待していない。
だから地味で質素な祝祭はなにもヴァスキアに限ったことでなく、ほぼ同時に即位したマラーク、それからノルリアンでも似たようなものだったらしい。
他国からの賓客を迎える余裕など、今の三国にはない。
騒乱終結からはや三月。
それぞれの内政は少しずつマシにはなってきているが、占領下にあったヴァスキアはその中でも回復に特に時間を必要とする。
鉱山、精錬工場、軍馬の養成場、馬車や武具の開発技師や工場、それに加工食品工場と、ヴァスキアの主力産業がここ11年の間にひどい沈みようだ。好き好んで敵を利する生産に骨身を削る者もなし。当然のことだが生産量も新技術の開発も、停滞している。
これを最初から鍛え直すところから、ヴァスキアの再建は始まるのだ。
即位式だ成婚式だと、そんなものに使う金はない。
当面の間、この冬を凌ぐことが最優先の課題だった。国土のほとんどが山や谷、それに高原と平地が少し。寒冷地対策は絶対に必要で、これなくしては生き延びることができない。当然冬の間の食糧もだ。
「宰相閣下が貯めてくれてましたから、贅沢をしなければ民がひと冬越すくらいはできるでしょう。それでも本当にギリギリですけれど」
遅れてヴァスキアに入ったオルガは、今でも王妃付きの筆頭侍女だ。数字にも明るいので、大変助かっている。
テオバルトはその方面があまり得意ではないらしく、どんぶり勘定を繰り返してはオルガにこっぴどく叱られているようだ。
「薪がないんなら俺が森へ入って切ってきますよ。薪の束まできっちり管理されるんじゃ、息がつまる。もう少しおおらかでもいいでしょう」
騎士が本業なのだから、数字に暗いのは当たり前だとかぶつぶつ言っている。
ラウラは相変わらず、王国の裏方作業を好んで担当している。
マラーク時代と違うのは、ラウラの成果をすべてエカルトの名で出すことだ。当面、それで良いと思っている。
「妻の手柄を横取りする男にはなりたくない」
エカルトはかなり抵抗したが、できるだけ早期の復興が至上命題のヴァスキアには、強力なカリスマ国王が必要だからとラウラは譲らなかった。
王妃の執務室だというのに、かつての王妃宮で過ごした頃のまま、オルガとテオバルト二人とも遠慮がない。
宰相ハーケがかなり頑張ってくれたのだろう。執務室の傷みはほとんどなかった。銀の燭台や彫刻など贅沢な飾りの類こそ取り払われていたが、机や椅子、書棚も往年のままだ。
格式を保ちつつ質素な空間が、かつてのラウラの居室に似ているのかもしれない。
「酷い目にあった、搾り取られたと、みんな恨んでいますけどね。閣下の貯めた金や食糧のおかげで、みな命をつなげそうだっていうのに。知らないから仕方ない? 俺はちょっと割り切れません」
父の親友であった宰相にテオバルトは特別の思いがあるらしい。
恥知らずの売国奴、国中の民から罵られた宰相ハーケは、公式には処刑されたことになっている。
今はノルリアンで別人として生きているが、真実などどうでもいい。11年の間宰相ハーケが本当は何をしていたのか、それを明かせないのと同様だ。
テオバルトは真実を知るごく限られた者の一人である。納得できないのはわからなくもない。
「ハーケ侯爵の家門は王家の預かりになっているの。知っているでしょう? いずれ名誉を回復すると、陛下はおっしゃっておいでだから」
いつもながらラウラはそう宥めるしかない。まだ言い足りなさげな口元を抑えて、テオバルトは「はい」と一応頷いてくれる。
エカルトもつらいのだと、テオバルトもわかってはいるようだから。
「石炭とか油とか。冬場の燃料になりそうなものは、優先して輸出に回しましょう。お肉とかミルク、たぶん足りなくなるでしょう? 買い足すお金が必要だわ」
目の前の心配に話を戻すと、二人とも表情を改める。真面目な顔に戻って、手元の数字を検討し始めた。
その夜は地方視察から戻ったエカルトが、久々にラウラと共に夕食のテーブルについた。
質素倹約にうるさいラウラも、その夜ばかりは多少の贅沢を許すことにした。肉料理の皿が二品もテーブルに並んだのだ。
スープにもミルクが入っている。それにデザートにはサクランボのケーキまで。
明日からはまた黒パンとチーズの日々だろうが、今日くらいはと葡萄酒までつける。
「俺がいなくて寂しかったですか?」
わざわざラウラの隣に席を移して、エカルトはじぃっと目を合わせ聞いた。
これは「寂しかった」と答えるしかない問いだ。そう答えてほしい、早く答えてと、黄金色の瞳が訴えている。
「寂しかったわ」
半ばサービスだが、残り半分は本音だった。
結婚して以来、エカルトはずっとラウラの側にいてくれた。それが二週間もの間離れられて、寝台の広さを初めて知った。
朝目覚めた時、抱きしめてくれる腕がない。首筋にかかる吐息の熱がない。
それがこんなに寂しいものだと、ラウラは知らなかった。
「俺も寂しかったです。途中で何度、『帰る』と言ったと思いますか?」
ラウラの右手を、エカルトは大切そうに両手で包み込む。
「やっと会えた。毎日がとてもとても長かったです」
黄金色の瞳に、ラウラのよく知る灯が揺れている。こうなると危険だ。食事どころではなくなる。
せっかく用意した贅沢な食事だ。もったいない。
「エカルト、まず召し上がって? せっかく用意してもらったのよ?」
ヴァスキアの食糧事情は視察で目のあたりにしてきただろう。無駄にしてはもったいないと、エカルトもわかってくれたようだ。
「わかった」
美しい細工のグラスを手に取った。
赤い葡萄酒が揺れる。
こくんとエカルトの喉が鳴ると、給仕のメイドが空になったグラスをまた満たす。
再びエカルトがグラスを口元に運んだ瞬間。
ぐはっと、急に咳き込んだ。
黒ずんだ血を吐き出して、エカルトがどさりと床に倒れこむ。
ひゅうひゅうと喉を鳴らすその姿を、給仕のメイドが見下ろしていた。
口元にいやらしい笑いを浮かべて。
ラウラは必死に冷静になろうと努力する。
どんなに心配でも、不用意にエカルトを動かすべきではない。彼女にできたのは、大声を出すことだけだ。
「医師を! 早く! 陛下がお倒れです」
青くなって叫ぶラウラに、哄笑が浴びせかけられる。
「いい気味だわ。いい気味。大事なものを失うつらさを、おまえも知るがいい」
聞き覚えのある声だった。
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