第30話 変わる
「ご助力、感謝いたします」
アングラード侯爵が翌朝王妃宮にやってきて、ラウラの前に深々と頭を下げた。
内乱は最小限の規模で終結しそうだと、ほっとしている。
「シメオン前陛下には、我が領土にお移りいただきます。小さな館がありますので」
監視付きの幽閉というところだろう。
既に王妃との婚姻はなかったことにされているから、シメオン一人で暮らすのだそうだ。もちろん身の周りの世話をする使用人はつけるが、乳母はさすがにもう必要ないだろうと、アングラード侯爵は笑った。
「ベキュ伯爵夫人は貴族籍はもちろん、その他一切の特権を剥奪の上、神殿併設の修道院へ移します」
昨晩、近衛騎士の目の前でラウラにつかみかかったことが、言い逃れのできない罪となったようだ。
これまでも陰に日向に罪を重ねてきたが、バルト侯爵の後ろ盾もあってもみ消されていたところ、昨日のあれは決定打になった。あの時点でラウラはマラークの王族ではなかったが、ノルリアン王女への傷害未遂にはなる。他国の王女を害しようとつかみかかるだけで厳罰は逃れられない。極刑にしなかったのは、王太后ウルリカの意向だった。
「母の代わりであったのは確かだからと、陛下がおっしゃるので」
王太后ウルリカがあの愛妾を良く思っていないのは、ラウラも知っている。それなのに助命を希望するとは少し意外だ。
「ウルリカ様はご夫君をあまりお好きではなかったようです」
義務として子供を作ったが、その後乳母に任せる王族の子育てであれば、子供に愛情を示す機会もなかったはずだとアングラード侯爵は言いにくそうに口にする。
「もともと愛情深い方です。我が子に寂しい思いをさせたと、引け目に感じておられるのではないでしょうか」
アングラード侯爵の言葉には、以前感じた裏がまるでない。心底王太后ウルリカを案じているように感じるのは気のせいか。
王太后ウルリカの思いがどうであれ、愛妾の量刑の軽重にさして興味はない。シメオンが玉座から追われた上は、これから先彼女がこれまでのように好き放題できるはずもなく、それならば生きていようがそうでなかろうがどちらでもいい。
「貴女様にはご不快のこととは存じますが……」
次期の国王になるアングラード侯爵は、今はまだ即位式を済ませていないのでラウラに対する言葉遣いはいまだ臣下のものだ。
「いつ即位なさいますか?」
次期マラーク国王から丁寧過ぎる態度をとられては落ち着かない。微笑んでラウラは話題を変える。
「ヴァスキアの復権が完了しましたら」
マラークの主力騎士団はふたつ、そのうちひとつがバルト侯爵家の騎士団だ。現在、旧ヴァスキア領に駐留している。
占領地からありとあらゆるものを搾取する総督を、武力をもって後押しするための集団で、現地の人々から強盗のように怖れられ嫌われている。名誉を重んじる騎士の間では、どんな任務についてもいいがあれだけはしたくないと陰口を叩かれているものだ。
ヴァスキアがマラークの支配を離れるとなれば、現在王城を根拠地にするその騎士団を打ち破らなければならない。
「すぐに終わるでしょう。王太子も彼の騎士団も優秀です。強盗の集団では最初から相手にすらならない」
現在、エカルト率いるヴァスキア騎士団が王城を囲んで戦闘中だとアングラード侯爵は言った。
「よくヴァスキアを手放す決心をなさいましたね。彼の地にはマラークにないものが多くありますのに」
アングラード侯爵がエカルトを抱きこんだと聞いた時から、感じていた疑問だ。マラークの国王が代わりさえすれば、ヴァスキアを手放す必要はない。国王の代理人として優秀な総督を送り、彼の地の豊かな鉱物資源をマラークにもたらせば良いはずだ。視点をマラークにおけば、そうなる。なのになぜ、アングラード侯爵はヴァスキアを手放すのか。
ヴァスキアの王太子エカルトや旧ヴァスキアの民が再興を望むのは当然として、それをマラークが後押しするのには首を傾げてしまう。結局のところ欲得で動くのが国家というものだ。だから罰当たりだと思うが、現実にはそうなのだから現実に反した行動をとる時、そこにはなにか別の思惑がある。
「ヴァスキア人は排他的です。マラークの誰を総督にしたとしても面従腹背で、本国のようなわけにはゆきません。かといって酷政を敷けばたちまち内乱が起こるでしょう。手なずけるのに骨が折れますし、時間もかかる。けれど放っておくわけにもまいりません。何かあれば、支援も必要になります。つまり差し引きすると赤字……、というのも嘘ではありません。ですが貴女様がお望みの答えではありませんね」
かつてラウラに「焼け石に水をかけ続けよ」と言った、あの時の
「世の均衡が崩れた時に、
欲得とはほど遠い答えに、ああそういえばと思い出す。アングラード侯爵は、マラークの始祖グィヴェル神とその妻デナリス神への信仰心が篤かった。
本気で世の均衡が崩れたことを憂いて、王権を奪い取ったのだ。
「マラーク、ノルリアン、ヴァスキア、この三国あって始祖グィヴェル神の御代より続いてきたものです。攻め滅ぼすなど狂気の沙汰だ。誰かが正気にもどしてやらねばなりません」
「その誰かに、侯爵はなったと?」
「誰かのひとりに……というところです。一人の力で整えられるほど、世は単純ではありますまい。貴女様もその誰かのお一人だ。なすべきことをどうぞなさいますように」
王妃を辞めたばかりだというのに、別の務めが降って来た。
「貴女様の運命がお待ちです。ヴァスキアへお向かいください。護衛の騎士団をおつけしましょう」
やはりこの男も気づいていたのだ。ラウラの伴侶がシメオンではなく、正体を隠していたエカルトであることを。
「感謝いたします。マラークの新王陛下」
ラウラは立ち上がり、深く腰を落とした。
彼に示された新しい務めは、嫌ではない。むしろ嬉しい。こんな幸せな務めなら、いくらでも受け容れる。
「次にお目にかかる時には、ヴァスキア王妃におなりですね。それまでどうかお元気で」
アングラード侯爵の
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