第28話 自由の対価 

「よくご辛抱なさいましたね」


 老いた神殿長は優しくいたわってくれた。

 本当ならもっと早くに自由にして差し上げたかったと、自分の無力を詫びてさえくれる。


「マラーク王家の系統は、あらためられるべきだったのです。先王時代にそれができていれば、王太后陛下もお幸せでいらしたはず」


 その言葉で、アングラード侯爵が神殿を味方につけていることがわかる。さすがに抜かりがない。


「王太后陛下お気に入りのお茶でございますよ」


 ブドウの香りがする。薄い磁器のティーカップを摘まみ上げて、ラウラは口元へ運ぶ。

「美味しい」と言えば、「それはよろしゅうございました」とにこやかに返してくれた。


「俗世の生臭いお話しなのですが。輿入れの時の支度金を、まったくお返ししないというのもどうかと思うのです。これから先、この国にはお金が必要です」


 一夫一婦制を守らなかった元夫に、やはり神殿は厳しかった。支度金の返還は不要と証書にもそう記されている。

 けれど額が額だ。ノルリアンが無収入でむこう十年やってゆける大金を、ラウラのためにマラークは支払っている。マラークが豊かであるのならもらいっぱなしもいいだろうが、ひどい赤字が続いているのを知っているから良心が痛む。

 王権が元の夫からアングラード侯爵へ移るならなおさらだ。

 再建にはお金がかかる。いくらあってもいいはずだ。

 神殿はあくまでも教義に反した責任を元の夫にとらせようとしているだけで、マラークの今後の経済を考えてはいない。


「神殿長にお金のことを申し上げるのは違うと、わたくしも承知しております。ですがそこはまげてお聞き届けください。どうか一時、お預かりいただけませんでしょうか」


 嫁ぐときにばば様が持たせてくださった金子だ。

 

「必要な時、好きなように使うとよい」


 ノルリアン王家に残していては、あの愚かな両親がみんな使ってしまうだろうからと、支度金の半分を持たせてくれた。

 ラウラにもこれからの生活があるから全部を出すわけにはゆかないが、所持金の半分ほどなら問題ない。それだけでも大した額だ。アングラード侯爵にはありがたいはずだと思う。


「どなたか国の実権を握る方に、お渡しください」


 金貨で持っていたのは正解だった。マラークの通貨だったら、価値はなくなるかもしれない。そうならないように、アングラード侯爵は努力するだろうけれど。

 

「国王陛下はつくづく愚かな選択をなさいましたな。あなたを大切にしていれば、この国はきっと安泰でしたでしょうに」


 これから先、元夫と愛妾には楽な人生はない。

 神殿だけでなく実の母王太后とアングラード侯爵を敵に回した時点で、もう終わりだ。世論操作もこの三年でしっかり終えている。既に王国中が二人の敵だった。

 退位さえ飲めば、おそらく命まではとられないだろうけれど。


「国王陛下が自らお選びになったことですから」


 何かをなそうとするとき、人は対価を支払うものだ。

 ラウラは自由と引き換えに、三年の月日と個人資産の一部を支払った。

 元夫もそうなる。愛妾にいれあげて好きに過ごしてきた人生の対価を、きっちり取り立てられるはずだ。

 名ばかりとはいえ、縁あって夫と呼んだ男だ。不幸になればいいとまで憎んではいない。

 できれば今からでも己の罪に気づいて、生きてくれればいいと願う。

 気づいてくれるといいのだけれど……。




 エカルトが予告したとおり、深夜異変が起こる。

 王妃宮の前をかなりの数の馬が駆け抜けて行く。蹄の音に殺気が感じられて、騎士たちが尋常ではない働きをしに行くのだとわかった。


「姫様、ご安心ください。こちらに向かってくることはありません」


 オルガは緊張してこそいるが、落ち着いていた。深夜だというのに服装も整っている。


「知ってたのね?」


 ばば様エドラがつけてくれた侍女だ。エカルトたちの動向に気づいていた、いやもしかしたら知っていたのかもしれない。

 オルガには諜報活動を仕込んだ一方で、ばば様はラウラに何かを指示してきたことはない。

 嫁いだからには自分で考えろということだろう。そうするに必要な知識と技術は仕込んでもらったのだ。

 それならば今、この状況でラウラがすべきことはひとつだ。


「王宮へ行くわ。陛下に会わなくては」


 黒の軽装で待機していたのは、このためだった。


「王妃宮から出てはなりません」


 オルガの制止にラウラは首を振る。

 

「護衛を連れて行くから大丈夫よ。これは一時でも王妃だった者の責任だから」


 オルガには想定内だったらしく、「仕方ありませんね」と外に控える護衛騎士を呼び入れた。彼ら六名にラウラをしっかり護るように言う。

 そして当然のように、主に宣言した。


「わたくしもお伴いたします」


 ラウラがばば様に仕込まれた護身術に加えて、オルガには武術のおぼえまであった。


「王宮の騎士のひとりやふたり、なんてことありません。姫様の御身には、かすり傷ひとつつけさせません」


 実家は零落していたとはいえ、オルガはれっきとした伯爵令嬢だ。それがいつも足首に小剣を隠しているなど、誰が思うだろう。

 頼もしいことこのうえない。


「ではお願い。行きましょう」


 先ほどの騎士団は、間違いなくアングラード侯爵麾下のものだ。そして今王宮を護っているのは、近衛騎士が50人足らず。

 バルト侯爵家から援軍が出たとしても、この日のために準備万端整ったアングラード侯爵騎士団にはかなわない。

 そしてアングラード侯爵の騎士団であれば、ラウラに対して剣を向けることはない。

 

「陛下に最後のご奉公よ」


 妻であった日に、彼には何もしてあげなかった。

 だから最後くらいは、助けてあげようと思う。

 せめて国王の威厳を少しでも保てるように。

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