第8話 悪意のドレスコード

 その夜は大がかりな夜会が予定されていた。

 本来は初夜を終えた王妃を、正式にマラークの社交界にお披露目するためのものだ。

 名実ともに王の妻となった王妃を、皆が祝い敬い、最高位の貴婦人として迎え入れる。その予定だった。

 だが、初夜は終わっていない。

 大切な初夜に、国王は愛妾の元で過ごしたのだ。

 醜聞は面白おかしく脚色されて、あっというまに知れ渡っている。


(これが狙いだったか)


 ばば様にご教授いただいた王妃サバイバル講座の中で、かなりのボリュームのあった項目。王宮にありがちの意地悪、あれだ。

 ターゲットに恥をかかせる。できるだけ広く、大々的にその恥を周知する。そうしたらターゲットは、ひどい辱めを受けたと凹む。うまくいけば引きこもり、精神を病んでくれる。

 今回の場合、恥とは初夜のすっぽかしで、周知されるのは愛妾に負けた王妃ということだ。

 なるほどだから初夜を、あからさまな仮病を使ってでも阻止したかったと。国王が王妃を優先するのは当然で、もし王妃のもとへ行ったとしても誰も不思議には思わない。愛妾としてはダメ元くらいの気分だったろうが、まんまとあの国王はひっかかってくれた。

 おかげでラウラは、「愛妾に初夜を奪われた気の毒な王妃」としてさらし者になるようだ。その狙いがわかったところで、欠席はできない。逃げれば、負けを認めたことになる。


 夜会の衣装は、初夜の翌日午後に夫から贈られるものだ。それが「あなたに満足した」とか「ありがとう」とか、良い意味のメッセージになる。

 けれどラウラと夫は初夜を迎えていない。だから衣装が贈られてこないのは当然と言えばそうなのだけれど、初夜がならなかった原因は夫にあるのだ。夫の「すまない」という謝罪が本心からなら、衣装を贈るのではないか。新妻の体面を気遣って。

 つまり夫、シメオンの言葉は上っ面のものだ。


(期待はしていなかったけれどね)


 万一のためにと、ばば様から豪華版の衣装を持たされていた。

 ラウラの銀の髪に映える青の絹地で、その青は夫であるシメオンの瞳の色と同じ。ウェディングドレスにも使ったメㇾダイヤを、たっぷりとったドレープの裾にふんだんに散りばめている。

 耳飾りには白金にダイヤ、ツタ薔薇をモチーフにした白金のティアラと首飾りも。

 共生地で仕立てた長手袋は肘を十分隠す丈で、肩と胸元を露わにした夜会服ソワレの完成度を上げている。


「これを着て出るわ」


 夫の瞳の色を身に着けるのには抵抗があるが、ラウラは王妃だ。ここで逃げることができないのなら、王妃然として堂々と薄い青を着こなしてみせる。


「ラウラ様、この世で一番美しい貴婦人に、わたくしが仕上げてごらんにいれますから」


 戦闘態勢に入ったらしいオルガの目が、きりりと吊り上がっていた。


「御身の周りは、必ず我らがお護りいたします」


 テオは騎士の礼をもって、頭を垂れる。ルトは……「あの女、コロす」とか、不穏なことを口にしていた。


 知らぬ間に力が入っていたらしい肩から、すうっと力みが消えた。

 大丈夫、ラウラには心強い味方がいる。

 大丈夫だ。きっとうまくやりおおせる。


「お願いね」


 いつもの笑顔だった。

 



 王宮の南正面から入った一階、その大広間が、今夜の夜会の会場にあてられている。ラウラのいる王妃宮からは、回廊を伝って10分ほど歩いた先だ。

 中庭を右手に会場に近づくほど、妙な違和感を覚えた。

 行き交う人々、招待客の衣装の色。

 白?

 たまたまその人々がそうなのかもしれない。

 それが希望的観測であったことを、ラウラは会場前で知る。

 招待客の半数ほどだろうか。白い衣装を身に着けていた。



 夫シメオンとは、会場前の王族用控室で落ち合う約束になっていた。

 

「控室にてお目にかかりましょう」


 今日の午前中、急な訪問の去り際に夫はそう言い残した。

 ラウラが控室に入ったすぐ後に、夫は姿を現した。銀地の盛装に紫の飾りボタンがひとつ、胸元にある。

 ラウラの髪と瞳の色を意識したらしい盛装と飾りボタンに、いちおう最低限の体面は取り繕うつもりなのだと思う。

 そのシメオン、ラウラを一目見て怪訝な顔をした。


「やはり昨夜のことをお怒りですか?」


 がっかりしたような落ち込んだような顔だ。

 

「私のお贈りした衣装は、お気に召しませんでしたか?」

「お贈りいただいたのですか?」


 互いに、「え?」という表情になる。

 

「行き違いがあったようですね」


 シメオンには何か心当たりがあるらしい。気まずい話題を切り上げる。


「青をお召しになったのですね。とてもよくお似合いです」

「おそれいります、陛下」


 ラウラも話題の転換に付き合うことにして、シメオンの差し出す右腕に左手を添えた。


「国王陛下、王妃陛下、ご入来です」


 会場に足を踏み入れる。

 途端、人々の好奇と嘲りの視線がラウラに集まった。



「初夜はベキュ伯爵夫人とご一緒だったみたいですわ」

「薄い青の衣装など、恥ずかしげもなくよく着られましたこと」

「わたくしなら恥ずかしくて、とてもこんな場所には出られませんわ」


 ひそひそと、それでいてわざとラウラに聞こえるような音量で囁き合う声の波。


「白い初夜ですものね。ベキュ伯爵夫人もおやりになるものですわ」

「白の衣装をと急にお知らせいただいて、慌てましたわ」

「ええ、本当に。間に合わなかった方もおいでになるようですけれどね」

「ベキュ伯爵夫人に睨まれてはたまりませんもの。わたくしは間に合って、良かったですわ」


 なるほど。そういうことか。

 愚かなおしゃべり雀が、舞台裏で何が起こっていたのか、みんな暴露してくれている。

 見渡してみると、半数ほどだろうか。黒や赤や紫、白以外の衣装も目についた。

 黒の衣装は、アングラード侯爵だ。

 紫はバルト侯爵で、赤は王太后だ。

 少なくともこの三人は、自らの意思で白を着なかったのだと察せられる。それ以外の白を着なかった貴族たち、その思惑まではわかならいが、ひとつはっきりしているのは彼らがじっとラウラを観察していることだった。

 彼らは注意深く見ている。この場面を、ラウラがどうさばいてみせるか。王妃の力量を見定めるために。


 すっと背筋を伸ばして、ほとんど身体の揺れを感じさせず、ラウラは王太后の前に進んだ。そして腰を落とす。


「王太后陛下にご挨拶いたします」


 王太后ウルリカは婉然と微笑んで、ゆったりと席を立ちラウラの手をとった。


「よう参ったの」


 立ち上がらせて、耳元で囁く。


「愚かな息子がすまぬ」


 すっかり忘れ去られているように、母王太后から無視されたシメオンが遠慮がちに口を開いた。


「母上、ご機嫌うるわしゅう」

「うるわしゅう見えるか?」


 キンっと凍るような声と視線がシメオンに投げられて、王太后ウルリカはくるりと背を向けるとさっさと席へ戻る。

 母の怒りに心当たりのあり過ぎるシメオンは、ただ項垂れて俯いた。

 面目を失うにもほどがある。

 怒られて当たり前のことをしたのだ。その覚悟があってしかるべきだろう。母の怒りが怖いなら、最初から初夜のすっぽかしなどしなければいい。

 気まずい沈黙が数瞬会場にたゆたう中、招待客の来場を告げる声がかかった。

 


「ベキュ伯爵、ならびにベキュ伯爵夫人」


 一斉に、会場の視線が入り口に集まった。



「国王陛下、王妃陛下にご挨拶申し上げます」


 ベキュ伯爵、ウラリー・ド・ベキュの弟にあたる青年が、シメオンとラウラの前で頭を垂れた。

 その隣でほっそりと少女のような腰をした、かのベキュ伯爵夫人が軽く腰を落としている。

 家督は既に弟が継いでいるのだから、ウラリーは伯爵夫人ではない。本来なら前伯爵夫人と呼ぶべきところ、バルト侯爵の力添えでウラリーには伯爵夫人の称号をそのまま使うことが許されているらしい。


「王妃様には今宵の宴の趣向、お気に召していただけますでしょうか。皆、ご成婚を白の衣装でお慶び申し上げておりますわ」


 ありえないことが起こった。ベキュ夫人がラウラに声をかけてきたのだ。

 さすがに会場の皆が、息を飲む。そして好奇心をさらにたぎらせた視線が、こちらへ向けられた。


「陛下、どういたしましょうか?」


 ラウラはシメオンに、困惑しきった顔を見せてやる。「困ったわ、どうしたらいいのでしょう」と小さな声を添えて。

 ラウラは、この場で王太后に次ぐ身分の貴婦人だ。そのラウラに先に声をかけるなど、あってはならない。けれどこの愛妾は、自分にはそれが許されると思えばこその無礼なのだろうから、許すか否か、国王に聞いてやろうと思った。

 許すと言えば、国王は序列を軽視し王妃を蔑ろにし、ひいては王太后をも蔑ろにしたことになる。

 

「ラウラ、伯爵夫人に悪気はありません。どうか大目にみてはいただけませんか」


 機嫌を取り結ぼうと、ラウラの手を握って微笑みかけるシメオン。


「陛下がそうおっしゃるのでしたら。陛下からよくお諭しいただきますようにお願いいたします」


 シメオンにだけ、訓練された最上級の優雅な微笑を与える。目の前で屈辱に震える愛妾には一瞥もくれず。


「まったく……。どちらが年上やらわからんの。シメオン、そなた王妃によく詫びを言っておくことじゃ。

 おおそうじゃ。白い衣装についてもの、後できっちりわたくしにも事情を聞かせてもらいますよ」


 王太后の厳しい声と表情に、国王シメオンの顔色はさらに蒼くなる。


「白い衣装……とは?」

「よう見てみやれ。半数ほどかのう、誰に何をいわれたものか、白い衣装を身に着けておるわ」


 そんなことも気づかぬかと、「愚か者め」と王太后は小さくこぼす。

 ぐるりと改めて周りを見渡して、シメオンにもようやく理解できたようだ。

 白に終わった初夜を皮肉られていると。

 そしてそれは王妃となったラウラを貶めるもので、皮肉の標的はラウラなのだとも。


「ラウラ、本当にすまない」


 美しい白の眉を下げて、泣きそうな表情をする。

 ため息をつきたい思いを、ラウラは懸命にこらえていた。

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