第6話 あまりにも予想どおりで

 結婚式前のことで、ラウラが通されたのは貴賓室だった。

 荷物をようやく運び終えてほっと息をつく間もなく、その女性はやってきた。片付くのを見計らっていたかのように。

 

「ノルリアンの王女殿下にご挨拶を申し上げます」


 ウラリー・ド・ベキュと名乗ったその人は、濃茶の長い髪を大きくうねらせて腰まで垂らしていた。ほっそりした腰に大きな胸と尻、身体の曲線は見事としか言いようがない。

 黒目がちの大きな瞳でひたとラウラをみつめて、綺麗に唇の端を上げている。

 

 オルガの視線の温度が下がる。護衛のテオはかろうじて不機嫌と呼べるレベルを保っているが、ルトの視線にいたっては氷点下に近い。

 ラウラの許しなく姿勢を直し、あろうことか正面から見据えてくるなど、あってはならない無礼だ。彼らの反応はしごくまともだった。

 ラウラは無表情のまま、ウラリーを観察している。

 国王に礼儀作法を教えた乳母であれば、己の行動が無礼であることなど承知のはずだ。あえてそうする意味はなにか。

 王妃であるラウラより自分の方が上と、示しておきたいのだろう。


 ラウラがなんの反応もしないでいると、ウラリーは口元の微笑をさらに濃くして勝手に続ける。


「わたくしは陛下ご幼少のみぎりよりお世話申し上げてきた者です。王宮の暮らし一切について、おそれおおくも陛下よりわたくしが承っております。なにかご希望がおありでしたら、ご遠慮なくお申しつけくださいませ」


 王宮の暮らしの差配権は最高位の女性が掌握するもので、現在のマラークでいえば王太后がそれにあたる。王太后から任されたというのならまだしも、国王から受けたというあたり、王妃となるラウラへの敵意を隠すつもりもないようだ。

 自分に下ればよし。そうでなければ容赦はしないと、まあそんなところか。


(ばかばかしい)


 最初から政略結婚を承知で嫁いできているのだ。愛妾であるウラリーの存在は承知の上だ。寵を競うつもりなど、これっぽっちもない。むしろ勝手にどうぞと願うばかりなのだから、下手に関わらないでほしい。


「オルガ」

「はい、殿下」

「挨拶大儀と、伝えてくれ。それからわたくしは、休みたいので下がれと」


 直接言葉をかけるのも面倒だ。答えればその先、またきっと不毛な問答をしかけてこよう。

 次期の王妃となるラウラなら、国王の乳母であれ愛妾であれ、直答を許さなくても不思議ではない。むしろ下の身分であるウラリーが、ラウラに先んじてあれこれ言ってくること自体が不敬なのだ。

 面倒ごとは避けるに限る。

 ウラリーに一言も与えないで、ラウラはさっさと続きの間に消えた。


 その後、彼女ウラリーがどんな表情をしていたのか、ラウラは知らない。オルガやルト、テオは何も言わなかったし、聞く必要もないと思っていた。

 けれどどうやら、かなり怒らせてしまったらしい。

 その証はその夜、わかりやすい形をもってラウラの前に現れた。



「これを……、殿下に召し上がれと?」


 オルガの眉が吊り上がっている。

 夕食のテーブルに並べられた料理。それが原因だ。


 一度に乱雑に並べられた皿も問題外であったが、それよりもだ。載せられた料理の見てくれの方が問題だった。

 ぐちゃぐちゃに崩れている。

 まるでネコか犬が食べ散らかした後のように、ほぼ原型をとどめていないものがそこにある。

 元は鶏の蒸し焼きであったらしきもの、元はスープであったらしきもの、サラダであったらしきもの……。


「お毒見済みのものばかりでございます。殿下には、どうぞ安心してお召し上がりください」


 ずらりと並んだ給仕のメイドの一人、いちばん年かさに見える女性が意地の悪い笑みを浮かべている。

 オルガの眉がさらに吊り上がり、テオやルトの身体から殺気が立ち上り始めたのを、ラウラは視線だけで抑えた。

 兵糧攻めのつもりらしい。

 犬や猫の餌を食べるのが嫌なら、自分に逆らうなということだ。王宮に務める使用人は、皆自分の側の人間だ。おまえに勝ち目はないと。

 いやがらせにももう少し品格を意識すればいいのにと、ため息が出る。

 着いた初日くらいは、王宮の食堂で黙って食べてやろうと思っていたが、我慢してやる義理はない。

 そのまま席を立った。

 


 部屋へ戻るとすぐ、待ちかねたとばかりにテオが口を開く。


「あの女、殺していいですか?」


 右手のこぶしをバシバシと左手にぶつけている。怒りが収まらないらしい。


「俺が行く」


 ぽそりと漏らしたのはルトで、テオのよりも長い手袋をした右の手首を、ぎゅっと左手で掴んでいる。


「バレないように始末してきます」


 本気で言っているから怖い。ラウラを傷つけるものに、ルトは昔から容赦がしない。


「いいから、放っておきなさい」


 笑いながらラウラは二人を止めた。


「かえって気が楽になったわ。食堂へ行かなくても良くなったんだから。明日からここで食べましょう」


 そうすれば万が一にでも、国王に会うことはない。挙式当日まで、できるなら会いたくもないのだから、城内をうろつかないに限る。

 けれどそれには、食材の調達や厨房の準備が必要だ。

 貴賓室にいる身、つまり客分扱いの待遇では、厨房への出入りも自由にはならない。

 当面はノルリアンから持ち込んだ非常食でしのぐとして、火を使えないのはいろいろと不自由だ。

 この様子では入浴に使う湯も用意しないつもりかもしれない。


 どうしたものかと庭に目をやって、閃いた。

 ばば様の元で暮らした二十年、いざとなればなんでも一人でできるようにと、掃除洗濯炊事に薪割りまで仕込まれたのが役に立ちそうだ。

 王妃として嫁いでも、いつその地位を失うかもしれない。高い地位にいる者ほど、その危機感を強く持て。ばば様は繰り返しラウラにそう教えてくれた。

 地位を失ってはいないが、生き残るために今、ばば様に教わった技が必要だった。


「庭にかまどを作りましょう」

「そうですね。火は必要でしょう」


 ラウラの発案に、すぐにテオが反応する。


「レンガがあれば簡単なんですが……。この花壇の周りの縁石、使っていいですかって、使うしかないですね」


 さっさと縁石を引っこ抜き始めた。無言でルトも、手伝う。怒っているらしいのは、引っこ抜く速度が速いのでわかる。

 庭師が丹精こめて作った庭を壊すのは申し訳ないが、今は目に美しいことより火を熾すことの方が優先だ。


「風呂の湯まで用意するのであれば、竈はひとつじゃ足りませんね」


 テオがそう言えば、「調理場を制圧するか」とルトは平然と言う。ラウラはオルガと顔を見合わせて笑った。


「物置で生活しなさいと放り出された時のこと、憶えてる? 自分でなんとか暮らしてみせよと、たしか七日だったかしら。ばば様に感謝するわ」


 王宮で暮らす用の上等なドレスは邪魔だった。裾はひらひらしているし、丈は長すぎる。さっさと脱いで、動きやすい普段着に着替えた。コルセットを外すにはオルガの助けが必要だったが、後は一人でできる。これもまた、ばば様にしこまれた王妃サバイバル教育のたまものだ。

 ドレッサーの引き出しから適当なリボンを取り出して、長い髪を束ねる。

 これでずいぶん動きやすくなった。

 


「オルガ、買い出しを頼める? テオはオルガの護衛について行って。荷物持ちもお願い」


 ウラリーの悪意が明確になったからには、今後もなにかと邪魔だてしてくるだろう。例えば飲料水、生活用水、下水処理、新鮮な食糧。

 結婚式当日、ぼろぼろに疲れ果てたラウラが惨めな姿をさらすのを、楽しみに待っているらしい。きっと城から出るのも、戻ってくるのも邪魔をする。

 ここは王太后に頼むしかないか。


「城下へ買い物に出たい。その許可をと、王太后陛下に願い出るわ」


 オルガを使者として送ると、即座に許可は下りた。自分の馬車を使えと、願ってもないオマケ付きで。

 貴賓室での生活ぶりを聞いた王太后は、「さすがエドラ様の薫陶よろしきを得た王女だ」と喜んでいらしたらしい。

 ともあれこれで当面の、挙式までの買い出しルートは確保できた。

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