第8話 即日採用
「ということでな、まあなんか変な会社だったよ」
妻が淹れてくれた紅茶を啜りながらなんとなく、今日の面接と試験の話をしてみる。
「環境的には働きやすそうだったの?」
「うん。なんだかブラック企業特有の重い空気感は無かったかな。ただ若干集められた人が心配なだけで」
印象的だったのはあの高校生であるが、それ以外にもアニメのTシャツを着て来た青年だったり滅茶苦茶古いパソコンを大切そうに抱えてきていた人などと、様々な人が会場には集まっていた。ちなみにその中でも俺は目立っていなかった方ではあるので、印象的は薄いかもしれないなと若干思っていた......のだが、しかしそれはただの杞憂に過ぎなかったということが直ぐに証明された。
「......ん?ああ、すまない。メールが来た」
滅多にメールが入ることのない個人持ちのスマホが震える。
支給されている仕事用の端末には毎日おびただしい量の通知が入るのだが、俺個人の携帯には実はほとんど連絡が入らないのだ。まあ家族があまりスマホを使わないということも原因の一つなのだが。
しかし逆に言えばそれだけ珍しい個人携帯への連絡ということで結構まずい内容な連絡が来ている可能性もなくはないので、俺の携帯の連絡に関してだけはいつも早急に確認するように心がけているのだ。
*
件名:採用決定のご連絡【株式会社アンカー】
後藤 毅 様
株式会社アンカーの採用担当 相沢です。
本日はお忙しい中を弊社の採用面接にお越しいただき、誠にありがとうございました。
選考の結果、後藤様のエンジニアとしてのスキルとご経験、弊社への姿勢などを高く評価し、弊社社員として採用することに決定いたしました。
つきましては入社承諾書を別途郵送いたしましたので、必要事項をご記入の上、◯月◯日までにご返送いただきますようお願いいたします。
なお、期限内にご連絡がない場合は、辞退のご意向として承りますことをご了承ください。
ご不明な点等ございましたら、採用担当者までお問い合わせください。
後藤様のご入社を、社員一同心よりお待ちしております。
メールにて恐縮ですが、まずはご連絡申し上げます。
何卒よろしくお願いいたします。
*
受かったらしい。
「..........うん」
「何かあったの?」
「......どうやら面接、受かったらしい」
即日採用通知である。普通もっと面接担当の間で吟味したりして選別するものではないのだろうか。一応転職サイトの方でも面接から通知までは時間が多少かかると書いてあった気がするのだが?
「早いわね」
とはいえ通知が早いのはありがたい。何故ならすぐに会社を辞める事が出来るからである。
「それで結局、転職はするの?」
そこが問題である。
現職はもう去りたいのだが、正直あの会社が若干怖いのだ。明らかに一般的な概念から逸脱した質問ばかりを投げかけた挙句に採用してきた社長や謎の女子高校生、そして集った何人もの明らかにヤバそうな
正直これまで古い概念に固まって退屈で訳の分からない仕事ばかりをしていた俺がその中に馴染める気がしないのだ。
「正直少し悩んでいる」
「そうなの?」
「ああ。あのクソ企業で働いてきた俺なんかが面接に居たエンジニア達の中で馴染める気がしない」
「何言ってるのよ。そのクソ企業から脱出する為に転職するんでしょ?」
「目的を見失っちゃいけないのは解っているが......」
「でも多分今動かないと後悔するわよ?それにまだ雰囲気が固まってない以上はある程度馴染み込みやすいを私は思うけど」
「まあ、そうだな」
踏み切りが悪いのは俺のいつもの悪い癖だ。確かに妻の言う通り、俺は今の会社を辞める為に転職活動をしてきたのだ。此処で踏み切らないとまた後悔するだろう。それに前も言った通り、もう家族に心配はかけたくないのだ。
「辞表はもう書いてあるから明日にでも出してくるよ」
さり気なく上司には辞めるという旨を伝えていたが、いざ辞めるとなった時にビビってしまった俺は弱い奴だなと思った。
しかしもう今更である。鼻で笑っていたあの上司に辞表を提出したら後は有給消化でもしてやろう。どうせあの会社は社員を使い捨てているのだ、引継ぎも何もないだろう。
「そう、辞表のストックは書いてあるの?」
「一応。上司が受け取ってくれるかは分からないが一応予備含め五枚は書いた」
ブラック企業を辞める時あるある、辞表のストック。SNSで知り合いのエンジニアさんが辞表は基本的に破られるから数枚書いておいた方が良いと教えてくださったので書いていたのだ。皆苦労してんだなと思った。
「それだけあれば十分ね。一応辞表を提出するときに『辞める』という意思を伝えた証拠になるからボイスレコーダーも隠し持っておくといいわよ」
「成程」
「でも本当に困ったら私が動くから安心していいわよ?」
そう言って昔と同じように口に手を当てて笑う妻。恐らく敵に回したら後が怖いんだろうな、なんてことを思いながら再び紅茶に口をつけた。
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