死ぬとは

前回「生きる」の定義に

2つ疑問を持ったと述べた。

片方については語ったが、今回はもう一方

について話そうと思う。


それは、「死ぬ」とは「生きる」の対義語なのか

ということだ。


「死ぬ」という言葉を調べると、

命がなくなること。生命がなくなること。

生命が存在しない状態。

とある。

この中の3つ目である「生命が存在しない状態」

が生きるの対義語として当てはまりそうだ。

しかし前回述べたが、生命とかいった単語は

生物学上のものである。


生物学から離れて私の意見を述べるなら、

死ぬとは「この世で生きているものが

その1つの生涯につき一度だけ迎える転換」

だと考える。

加えて、もしあの世や来世があるのなら、

私たちは死んだ後も生きている。

また、死とは全てのものに訪れるとは

限らないと思う。

どういうことか述べよう。


まず、あの世や来世がないのなら、

私達の精神は消えて無になる。

ただ、おかしなことに聞こえそうだが、

私は、死体は生き続けると考える。

前回私が述べた「生きる」の定義を

覚えている人は理解できるだろう。


次に、あの世や来世があるのなら、

死ぬとは「生きる場所を

その世界に変化させること」だと思う。

例えるなら海外にでも移住するような感覚だ。

死んだ後もどこかで生きる営みを続けるから

「あの世」「この世」という言葉が

作られたのかと私は考えた。

英語であの世を「the other world」

と言うことがあるらしい。

もう1つ世界が広がっているイメージだ。

仮に私たちが死んでも、

そこで生き続けているかもしれない。


ちなみに私はあの世や来世があるかどうか

を問われたら「あるかもしれないし、

ないかもしれない」と答える。

はっきり「ある」とか「ない」とか答える人は

カント(哲学者)に叱られたらいい。


また、死とは全てのものに訪れるとは

限らないと思う、と述べた。

例えば生物学上、生物ではないもの。

雲やノートや机。これらは死なずに

この世で循環を続けると思う。

しかし、生物の中にも、死なない個体が

いるかもしれない。

ベニクラゲは不老不死だと言われている。

この生物が登場したことで、生物学上の

死の定義が揺らいだかもしれない。


私は、人間の中にも死なない個体が

あるかもしれないと考える。

常識的に考えると人は皆死ぬが、

何故そう言われるのかというと、

帰納法でその結論が出たからだ。

帰納法を知らない人に分かりやすく

説明すると、

「Aさんが死んだ。Bさんが死んだ。

Cさんが死んだ。だから人は皆死ぬ。」

といった感じに個々の事例から

普遍的な結論を出すことである。

ただ帰納法には穴があり、

反例がないという証明が出来ないのである。

ないことを証明するのは悪魔の証明だ。


もしかしたら私は不死の存在かもしれない。

もしかしたらあなたは不死の存在かもしれない。


あなたは死についてどう思うだろうか。

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