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    読みやすくて、とても面白かったです。
    読後に思考がぐるぐると回り続けたことも含めて、とても好きな作品です。


    以下は本当に個人的な感想(考察?)なので、少しでも「何言ってんだこいつ」と思ったら即削除をお願いします。


    二人の少年が抱えている「罪」について、結構考えました。

    二人の少年が取った行動は、果たして本当に「正義感」から来る行動なのかなーという疑問が最後まで残っていました。

    落ちこぼれていた自分達よりも人間的に「酷い存在」「劣る存在」が目の前に現れたから、口実があったから、鬱憤を晴らすように石を投げたのではないのかな?と。
    作中で「正義感」を理由にしている部分がありましたが、それも自身の罪を少しでも身綺麗にしたいという無意識の逃避から後付けされた理由なのではないかな?と。

    落ちこぼれという設定がなければ素直に「正義感」という見方ができたのですが、そのあたりが最後まで引っかかっていました。作中で「俺」は無知を強調しているようにも見えたので、そこを落ちこぼれと繋げるのが正しい読み方なのかもしれませんが、このあたりは今このコメントを書いてる時点でも正直まだ揺れています。

    作中の「お前」が女性に対して吐いた台詞は、赤ん坊を捨てた女性にではなくて、本当は苦労させられた自身の親へ言いたかった言葉なのではないかなー?とも思いました。自分の親には言えないから、自分よりも人間的に劣ると無意識に判断した相手に、それこそ鬱憤を晴らすようにぶつけたのではないかと。

    そういった読み方をした上で、改めて二人の少年を見ると、彼らも被害者なのですよね。全ての人間が「優」では成り立たず、一定の「劣」がいないと成り立たない、人間社会というシステムにおける被害者。

    どうしようもない二人の少年と、どうにもならない女性。そして誰よりも無力な赤ん坊。この縮図のような構図に気づいたとき、この作品がより好きになりました。



    作者様の意図するところとは大きく逸れた誤った読み方をしているのだろうなーという自覚はあります。もし、このコメントが今後この作品を読む読者の方々にとってノイズになるようでしたら、コメント削除をお願いします。

    長文、失礼しました。

    作者からの返信

     拙作を深く読み込んで下さり、誠にありがとうございました。
    しかも考察までしていただいて、作者冥利に尽きるというものです!

     二人の少年の行動は「正義感」から来るのか。
    との疑問にお答えできているかわかりませんが、作者なりの所感を記させていただきますので、もしよろしかったら、何かの足しにしていただければと思います。

     この作品では、白黒思考の危うさについても描きたかったので、あえて、清廉潔白な優等生を主人公に置かず、落ちこぼれの「俺」を登場させてみました。
     それによって、悪い事をした「あの人」も、自分と同じ様々な矛盾や葛藤を抱えた人間だった事を、白黒思考の「俺」に知ってもらえたらと思ったのです。

     主人公の「俺」は落ちこぼれで、自分をどうしようもないと思っている一方で、ヤンキーを見下したり、自分は何者にでもなれるのだと妄信したりする、選民意識も持っています。
     自己評価に矛盾を抱えているわけです。
    ですが思慮にかけるため、他人も自分と同じように明暗入り組んだ複雑な事情がある事を想像できません。

     彼が赤ん坊の泣き声をきいたとき、「頬をはたかれたような衝撃」を受けたのは、純粋な驚きと乳児の母親に対する怒りがあったのでしょう。
     そのため、母親が改心する可能性にかけ、彼女を見逃し、赤ん坊の未来を託すことはしませんでした。

     そこに、自分より下の立場の人間を見つけた喜びとでも言いましょうか、加虐心は生じていなかったと思います。

     しかし問題なのが、「俺」にとって「あの人」は、虐待をした時点で純度100%の黒であり、叩かれて断罪されても文句の言えない、「悪」であることなのです。
     もう少し彼が大人で、思慮深かったなら、本心はどうあれ、相手にも何かしら事情がある事が考慮できました。
     しかし「俺」にとっては「悪」に石を投げるまでが「正義」。
     それが後に「薄っぺらい正義」と称したものの正体というつもりで書きました。

     しかし、人間の内面とはそこまでかっちり割り切れるものではないでしょう。
     ですから、東雲様のおっしゃる通り、自分を身綺麗にするためという考えが、彼の中に、完全に無かったと私は断言したくありません。
     しかし、もし俺にその気持ちがあったなら、先に書いた未熟な正義感と共存するものであるはずだと私は思います。

    「お前」の発した言葉に関してはお察しの通り、本来自分の親にぶつけなければならない言葉です。
     彼の目には、「あの人」が、自分の母親に見えて、何も言わずにはいられなかったのかも知れませんね。

     以上が作者としての見解ではありますが、それが必ずしも正解とは限らないのが小説の醍醐味であると私は思っています。
     東雲さまに少しでも楽しんでいただけたなら、本望です。

    ありがとうございました!

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    一読して拙作「ウィンナーコーヒーと八重桜」に似たシチュエーションの話だと思いました。

    https://kakuyomu.jp/works/16816452219738934283

    むろん、パクリとかそんな言い掛かりを付けたいわけではありません。

    拙作は八重桜の花吹雪、いわば春も盛りの季節なのに対してこちらは本物の吹雪の季節でそれが人生の厳しさそのものと重なります。

    拙作は本人も希死念慮を抱えた求職青年と新米ウェイトレスが赤子を置いて死のうとする母親を目撃する展開です。

    この男女二人は飽くまで事件の傍観者的な立場だという経緯もありますが、本人たちもそれぞれ挫折感を抱えた大人の世界に足を踏み入れているため母親を責めることはしません。

    御作は高校卒業間近の、いわば少年から青年に移り変わる時期であるハイティーンの男子二人が産み捨てしようとする若い母親(恐らくは少女に近い年配)に遭遇する、かつ全員にとっての本当の悲劇が母子を助けたはずの後に訪れる点で大きく異なります。

    まだ社会に出る前の、十代の少年の未熟さや残酷さが結果的にギリギリの所で生きていた相手を殺してしまう、それが残された彼らの重い十字架になる展開がやりきれないですね。

    語り手は引き篭もり、親友の彼は外国を放浪という一見対照的なようで実は同じ自分を受け入れられなくなった傷を抱えた故の行動なんですよね。

    かつての赤子だった少女が亡くなった母親の怨霊めいた面も持ちながら救いの女神に転化する結末に優しさを感じました。

    作者からの返信

    レビューに加えてコメントまでいただき、誠に有難うございます。感無量です!

    『ウィンナーコーヒーと八重桜』、さっそくフォローさせていただきました。この後拝読します!

    登場人物の行動(ひきこもりと放浪)まできちんと読み取ってくださって、本当にうれしく思います。流石です。

    この作品は、悲惨な境遇を巡った「赤ん坊」はもちろん完全なる被害者なのですが、ぎりぎりの所で生きていたお母さんも、ある一点においては被害者であり、なんとか出来なかったのかなぁという気持ちからスタートしています。

    まさに吾妻さまのレビューにあった通り、正義の名の下に断罪することの残酷さを、傷つけたら元には戻らない傷跡についてをも、交えて書きたかった作品です。

    未熟さ故に欠点の多い作品になってしまいましたが、コメントやレビューにて大変励まされました。
    本当に、ありがとうございました!