結婚後夜
曇戸晴維
結婚後夜
結婚した。
正直に話すと非常に大変だった。
そしてそれ以上に幸せなものだった。
そこで私は忘れないうちに記しておこうと思う。
いかに『結婚』という『行政システム』がいかにめんどくさく、いかに【結婚】という【契約システム】が幸せかということを。
まず私たちの場合、特殊――といっても現代日本においてはそこそこ同じ境遇の人間はいるだろう境遇であることを言っておく。
なので結婚を考えている人、将来結婚を夢見ている人にとっては「めんどくさっ」と思うこともあるかもしれない。
でも安心してほしい。
一般的な結婚となれば格段に楽なはずだ。
特に某婚活雑誌を参考に、なんて層にはほぼ関係ない。
それほどに私たちの場合、特殊であったと言える。
では、私たちが『結婚』という『行政システム』においてどんな事情だったか羅列するところから始めよう。
私たちは年の差が十ほど離れている。妻が年下だ。
名字は妻の名字を使うことにした。
二人共、出身地は遠方である。
賃貸物件で暮らしており、名義人は私である。
私はほぼ親族と縁を切っているし、親族は自分たちの生活で必死である。
私たちの友人は遠方に多く、近所にはほとんどいない。
二人で役所に届出へ行きたいが、平日に動けるのは私だけであるため日曜開庁を利用した。
と、まあ羅列したものを読むだけならば「これのどこが特殊なの?」という感想になるだろう、そこそこ現代において見かけるタイプだ。
すでに結婚をしたことのある人、特に女性であればこの羅列を見て「うわ、これめんどくさいやつだ」とわかってくれる人もいるかもしれない。
さて、順を追って話そう。
『結婚』に伴って様々な話し合い、ときにはケンカも挟み、決意を固めた。
そして入念な下調べのもと、婚姻届に記入する。
第一関門は本籍地の記入である。
昔は遠方への引っ越しに伴い本籍地を移動するということが常識だった。
現代日本において学校を卒業し、遠方に就職したため夢広がる一人暮らしを始めるというのはよく聞く話である。
特に地方から都会に出てくることも珍しくなく、これは昔も「出稼ぎ」と称して子どもが親元を離れ都会で稼ぐものがあった。
そしてこの引っ越しに伴って本籍地を変える、ということは今も昔もあまりしないのではないだろうか。
さすがに一人暮らしで賃貸物件を借りることが普通になった現代は現住所を変えることはあるが、昔は親類縁者の元に下宿したり、寄宿舎や長屋、寮などに住むことが多く、現住所さえ変えないということも多々あったという。
当然、地方出身の私たちも現住所こそ変えているものの本籍地についてはそのままだった。
私の方はもはや四十も近い年齢なのだし地元に戻る気もないのだからさっさと変えればいいものだが、そこは私の怠惰な性格上の問題だ。
本籍地記載の住民票など数回取り扱えばいい方であるし覚えていない。
しかし解決法は簡単だ。
一字一句間違うことが許されないし、どうせ婚姻届と共に戸籍謄本も提出しなければいけないのだ、と取り寄せることにした。
戸籍謄本は本人が本籍地の役所に赴くか、家族に頼む、または別途委任状を書いて現地の親類縁者に頼むこともできる。
そうでなければ郵送による取り寄せもある。ただし、これには二週間程度を要する。
そこで、そういえばマイナンバーカードを使えばコンビニでプリントできるのではないか、と思い立った。
我ながらよく気付いたと思い、喜び勇んでコンビニのプリンターにマイナンバーカードをかざす。
画面に表示される指示に従い入力するものの、私は気付く。
戸籍謄本のプリントには、その戸籍謄本を管理する役所への申請が必要なのだ。
しかも、その入力事項には本籍地を記入しなければならない!
私はその本籍地を確認したいのだが……とがっくり項垂れてコンビニを後にしたのは言うまでもない。
仕方がないので疎遠になっていた家族に頼み込んで取得してもらい、郵送してもらった。
結婚するから、といえば根掘り葉掘り聞かれるのも当然のことで、それに辟易しながら、ただそれでも「おめでとう」と一言貰えただけで報われた気がした。
妻の方は年始に合わせ、帰省をしたので簡単だった。
直接、本籍地のある役所へ行き、取得してきた。
第二関門は証人の欄だった。
なってくれる人がいない、ということではない。
証人欄には現住所と本籍地を併記する必要があるのだ。
つまり、先に書いた通りだ。
証人になるのは構わないが本籍地など覚えてないという人は多く、御年配の方ならと頼んでみるとそれはそれで長い年月の中で市町村区の統廃合の関係で「あれ、どうなってたっけ」という人もいるだろう。
証人は二人必要だが、一人は私たち共通の友人で、もはや家族以上に家族である人だ。
その人は同一市内に住んでいるため、本籍地確認の為、全部事項記載住民票を取りに行ってくれた。
もう一人は、妻の帰省に合わせ、妻が幼いころからお世話になった地元の御婦人にお願いしたのだが、市町村の統廃合の関係でやはり曖昧に覚えていたらしく、後日わざわざ役所で確認してきてくれた。
いくら祝い事であるとはいえ、二人には手間をかけさせてしまって申し訳ないやらありがたいやらであった。
そうして無事、婚姻届の記載は終わった。
次は、届出を出す当日である。
令和6年1月28日、日曜日だ。
二人で出しに行きたい、というなんとなくの感情と、平日は妻が厳しいという事情。
ちょうどよく大安吉日であり、後述するが私が尊敬するキリスト教の聖人であり哲学者でもあるトマス・アクィナスの記念日である。
そして月に一度ある役所の日曜開庁日であることから、この日に決めた。
役所へ婚姻届を提出し、時間はかかってもその日のうちに様々な手続きを終わらせてしまおう、必要な書類も取ってしまおうという気でいた。
記入事項に問題はなく、戸籍謄本も二人分あり問題ない。
が、しかしここで第三関門である。
先に書いたように証人欄には現住所と本籍地の記入欄がある。
考えてみれば当然のことなのだが、これの確認作業が必要なのだ。
同一市内在住の友人の方は当日確認が取れる。
しかし、妻が帰省の際にお願いした御婦人は当然、現住所もそちらである。
日曜開庁はその市町村による。そちらの役所は、休日なのだ。
なので、確認は翌開庁日になる。
つまり、婚姻届の受理は手続きとして終わるものの証人の情報の確認が取れ次第、遡って1月28日が婚姻日となる。
そのため、行政システム上のデータが入力されるのはそれが終わってからなので、当日行われる行政側の作業は同一世帯に変更することだけである。
なので、婚姻後の状態の住民票などは後日になるのだ。
なにもできることはない。
それが結論だった。
なお、役所からは記念にマスコットキャラクターが書かれたタオルハンカチを一枚貰った。
とは言っても、役人という仕事は大変なのはわかるし行政を責めるつもりはない。
仕方がないので後日、受理の確認とマイナンバーカードの氏名変更手続きのため訪れることにした。
さて、2日後である。
一人で役所を訪れ、総合案内担当に事情を説明する。
届出窓口で言われたのは、婚姻届は確認受理も終わっているが、まだ住民基本台帳に反映されていないということであった。
これだからお役所仕事は、と憤りたくもなるが先も言った通り役人も大変なのである。責めるつもりはない。
それが終わらないとマイナンバーカードの変更もできないというので待つしかない。
おまけに住民基本台帳のデータが更新されなければ住民票の写しが出せないのはもちろん、国民健康保険の氏名変更もできない。
おとなしく、番号札を貰って待つ。
それと合わせ先に住民票の写しの取得のための用紙を記入する。
新しい名字に慣れず、二度ほど間違えそうになった。
別の窓口に行き、届出窓口で言われた説明をしながら用紙を渡す。
担当者の理解力が高く私の拙い説明でも理解し、届出窓口へ確認に行ってくれた。
そうして証明発行窓口でも番号札を貰う。
そうして住民基本台帳データが更新されるまで一時間ほど待ち、番号が呼ばれる。
証明発行窓口でもらった番号だ。
お渡し口に行くと、言われた。
「身分証明書のご提示をお願いします」
まあ、当然である。
だが、住民票の写しは免許証の氏名変更のために必要なのだ。
マイナンバーカードの氏名変更は終わっていない。
当然、受け取れず、自分が今、身分証明書がないことに一瞬不安を感じた。
ほどなくして届出窓口にも呼ばれマイナンバーカードの氏名変更も終わり、住民票の写しも貰うことができた。
ここまでに、「私が妻の姓になり、世帯主は私である」という説明をした回数は計5回。
対応したくださった人数分である。
なかなかに珍しいことなのだろう。
さて、次は国民健康保険証の更新である。
さらに窓口を変え、説明する。
6回目の説明だ。
手続きは簡単だと説明を受けながら、「あなたが世帯主なので、もし奥さんの保険証も預かってきているなら一緒に手続きをしてしまえる」というのでしたり顔で妻の保険証も提示した。
すると、担当者が不思議な顔で言うのだ。
「ん?奥さんの保険証、これ2つ前じゃないですか?」
何を言っているのかわからなかった。
妻は最近も歯医者に行ったし、問題なく使えている。
なので、順を追って説明してみた。
私たちは28日に婚姻届を出し、受理され、それまでは同棲はしていたが別世帯である。
この同棲期間に別世帯であったことが担当者の中の違和だったようだ。
思えば、日本の古い慣習として恋人関係での同棲期間というのが一般的になったのは歴史が浅い。
その上、女性が自分で収入を得て一人暮らしするというのも珍しくなくなったが、まだまだ男性と平等とは言い難い。
そうであれば、今より以前の感覚で言えば、恋人関係の同棲期間であっても同一世帯というのが普通だったのだろう。
このあたりは、私の知識不足なだけで今でも同棲といえばそうなのかもしれない。
兎にも角にも、担当者にはそういう感覚があったのだろうと思う。
つまり、世帯主表記が私の旧姓になっている保険証が最新のものであるという頭でいたのだ。
ともすれば私たち夫婦は一足飛びに婚姻したように見えるわけだ。
担当者が納得したあとはスムーズに更新は進み、無事二人分の保険証を手にした。
この一日の流れが第四関門だった。
その後は警察署へ行き、免許証の更新、賃貸マンションの管理会社に連絡し氏名変更の手続きとつつがなく終わった。
さて、やるべきことはまだまだある。
銀行、スマホ、クレジットカード、ポイントカード、キャッシュレス決済サービス、各種会員登録の内容。
結局これらすべてが終わったのは婚姻届を出して十日後のことだった。
日常生活を送りながらこれらをこなすのだから大変だった。
少なくとも私には、大変だった。
しかし、同時に【結婚】という【契約システム】は自分の想像を遥かに超えて幸せなものだった。
まず第一に祝福だ。
私たちは出不精で友達付き合いも少なく、私に至っては親族一同からも距離を置いている。
故に名字を妻のほうにした、というのがあるのだが、一応、祝い事であると家族に連絡をした。
私は彼らを苦手としていたし、彼らも私をなんとなくよくわからないものとして扱っていた。
私は、それでも家族であるのだから、どうしようもなく困っているようで私できることなら彼らに施す気でいた。
そうはいってもあちらはどう思っているのか知らないので、おざなりにしているうちに今の適度な関係性に落ち着いた。
だから、せいぜい一言、祝いの言葉でも貰って近況を聞かれる程度だろうと思っていた。
しかし、電話越しの彼らは神妙な声で言うのだ。
「おめでとう。幸せにな」
と。
近況もほどほどに、姓を変えたというと、少しばかり悲しそうに言う。
ただ、一言。
「そうか」
そこに彼らがどんな思いを込めているのかはわからないし聞かなかった。
彼らも私に告げなかった。
ただ、彼らは彼らなりに今もなお私を心配していて、彼らなりに愛してくれているというのを感じられた。
私は結婚をしなければ、そんなこと気にもとめなかっただろう。
これからもきっと彼らとは今までのようにお互いにほどよい距離を保っていくのだろうと思う。
それでも、彼らがきっと、おそらく私が彼らを想うのと同じくらい想ってくれていると感じられたのは本当に幸いだった。
出会う人、関わる人、ありとあらゆる人から祝福の言葉を貰った。
リアルの関係でもネットでの関係でも、付き合いが長くても短くても深くても浅くても、おめでとう、と言われた。
もちろん、私だって知人が結婚したと聞けばおめでとうと言うだろう。
誰だって言うだろう。
それが、言われる立場になってみてよくわかった。
言う側が思っている一億倍以上に嬉しいのだ。
比喩ではない。
言われるたびに、メッセージを受け取るたびに、笑顔が溢れるほどに嬉しい。
認められる喜びであり、公言できる喜びだった。
考えてみれば、人が生きていてなんの憂いもなく良い報告として言えるのは結婚と出産くらいではないだろうか。
試験であれ就職であれ、上には上があるものだ。
その報告は確かに良い報告だが、謙遜が含まれるものである。
結婚報告には謙遜がこれっぽちも介入する余地がない。
なにも恥じることがない。
状況に寄っては祝う側が思うところある場合もあるのだろうが、言う側にはないのだ。
ないから結婚するのだ。
これのなんとすばらしいことか。
その他にも喜びはたくさんあったし、今もなお、ある。
日々発見の連続だ。
だがこれ以上は割愛させてもらう。
いちいち同じ姓なのが嬉しいだとか、旦那さんと呼ばれるのが嬉しいだとか、生活や経済の悩みさえ真に共有できているのが嬉しいとか、惚気にしか聞こえないからである。
そしてそのひとつひとつが大きな幸福で、数え切れないほど降り注ぐ。
未婚者でも既婚者でも、結婚について思うところがないという人はいないだろう。
出来ることならしたい。
結婚は人生の墓場だ。
しなくても変わらない。
憧れがある。
人それぞれのイメージがあると思う。
そして人はそんな自問自答や、時には他人との会話で結婚って結局なんなんだろう、と考えるときがある。
周りに肯定する人が多ければ、漠然と肯定的になるであろうし、否定する人が多ければその逆だ。
そんな人たちのために、私は言う。
理路整然と出来事と労力を考えればメリットなどない。
だが、それを超越する感情の豊かさが待っている。
だから、よくよく考えなければいけない。
世の中にはときに失敗と呼ばれる結婚もあるだろう。
それでも結婚を決めたとき、したときの祝福は誰だって受けている。
その喜びを忘れてはいけない。
そして見極めなければいけない。
自分たちが門出の祝福を受けるにふさわしいかどうかを。
それをきちんと考えられる二人ならば、どれだけの労力をかけようが喜びが勝る。
理屈だけど、理屈だけじゃない。
感情だけど、感情だけじゃないのだ。
だから、私は強く、言い残そう。
『結婚』はめんどうくさいけど、【結婚】はとても幸福だ。
結婚後夜 曇戸晴維 @donot_harry
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