2話 株式会社イルネスカドル本部
地図を見直しながら歩くうちに、いつしか街のメインストリートを離れたようだ。
所狭しと建物がある事に変わりはないが、長い歴史を感じる石造りの建造物は徐々に減り、最近作られたであろう新しい木造住宅が増えていった。
通る人々の様子は先ほどより穏やかで、のんびりとしている。
大きな河に沿って西へしばらく歩き、民家よりふた回り大きな木造施設が立ち並ぶエリアで地図を見直した。
「この辺だよな? 都会の地図、細かいんだよな……」
事前の情報を元に目的地を探すと、すぐにそれらしき建物が見つかった。
二階建ての、横に広い木造の施設。直方体の真ん中に三角屋根のログハウスが建っているような構造をしている。
正面入り口へ向かうと、ドア横にまだ新しい表札があった。
『株式会社イルネスカドル 本部』
身も蓋もない社名は、俺の転職先、兼引越し先で間違いない。
懐中時計を見ると約束の十時の五分前。
「お、丁度いい時間だな。間に合ってよかった。訪問しちゃおう」
ドア上部につけられている小洒落たベルのロープを引くと、軽やかな音が鳴った。
ベルが光り、控えめの可愛らしい女性の声が響く。
『いらっしゃいませ。ご要件をどうぞ』
企業の受付対応をされるのは久々で、動揺してしまった。
「あっ、と。本日からお世話になる予定のルークと申します。レイジ様とお約束させていただいております」
『――お待ちしておりました。正面ドアからお入り頂き受付でお待ちください』
「ありがとうございます」
中に入ると、すぐ左側に受付台。この前で立って待つことにする。
えんじ色の敷物の上に据えられた二組の木製の机、椅子、スクリーンのセットが可愛らしい。大きな窓からの採光も相まって小綺麗な空間である。左右両方の壁には『関係者出入り口』と書かれたドアがあった。どうやらこの部屋は応接間になっているようだ。
しんとした空気に、緊張してきた。嫌な汗が気になる。
深呼吸をしていると、右手の関係者ドアが開き、メガネの男性が頭を下げながらこちらへ歩いてきた。
「ども、ルークさんですね。遠路はるばるお疲れ様です。まあどうぞ、お荷物を置いてお座りください」
若く見えるが小慣れた態度の男性は、黒髪に質の良さそうなスーツが似合ういかにもビジネスマンと言った風貌。やや砕けた話し方から、警戒心を解こうという意図と、この人の自信を感じ取ってしまい、素直に油断することができなかった。
促されるままに席につく。男性は
「株式会社イルネスカドル代表取締役をさせてもらってます、レイジです」
「ルークです。よろしくお願いします」
「うん。改めて、入社承諾ありがとう。ルークさんの療養、生活、仕事を全力でサポートさせて頂きます。まあ、小さな会社だから、すぐ上の先輩だと思って頼って」
「お心遣いありがとうございます。一日も早く貢献できるように頑張ります」
前職の兵団では見られない人種だった。爽やかな笑顔とハキハキした話し方に正直気圧される。だが、俺だってそれなりに働いた身。微笑んでスムーズに応対して見せる。
レイジさんはうん、と返事をして、
「今日は施設案内と顔合わせ、書類関係とルール説明だけ。その後は自由に荷解きとかしてて。まずは、メンバーと顔合わせをしよう」
「あっ、はい」
自己紹介を考えてなかったなと思っている間に、妙な沈黙が流れる。
笑顔のレイジさんが細く鋭い目で俺をまじまじと見直し、ふぅんと呟いた。
「君、応対は普通で常識もありそうだし、見た目もおかしくないね」
これは、褒められているのだろうか。
「あ、ありがとうございます」
「――歩き方や姿勢からして、履歴書通りの実力もあるだろう。でも少し繊細そうで心配だな……」
指を差される。
「それ、歯は擦り減るし、
自分の弱さの表れを突かれ、唇を噛んだ。
そして彼は、こう続けた。
「ま、君はまだ軽症みたいで良かったね」
この……! 心を逆撫でされた。不快だ。この人は、お前の病気や悩みは大したことないと、俺をよく知らない立場から言っているんだ。
ただ、これはわざと。俺は今品定めされている。どう受け止めてどう反応するか、見られている。
動かない頭と揺さぶられた心で、なんとか言葉を絞る。自然と浮かんだ表情は、染み付いた完璧な愛想笑い。
「それは良かったです。そう見えて欲しいと思って振る舞っていますから、嬉しいです」
レイジさんの顔に少しの驚きと好奇心が浮かんだのが分かった。その表情から、俺の答えが正解かどうかは判断できなかった。
「へえ、そうか」
それだけ言って、一瞬目を逸らし考える顔をした後、レイジさんは砕けた笑顔を向けた。
「来て早々ストレスをかけて悪かった! 新入社員を試すのは俺の
苦笑した。本当に悪癖だな。
「――でも、嘘は言ってない。お前がまともだと思ったのは本当だ。期待してるけど、まずは自分のことだけ考えて、ゆっくり頑張ってくれ」
雰囲気がコロコロ変わって戸惑うけど、直感で、今のこの態度が本心だと感じた。俺の顎と拳は、ここでようやく緩んだ。
レイジさんは、微笑みとともに右手を差し出した。
「まあこんな感じの社長だけど。――ようこそ」
握り返したその手は、剣とペンのタコだらけで酷く乾いていた。腹の底が見えない新しい上司の事を、この瞬間少しだけ理解できた気がした。それすらも計算の上かも知れないが。
「何卒、よろしくお願いします」
――でもなんとなく、これだけ確認しておこう。
「俺、やっぱ軽症ですか?」
「知らん。俺医者じゃないし」
えぇ、と不服そうな俺を見て、レイジさんはケラケラと笑った。
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