少女とは

燈と皆

第1話

 透明なガラスのカプセルの中に、私は閉じ込められている。青紫の蛍光灯がカプセルの中で光り、横たわる私にほのかな暖かさを与えてくる。私の体は手も足も頭も、きつい皮のベルトで縛られて動かせない。ベルトは締め付けたまま痛みを私に与え続けた。

 そして、私は一人の女の人を見つめている、ガラスの中から。その人は長い赤髪をガラスへ垂らし、そして青い目に青紫の蛍光灯を反射させながら、横たわる私を上から覗いている。

 その女の人は、優しく微笑んで、ゆっくりと呟いた。

 「あかり

 その声と微笑みで、私の胸は暖かくなる。それと共に、私の指はその女の人の方へ、少しでも近づこうとして踠いた。けれども、手も足も動かせない私は、ただその人の顔や髪の毛を見つめ続けるしかない。そして気づけばいつのまにか眠ってしまう。

 また目を覚ますと、同じ事が起こる。いつも、カプセルの外にはその女の人だけが居た。

 それが、カプセルの中にいた私の記憶の全て。その何回かがあっただけ。

 ある日、目を覚ますと、カプセルは海に流されていた。カプセルに合わせて揺れ動く空を、私はただただ見上げる事しか出来ない。そして暫くすると、どこかの海岸に流れ着いた。私はカプセルの中で震えていた。寒くてお腹が空いて、早く出たいと思った。けれど、私はベルトで縛られていたから、何も出来ないでいた。

 空がオレンジになる頃、男の人が私を見つけた。白髪と白い髭を生やした男の人だった。

 男の人は、私を見ると驚いた顔をしてカプセルを開けながら言った。

 「なんて事だ……」

 男の人は、着ていた白い上着を脱ぐと、私をそれに包んで優しく抱き抱え、家に運んでくれた。男の人は急いでいた。そして家に着くと、私をゆっくりと下ろし、暖炉の前に用意した椅子に座らせ、ちょっと待っててと言って、家の奥へと消えた。

 明かりが一つぶら下がっているだけの家の中は、明かりが全然足りていなくて、影ばかりだった。私は少しだけ周りを見回して、身を縮こませて固まっていた。

 男の人はにこにこしながら、暖かくて黄色いスープが入った器を私に差し出して言った。

 「さあ、温まるから、飲んで」

 私は受け取ったスープの美味しそうな匂いで、涎を口一杯に広げた。器に口をつけて、口の中にスープをごくごくと急いで流し込んだ。体の真ん中に流れる熱いスープが、冷えていた体をまた震えさせた。

 今度はゆっくりとスープを啜る。コーンの甘味が口に広がると震えは止まり、温かいスープがお腹に貯まるのを感じた。

 男の人はまだにこにことしながら、私の前に椅子を持ってきて座った。そして私に質問をした。

 「君はどこから来たんだい」

 「分からない」

 私が言うと、男の人は少し驚いた顔をして固まった。そして、自分の名前を言って、また私に質問した。

 「僕の名前はアルマだ。君の名前は?」

 「分からない」

 アルマという人はゆっくりと椅子の背もたれに背中をあずけた。そして何か考えたふうにして、近くの棚から銀色のスプーンを持ってくると、私に差し出しながら言う。

 「これは、見た事はある?」

 「無い」

 「でも、これがどんな名前で、どうやって使うかは、知ってるね?」

 「うん」

 私が言うと、アルマという人はすごく悲しそうな顔をして涙を流し始めた。手で目を押さえた風にしているけれど、涙が白い髭に垂れ下がり、床に落ちてゆく。何滴かを床に落とした後、鼻をすすりながらアルマは言った。

 「じゃあ、使ってみなさい」

 私は、恐る恐るスプーンを受け取ると、それでスープを掬った。私は何も気にせずに、夢中でスープを何度も口に運んだ。スープはとても美味しかった。アルマが泣き叫んでいる事に気づいたのは、スープを飲み干した時だった。

 アルマは白髪頭をこちらによく見せながら、大きな声で泣き叫んでいた。私は何故だか、泣いている理由が聞きたくなった。

 「アルマ、何で泣いてるの」

 アルマは顔を上げ、私の顔を暫く見つめた。そして、涙が治ると笑顔になって言った。

 「奇跡というものが、この世界にあったという事を知ったからさ。奇跡と言うものの前では、泣いていいんだよ、どんなものでも」

 私は何も返事をせず、スプーンを器にゆっくりと置いた。そしてアルマをただただ見つめていた。

 アルマは椅子をことっと音を立ててこちらに少し近づけると、眉尻を下げながらゆっくりと言った。

 「君の名前は、僕がつけていいかな?」

 言い終わりの言葉を聞いて、私は頷いた。

 「君の名は、あかりだ」

 アルマはそう言うと、私の頭をゆっくりと撫でた。

 私は、そうやって燈になった。 

 「分かった、私は燈。女の人も、そう呟いてた」

 無くなったスープの器越しに、私は少しだけ警戒しながら、アルマを覗いていた。

 アルマは驚いた顔をして少しの間固まった。そして顔に皺を沢山作って、白髪頭を私に向け、顔を手で覆い、大きな声でまた、泣き叫んだ。

 私は、奇跡というものの心当たりを記憶の内に探したが、私の中のそれは、オレンジに照らされたアルマの顔だった。


 私もあんなふうに、泣くのだろうか。

 私は静かに、指を伸ばした。

 アルマの頬に垂れる涙は、私のものより暖かかった。

 自分の名前も、どこから来たのかも分からない私は、ただ少しだけ、アルマの方を真っ直ぐ見始めた。

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