腕相撲

 ――腕相撲!


 その名が持つ響きとは裏腹に、単純な腕力だけでなく、体幹や駆け引きなど、様々な要素が絡み合っての総合力で雌雄を決する競技である。

 それはつまり、パワーアップしたおれの実力がどの程度のものかを計るのに、もってこいの勝負内容であることを意味していた。


 そして、自らその試金石役を引き受けてくれたのが、他ならぬ鮫島のカシラ……。

 豊田組構成員の一人として、少なくとも、恥ずかしい勝負だけはできなかった。

 だから、おれは覚悟を決めてカシラと対峙したのである。


「別に公式戦をやろうってんじゃねえんだ。

 ゴチャゴチャしたルールはいらねえ。

 正々堂々、勝負しようや」


 そう言ったカシラが、肘をついた体勢のままおれを待ち受けた。

 その表情に漂うのは――余裕。

 いかに仙墨が進化したといえど、おれごときに負けるはずはないと思っている顔だ。


 カシラの考えは、正しい。

 おれなんかと異なり、入門して迷宮へ潜り始めるなり、めきめきと頭角を現したのがカシラであると聞いている。

 だからこそ、オヤジの実子である鉄平のアニキが存命していた時でも、出世競争で追い抜いて若頭の座に着いていたのだ。


 迷宮での戦いぶりも、百戦錬磨という言葉がふさわしい。

 たかが腕相撲。されど腕相撲。

 カシラ相手に見せ場のひとつも作るためには、おれも命を燃やす必要があるだろう。


「おい、ギン。

 さっさとしやがれ」


 レフリー役を務める若頭補佐――馬場さんが、おれをせかし立てる。

 彼とは同じ三十五歳であるが、漂わせる風格は地位に相応しく、おれなんかと比較にならない。


「そうだそうだ!」


「さっさと手を握りやがれ!」


 馬場さんだけでなく、周囲で観戦する仲間たちにもはやし立てられ……。

 ようやく、おれは心を整えた。


「……お待たせしました」


「――はっ!

 随分と気合い入れてたじゃねえか。

 まさか、俺に勝つつもりでいんのか?」


「そのくらいじゃないと、力を見せられないと思っています」


 自分でも、驚くくらいに……。

 すらすらと、言葉が口をついて出る。

 ぴくり、と……カシラの眉が動いた。


「ギン……。

 おめえ、分かってんのか?

 もう、冗談じゃあ済まされねえぞ?」


「冗談は言っていません。

 全力で挑みます」


 バチリ、と、互いの目が合う。

 強面のカシラに睨まれたのだから、おれごときの胆力では、ひるみそうになってしまうが……。


「ギンさん!

 がんばってー!」


 最後に背中を押してくれたのは、舞さんのどこかのん気な声援だ。

 実際、彼女からすれば、単なる腕相撲勝負なのだから、そのような反応になるのも致し方ないだろう。


 でも、そのくらいが丁度いいんだろう。

 思わず大口を叩いてしまったが、しょせんは余興やレクリエーションの類だ。

 気楽に……努めて、気楽に挑めばいい。

 おれも右肘をつき、カシラと手を握り合う。


「レディ……」


 おれたちの拳に手を置いた馬場さんが、ゆっくりと合図を告げ……。


「――ファイ!」


 開幕と同時に、素早く手を放す。


 ――ミシリ!


 おれの全身に、きしむような感覚が走った。

 いや、ような、ではない……。

 きしんでいるのだ。


 カシラが右手に込めた恐るべき力を受け止め、腕といわず、体全体がきしんでいるのである。

 だが、それはつまり、曲がりなりにも受け止められているということ……。


「くっ……ううっ……!」


 歯を食いしばりながら、カシラの膂力に対抗した。

 分かってはいたことだが、なんというバカ力……!

 腕だけでなく、体そのものを持ち上げられ、叩きつけられそうな勢いだ。


「ほう……」


 おそらく、瞬殺できると踏んでいたのだろう。

 カシラが、意外そうな顔をする。


「……マジか」


「あのカシラに、腕力で対抗していやがる」


 同時に、周囲の構成員たちもざわめき始めた。

 だが、対抗しているっていうのは、とんだ見当違いだろう。

 明らかに、カシラはまだまだ余力を残しているのだ。


「怪我させねえように、手加減していたが……。

 ちいっとばかり、力込めるぞ」


 そう宣言したカシラの顔つきが――変わる。

 その迫力は、背負った大猪の絵図となんら変わらない。

 今のカシラは、圧倒的な力でおれを叩き潰そうとする猛獣だ。


「――ふうううううっ」


 深く、鋭い吐息と共に、カシラの全身から湯気のようなオーラが漂い始めた。

 その色は、濃い紫……。

 オーラがハッキリしてくると共に、おれの腕を押さえつける力も増してくる。

 このままでは、耐えられない。


 ――キイイイィィン!


 頭の奥も奥から、耳鳴りが響き……。

 同時に、背中がマグマのように熱くなった。

 皮膚から沸き上がるようにして体を包むのは――白銀のオーラ。


 襲撃者たちと戦ったあの時と、同じ感覚。

 どんなものでも、ぶっ壊せそうなあの感覚だ。


 そう、どんなものでも壊せる。

 それが例え、豊田組若頭――鮫島薫であったとしても!


「おおっ!」


 気合いと共に、カシラの腕を押し返し始めた。


「ぬうう……!」


 だが、カシラもさる者……。

 そう簡単に逆転は許してくれず、互いの力は拮抗し合う。


「おいおい……」


「マジか……」


 最初は、人を小馬鹿にするような雰囲気も含まれていた皆の視線……。

 実際に進化した仙墨を見てなお、しょせんはあのギンでしかないだろうとタカをくくっていた皆からの眼差しが、変化し始める。


「あのカシラと、互角に渡り合ってやがる」


「ば、バカ言うんじゃねえ!

 カシラは、まだ本気を出してないだけだ!」


「でも、それならよお……。

 もう、本気を出す頃合いなんじゃねえか?

 現に、オーラだって出してるんだし……」


 皆のささやき合う声が、当事者であるおれとカシラの耳に届く。

 だが、おれに反応するような余裕はなく……。

 それは、どうやらカシラも同様のようであった。


「くうううううっ……!」


「ぬうおおおおおっ!」


 握り合ったおれたちの拳が、右に、左にと傾く。

 同時に、互いのオーラがぶつかり合い、紫に銀にと……自分の色へ相手を染め上げようとする。


 カシラの顔面に血管が浮かぶが、それはおそらく、おれも同じ……。

 もうひと押し……。

 もうひと押しが、必要だった。


「ギンさん!

 がんばって!」


 そのひと押しとなったのが、舞さんの声援だ。

 きっと、限界を迎えたスポーツ選手ってのは、こんな気持ちでファンの声援を受けているんだろうな。

 声に込められた想いが、そのままおれの力となる。


「――ふんぬっ!」


 それを、おれは全て腕に込めたが……。


 ――バキリ!


 カシラを押し切るよりも早く、勝負の場となったデスクが限界を迎えてしまった。

 ごくごく一般的な事務用のこれは、相当に頑丈であるはずなのだが……。

 オーラをまとった極道二人の力に耐えきれず、とうとう、天板にヒビが入ってしまったのである。


 ヒビはあっという間に広がり、亀裂となって……天板そのものが割れてしまう。

 後は――崩壊だ。

 デスクは中心部から内側へと折れ曲がり、おれとカシラは、肘を宙に浮かせることとなってしまった。


「こいつは……」


 レフリー役を務める馬場さんが、しばし考え込んだが……。


「――引き分け!

 引き分けだ!

 いいな!? てめえら!」


 すぐに、大声で皆に宣言する。


「はあっ……はあっ……」


「ふぅ……はあっ……」


 手を放したおれとカシラは、荒く息を吐きながら互いの顔を見ていたが……。


「やるじゃねえか、ギン……」


 カシラが、にやりと男臭い笑みを浮かべながらそう言ってくれた。


「へ……へへ……」


 おれはといえば、頭をかきながら、自分でもよく分からない種類の笑みを浮かべる。


「惜しい! あと少しだったのに!」


 畳の間では、舞さんが呆けた親父と共におれを祝福してくれていて……。

 事務所に集まった他の構成員たちは、何とも言えない様子で、おれに視線を向けていたのであった。

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