極道がダンジョンを仕切る現代……三下のまま三十半ばを迎えた俺は、突如覚醒して成り上がる!

英 慈尊

夏目銀次

 『本所い〇〇七』……通称、錦糸掘迷宮。

 ここは、業界用語で『山』に分類される迷宮で、内部に入ってみれば、地下空間とは思えない太陽の光と、アフリカ辺りのジャングルを彷彿とさせる熱帯雨林が広がっている。

 地面に道らしき道はなく、慣れてない人間――例えば、入門間もない頃のおれだ――は、コブみたいに突き出した植物の根へ何度となく足を取られ、転んでしまうことだろう。


 いつ来ても、馬鹿げた場所だと思う。

 だって、すぐそばには半蔵門線だって走ってるんだぜ?

 一歩踏み入れば、別世界。

 迷宮っていうのは、比喩でも何でもなく、本当に別の世界、別の次元へと繋がってるんだってことが、一目で理解できるような光景だった。


 地球の理とは、全く異なる世界……。

 そこには、当然ながら、地上では考えられないような生き物たちが潜んでいる。

 いわゆるひとつの――魔物。

 この錦糸掘迷宮で最も多く見かけるのは、たった今、おれたち豊田組の構成員たち相手してやってる猿型の魔物――ヨネクイだった。


 体長は、おおよそ一メートル前後。

 つま先まで届くくらい長い腕と、三つ又の尾が特徴だ。

 この尾が、実に厄介。

 こいつらは、前足で地面を突くゴリラのような歩き方をしつつ……この尾で尖った木の枝を保持し、槍のように突き出してくるのである。


 たかが木の枝と、侮ってはいけない。

 確か、明智光秀を殺したのも、農民の竹槍だったか?

 鋭く尖らせた木の枝ってやつは、十分な殺傷力を持つ。

 しかも、それを尾とはいえ、魔物の力で突き出してくるのだ。

 油断すれば、あっさりとドテッ腹に穴を開けられてしまうことだろう。


 そんな魔物たちに対して、おれたちが用いるのは、伝統的な長ドスや斧といった武器である。

 なまじ、迷彩服やボディアーマーといった近代的な防具に身を包んでいるだけに、何ともいえぬアンバランスさがあった。

 別段、銃火器が持ち込めないわけじゃない。

 江戸時代に迷宮が出現して以来、そこをシマとする極道ってやつは、存在そのものが治外法権だ。

 極端な話をすれば、街中でショットガンを担いでいても、警官に注意されることすらないだろう。


 では、何故、そうした火器を持ち込まないのか?

 答えは単純。

 通用しないからだ。


 今、相手取ってるヨネクイたちも、ライフル弾くらいなら、至近距離で喰らっても平然としていることだろう。


 だから、おれたちは近接武器を用いる。

 迷宮の魔物に通じるのは、同じく迷宮で鍛え上げた極道の腕力のみなのだ。


「――おおりゃあ!」


 豊田組の若頭――鮫島のカシラが、ヨネクイの突き出す三つの尾をかいくぐりながら、長ドスを一閃する。

 カシラは、この道二十年以上の大ベテラン。

 完全に相手の刺突を見切った斬撃は、音速すら超えながら、魔物の尾を三本とも切断した。


「てめえら、腰引いてんじゃねえぞ!」


 武器がなくなって動揺するヨネクイの後頭部に刃を突き刺しながら、カシラが一喝する。


 ――へい!


 それに、おれたちは全員で応えた。

 さすがに、カシラほど鮮やかな手際ではいかないが……。

 手にした武器でヨネクイの攻撃を弾き、いなし……隙を見て、反撃を加えていく。


 ――おれ以外が。


「うおおおおおっ!」


 そうやって攻防を重ね、一つ、二つと相手の尾を潰すなりしちまえば、流れというものが生まれる。

 カシラを先頭に、豊田組の構成員たちは一転、攻勢に打って出た。


 ――おれ以外が。


「――しゃあ!

 てめえら、怪我なんかしてねえだろうな!?」


 ――へい!


 ヨネクイ共に止めを刺したカシラが振り返ると、構成員たちが威勢よく応じる。


 ――おれ以外が。


 そう、おれ以外が、だ。

 では、肝心のおれこと、夏目銀次が何をしているのかというと……。


「く、くそっ……!

 こ、この野郎……!」


 自作した釘バットを構えながら、ヨネクイの一匹相手に一退一退の守勢を続けていた。


 ――ヒュン!


 ――ヒュン! ヒュン!


 ゴリラウォークで前進するヨネクイの尾が、恐るべき速さで尖った枝を打ち込んでくる。

 おれの目では、到底、これを見切るなんてことはできず……。

 時折、手にした釘バットを盾としながら、大げさな動きで後退するのがやっとだった。

 だが、それは無限に続けられるわけじゃない。

 何しろ、ここは樹海なのである。


「――しまった!?」


 気付いた時には、もう遅い。

 おれの背に、樹木が当たるのを感じた。

 退路はもう――ない。


「――シャーッ!」


 勝機と見たのだろう。

 ヨネクイが、三つある尾を一斉に持ち上げる。

 次の瞬間、三点同時の刺突は――こなかった。


「あ……」


 それより前に、ヨネクイの腹から長ドスの刃が生えだしていたからだ。


「――ギン!

 何をしてやがる!?」


 カシラだ。

 カシラが、自慢の得物を投てきして助けてくれたのだ。


「こん……のお!」


 死に体となったヨネクイの頭に、釘バットを叩き込む。

 おれの腕力じゃ、こいつの頭蓋にヒビを入れる程度が限界……。


「おおああっ!」


 だから、何度でも叩き込む。


 ――ゴッ!


 ――ゴッ! ゴッ! ゴッ!


 それでようやく、ヨネクイは動かなくなった。


「はあ……っ。

 はあ……っ」


「済んだか?」


 息を荒げるおれに、カシラがつかつかと歩み寄る。

 豊田組若頭――鮫島薫。

 四十半ばを迎えても、全身から覇気をみなぎらせた極道の手本みたいなお人だ。

 顔立ちは巌のようで、普通にしているだけでも、肉食獣から睨まれたかのように感じてしまうだろう。

 そんなカシラが、静かな怒気を漂わせていた。


「こんな雑魚に、手こずってるんじゃねえ!」


 ――ガッ!


 カシラの拳が、おれの頬を打つ。

 口の中が切れ、血反吐が吐き出される。

 そのまま、おれは地面へと倒れ伏したが……。


「す、すんません……!」


 よろよろと立ち上がり、どうにかそう言って頭を下げた。


「ふん……。

 おい、行くぞ!」


 死体から長ドスを引き抜いたカシラに続き、おれたちは密林を歩く。

 そうすると、目的の場所が見えてくる。


 密林の中……ぽっかりと木々が場所を開けたそこに自生しているのは、黄金の穂を垂れ下げさせた稲たちだ。

 これが、錦糸堀迷宮の特産物にして、豊田組の主要なシノギ……。

 迷宮米であった。


「よし!

 それじゃあ、収穫しちまうぞ!」


 ――へい!


 カシラの号令に従い、おれたちは武器を鎌に持ち替える。

 それから、粛々と米を収穫し、バックパックへと収めていったのであった。




--




 迷宮の出入り口というものは、どこも神社めいた造りとなっていて、そこをシマとする組の人間が、着替えたりするための拠点も併設されているものだ。

 それは、この錦糸堀迷宮においても、例外ではなく……。

 おれたちは、拠点内の更衣室で、迷宮用の装備から着替えていた。


 各々が、自前のスーツへと着替えていく。

 おれの服はといえば、これは安物の地味なジャージである。


 そうやって着替えていると、嫌でも皆の背に描かれた……いや、浮き上がっているものが見えてしまう。

 ある者は、カマキリが描かれており……。

 またある者は、猟犬の姿が描かれている……。

 カシラのそれはさすがで、恐ろしい迫力の猪であった。

 一見、入れ墨のように見えるそれは、人の手で彫られたものではない。


 ――仙墨せんぼく


 迷宮で戦う者に現れ、力を授けてくれる極道の証である。

 侠客の実力というものは、この仙墨に表れるものだ。

 そして、おれの仙墨は……。


「……たく。

 今日も、誰かさんに足を引っ張られちまったな」


「ああ、灰色鯉のギンさんによ」


 他の構成員たちが、聞こえよがしに言いながら、おれの背へと視線を向けた。

 彼らが目にしているもの……。

 それは、色も何も無い痩せ細った鯉の絵図だったのだ。


「何年潜っても、一向に仙墨が育たねえんだから、辞めちまえばいいのによ」


 おれは、彼らの言葉に何も言い返せず……。

 ただ、背中を隠すようにいそいそと着替える。


「おい、ギン。

 オヤジの世話、しっかりやれよ」


「……へい」


 カシラの言葉にだけは、どうにか答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る