まろやかココア
まろやかなココアの夢を見る。なんだかわからないけれど、ほわほわとしたピンク色の空間のなかで、ただただ佇む夢を見る。その世界に突然、怪獣が現れて、全てを壊し尽くして、あとに残るのはまろやかなココアだけ。
そんな夢を、ただ見ていた。
「ちょっと! 聞いてる!?」
誰かが私に何かを言っている。ドドンがドン、と太鼓を叩くような声だ。この声はそう、秋奈ちゃんだ。秋に生まれたから秋奈ちゃん、というらしい。
秋奈ちゃんがぷりぷりと……ああ眠い。
そんなに肩を揺さぶらないでよ、起きてるんだよ一応。うん、起きてる。私、起きてます。
「きいてう」
「平塚」
「らいてう」
「寝てるじゃん!」
冷静になって、秋奈ちゃん。寝てる人は、返事をしないの。返事をしているから、私は起きているの。意識がぼやっとして、未だにまろやかココアな気分だけど、寝てない。
「なんだっけ?」
何か秋奈ちゃんと真剣な話をしていた気がするんだけど、思い出せない。頭の中を怪獣が暴れまわって、全ての考えをまろやかココアにしている気がする。
ココア飲みたいな。
「私の! 彼氏が! 浮気を! した! という! 話! だよ!!」
文節ごとに区切るよりも、もっと区切りが多い秋奈ちゃん。とても怒っているんだろう。まあ当然だよね、彼氏さんが浮気をね……。
「彼氏さんが浮気を!?」
「お、ようやく目が覚めたか」
なんだかシャッキリとしてきた。
秋奈ちゃんの彼氏は、私も会ったことがある。あの誠実という文字を擬人化したみたいな、義理人情が服を着て歩いているような彼氏さんが浮気をした。
それは一大事だ。寝てる場合じゃないぞ、私。
「本当に浮気したの? 中川さんはいるの?」
「中川……? しょーこってことかあ」
「そうそう」
「あんた本当に連想ゲームで喋るね、それはそれとして証拠はある!」
秋奈ちゃんが、スマホを見せてきた。写真だ。
どれどれ……まじか。彼氏さんが柔和な笑みを浮かべて、女の子を連れてラブなホテルへと吸い込まれている写真だ。動かぬ証拠というものが、持ち歩きされるスマホに入っている。動く証拠。ふふふ。
「なにわろてんねん」
「ごめん、動く証拠だなって」
「脳内で完結しないでくれる? ねえこれ完全に浮気じゃない? 浮気だよね? 浮気でしょ」
「こーれは流石に浮気かもねえ……ええ、信じられないなあ」
秋奈ちゃんの彼氏さんは、とても熱心な人だった。秋奈ちゃんが何度彼を振っても、振っても、振り続けても毎日のように校門に立っていて朝から告白。
私と一緒に帰ろうとしているときも、毎日告白。ときには、花束を抱えて愛を込めて告白してきたこともあった。Superflyの曲を歌って、秋奈ちゃんに怒られたっけ。
「私も信じられないっ! あの情熱はなんだったの?」
「情熱大陸出れそうなくらいだったもんねえ」
「大陸は出られないっ! 流石に!」
「人の気持ちはなんとやらかあ、怖いなあ」
秋奈ちゃんが目に涙を浮かべながら、放課後の教室の私の机に突っ伏している。よしよし、と頭を撫でると秋奈ちゃんはスマホをとんとんと叩き始めた。
とんとん、とんとんとんとんとんととん……。
「秋奈ちゃん?」
スマホ壊れません? 大丈夫ですか?
「別れた!」
勢いよく頭を上げて見せてきたスマホの画面には、「浮気ダメゼッタイ! 別れる!」というメッセージがあった。
今送ったらしい。
秋奈ちゃんはまるで怪獣が乗り移ったかのように、頭をグラグラと揺らして言葉にならない声で叫んでいる。うぎゃおー、うぎゃあー、うぼばばば、みたいな……なんとも言えない声に、胸が苦しくなった。
「とりあえずココア飲む?」
「なんでココア?」
「きっと怪獣さんが全部壊してくれるよ」
「意味わかんないけど! ココアは飲む!」
秋奈ちゃんが立ち上がる。私も立ち上がって、上着のポケットに手を入れて、財布を出した。
財布を出そうとする秋奈ちゃんの手を掴んで、歩く。なんか言ってる気がするけど、気にせずにスタスタと自販機のある食堂へ。
「私がおごりましょう」
言うと、秋奈ちゃんが笑った。
「どういう風の吹き回しよ」
「大好きだよって気持ちの吹き回しだよ」
お金を入れてココアのボタンを押すと、自動販売機がココアを淹れてくれる。中に人でもいるんじゃないだろうか、と昔の私は思ったものだ。
秋奈ちゃんが照れたように髪をかきあげている仕草が、自販機に反射する。
彼女の中の怪獣さんも、暴れて暴れて、モヤモヤとした気持ちを全部まろやかココアに変えてくれればいいのに。
私にそうしてくれたみたいに。
「はい、まろやかココア」
「ありがとっ」
「私も飲もうかな、なんかココアの夢見てさあ」
続けてココアを買うと、秋奈ちゃんが紙コップにふーふーと息を吹きかけている。そういえば、猫舌だったなあ。
「やっぱり寝てたんじゃないの」
「起きてました、ばっちりです」
「ぜーったい嘘だよ」
「嘘じゃないもんポケモン」
「そんな芸人いたわね」
「ジョイマンね」
ふふふ、と顔を見合わせて笑っていると、ココアが出来上がった。手に取ると、熱々のココアが私の掌を刺してくる。温度がぜんぜんまろやかじゃない。
「まったく、酷い男だったわ」
「釣った魚にはってやつだったね」
「そうそれ! だから情熱が無くなったんだなあ」
「私にしときなよー」
「あはは、ばっかみたい」
秋奈ちゃんがコロコロと笑いながら、ココアを一口すすった。熱かったのか、すぐに口を離してまたふーふーとしはじめた。
私もココアを飲もう。頭の中の怪獣が、また暴れ出さないうちに。
「ん……」
なんか苦いな。
「これ、まろやかじゃない……ビターのやつ……」
「もう、おばかだなあ」
秋奈ちゃんがまた笑った。
まあ、いいか。
笑ってくれたのなら、まろやかじゃなくても、甲斐があるというものかもしれない。いつか、このビターなココアがまろやかに感じるときが来るといいな。
そう思いながら、ビターなココアを難しい顔で飲み干した。
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