第34話 幻影
再び顔を上げたエフィームの表情はだらしなく歪んでいた。
「何を……!」
リロの叫びを掻き消す様に、呵々と笑い声を上げながらエフィームが片腕で棺の蓋を払うと、そこにしがみ付いていたリロごと真横に吹っ飛んだ。
その姿を見て、俺はハッ! と、忘れていた息を吸い、リロの背中に回り込んでそれを支える。
「うぐっ……」
結構な衝撃ではあったが、棺の蓋と俺に挟まれる様な格好になったリロはすぐさまそこから這い出そうともがいた。
「団長をあんたなんかに触らせない! 触らせないから!!」
「マサキ! お友達に黙ってもらえ! 私のこの時間を決して邪魔……!」
もはや狂気とも呼べるエフィームのその顔が、棺を覗いた瞬間すぐに俺の良く知っている顔に変わった。
「団長! 団長ーーっ!!」
気付くと俺はリロを後ろから抑え込んでいて、身動きの取れなかったリロはただそう喚いた。無意識に、エフィームの命令に従っていたのだ。
「……!」
視界の端には、言葉もなく両手で顔を覆うユーリィ。
「何だこれは……」
氷の様な眼差しをこちらに向けるエフィーム。
明らかに棺の中に異変があるのだろう。
「何が……」
「愚かな……。こちらへ来て見てみろ。ザカエラ、お前も来い」
促されるままに俺はリロから離れ、俺達を圧迫していたやたらと重たい棺の蓋から脱出した。
するとリロは俺より先に駆け出し、棺の淵に両手を掛けると、中を確認してグッと顔を歪める。俺もすぐに続き中を確認した。
ああ、ルイスはそこに横たわり、とても安らかに眠っているではないか。
「もう十分でしょう。団長を休ませてあげてよ。フィーゼントの指揮官なんでしょ?! 偉い人なんでしょ?! だったら死者をこれ以上冒涜する様な真似はやめて!」
リロのそれは、怒りよりも願いだった。ルイスを蘇らせようと忍び込んだリロと、エフィームの行為は当然質の違うものだ。
「冒涜などしていない……出来る状況にもない……。考えてもみればマサキ、お前ごときが本当にルイスを殺れたとは思っていなかったよ。だからこそこうして確認に来たんだ。だが少々期待していた事も確かでね」
「は……?」
エフィームの言葉が深く胸に刺さる。ちゃんとやった筈だ。俺が殺した。俺が……! これさえもエフィームに認められないのはあんまりじゃないか!
「何が気に入らないんだっ! 確かにここにルイスの死体があるだろうが! 俺がやったんだからな! 俺が! ルイスからもらった剣で! 俺が貫いたんだ!!」
全部吐き出すと、エフィームはやれやれと呆れたように頭を振り、ユーリィは珍しく大声を出した。
「今のどういう事……?! どうしてっ! どうしてそんな事……!」
当然、そこには俺を責めるような色が含まれている。
今更もう、何も隠す事はない。隠せない。
「……フィーゼントにとって、ルイスが邪魔だったからだ……!」
「フィーゼント……って……アッシュ君、あなたは……」
「さっきから何言ってるのよ! 団長の棺を荒らしたりアンの事ずっと人違いしたりして! 本当に偉い人?! アンがそんな事する筈ないよっ!」
察しの良いユーリィに対して、リロは俺の言葉を信じようとはしなかった。いや、察しが悪いのではなく、そう思いたいだけなのかも知れないけど。
「ふぅん……、エフィーム、これを見てルイスの死を疑えと言う方が難しいばい。かなり細かい仕事しとる。水の精霊だけでやっとうけん、うちの幻術ほどやなかけど」
「は?!」
「えっ?!」
俺とリロの間抜けな声が重なった。
「ああ、そうかマサキ……、お前は結局、まだ誰を殺した事もなかったのだったなぁ……」
どういう事か理解が追い付かない。
「じゃあっ……団長は生きて……?!」
「違う! 俺の剣は確かにルイスを貫いた! ルイスから流れた血が真っ赤な絨毯を濡らしたのもこの目で見た! 傷だって残ってる筈だ!」
俺は傷を確認しようとルイスの身体に触れた。しかしその腕はズブリとルイスの中に吸い込まれ、ルイスは……、ルイスに見えていたものは輪郭を失ってパンと消えた。後に残ったのは、水だけだった。
「なっ……!」
「団長が消えた……」
「ふむ、真っ赤な絨毯をね……。もう良いマサキ、何をどう言い繕ってもあの死体が幻であった事に変わりはないと分かっただろう。お前にはもっと実践が必要だと痛感した」
顎を撫でるエフィームが妙に穏やかな表情を見せる。この仕草も表情も、俺が一番嫌いなやつだ。
「まずはお友達を殺せ」
「……はは」
ほらな。ろくな事を言わないんだよ。
「リロ!」
ユーリィが棺にしがみ付いたままのリロをひっぺがして俺と距離を取った。
やめてくれユーリィ……。俺をそんな目で見るな……。
なんだよ、俺がお前らを殺すと、そう思うのか? ああ、そうだよな、未遂とは言え国の英雄を殺そうとしたんだ。そう思われて当たり前だ……。だけど……。
「俺には……出来……ない……」
それだけを絞り出す。
「何……?」
エフィームの眼を見てまた身が硬くなる。出来ないで済むわけがないと、幼い頃から仕込まれ続けた恐怖が、細胞一つ一つに行き渡ってる様だ。
「もう一度言ってみなさい」
「……っ」
「エフィーム、マサキはフィーゼントを裏切ったっちゃ」
何も言えなくなっている俺に変わり、ザカエラがそう口を挟んだ。俺にとって何が一番最悪か、ザカエラは分かっているんだ。
「あん子らを殺したくなかから、こんバカ、早まってルイスを殺しに行ってしくじったんちゃ。やけん、マサキのけじめはうちが付ける」
「マサキ……本当か?」
エフィームが信じられずに俺の目の、そのまた奥を見てくる。これも大嫌いだ。視線を外せなくなる。
「出来ない……」
噛みしめる様にそう言った後、おもむろにエフィームの蹴りが一直線で腹へ突き刺さる。
「そうか……本当なのか……」
「グッ……ガハァッ……!」
祭壇を転がり落ち、腹を抑えて蹲っているところに一気に追い付いて次の一撃を入れる。
今度は壁際まで吹っ飛んで派手にぶち当たり、少し離れたところに掛けられていた花の飾りがその衝撃で散ったのが分かった。
その花びらが床に落ちる前にもうエフィームは目の前に来ていて、俺の胸倉を掴んで片手で簡単に持ち上げた。
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