第38話 実食! 其の参


 あいすくりん屋の中は黒っぽい床板に白い壁、窓にはギヤマンがはまっていて明るい雰囲気だった。西洋風の家はこんな感じかと弁天には物珍しかった。

 布の掛けられた卓は脚につる草のような模様が彫ってあり美しい。そんな細工をしげしげと眺め、弁天は尋ねた。


「半右衛門がをやるの?」

「いえいえ。馬具屋だった安造に頼まれたんですよ。私は大工や石工の面倒を見ておりますんで、その子らの中で手先の器用な者を弟子にほしいと」

「ふうん。これから職人に育てるつもりなんだ」

「いい物を作ればきっと商売になります。異人が暮らしていくのに、椅子が壊れたのをいちいち本国から取り寄せてちゃ間に合いませんや」


 自信ありげに半右衛門は言い切った。

 自分の商売ではないのに、わざわざ椅子が使われている現場を見、弟子にふさわしい者を探そうと心を砕く。元町の皆が助け合い支え合わなければ、この移り行く世の中ではやっていけないのだった。

 先ほどの店員がお盆にギヤマンを二つ載せて戻ってきた。器には薄く黄色がかった物が盛られている。これがなのか。


「ドーゾ」

「おお、たんきゅう」


 半右衛門がにこやかに返答して、弁天と宇賀はぎょっとした。今のはもしや英語。


「なによ半右衛門、英語を覚えたの?」

「ほんの少しです。兄の家には英学伝習所に通う者らが下宿しておりますんで、又聞きしましてね。ささ、溶ける前にお召し上がりを」

「あ、そうだね。じゃあいただくよ」


 弁天は添えられていた金属かねの匙を持った。

 小さな器にちんまりとしている、あいすくりん。匂ってみるのは行儀が悪いのだろうか。迷いながら器に手を添えると半右衛門が小声で注意した。


「器は持ち上げずに食べるらしいです」

「え、そうなんだ」


 やはり半右衛門がいてよかった。日本の作法とは違っていて、わからないことだらけだ。

 さくり。匙を入れてみると、それは柔らかくとろける。弁天はどきどきしながら口に運んだ。


「――ッ!」


 ひんやり甘いあいすくりんは、ひと噛みしたら溶けてしまった。そして残り香まで甘く鼻に抜ける。弁天はほうっと息をもらし、うっとりした微笑みを浮かべた。その様を見つめてから、宇賀もひと口。


「――なるほど」


 なんとも不思議な食べ物だった。知らない口どけと、まろやかさ。弁天が恍惚と目を細めるものわかる。

 ふた口、み口と匙が止まらない弁天はあっという間に食べてしまう。最後のあいすくりんを匙に集め、名残惜しげに見つめると、はむん、と舐め取った。


「ふぅ……」


 弁天がもらした満足の吐息に半右衛門も笑顔になった。パッと見は若く綺麗な娘である弁天が美味しそうにしているのは眼福だ。

 宇賀は自身もあいすくりんを食べながら、嬉しそうに食す弁天を目に焼き付けていた。主の満足が何よりの喜びだからだが、おかげでまだあいすくりんが少々残っている。宇賀はそれをそっと弁天の方に寄せた。


「こちらもどうぞ」

「え、好きじゃなかった?」

「いえ。あなたがお気に召したようなので」

「人の分を取るほど子どもじゃないよ。ちゃんとお食べ」


 弁天だって、宇賀が美味しく食べていればそれで嬉しい。押し返したあいすくりんを宇賀が黙々と口にして、それを弁天はにっこり眺めていた。

 半右衛門にしてみれば気づかい合う神々の姿の方が微笑ましいのだが、それは弁天たちが娘や息子といってもいいほどに見えるからだろうか。名主として人々の面倒をみることにもすっかり慣れた半右衛門は、もう四十五だ。

 全員があいすくりんを食べ終えて、半右衛門は軽く手をあげ店員を呼んだ。お代をまとめて払い、席を立つ。うながされて店を出ながら弁天は感心していた。


「助かったよ半右衛門。西洋の店での振る舞いなんてわからないから、どうしようかと思っていたの」

「お役に立てたなら何よりで」

「これで次はご飯も食べに行けるね、宇賀の」


 期待に満ちたまなざしを向けられて、宇賀は黙りこくった。

 たしかに今の横濱はそこそこ落ち着いている。駐屯する赤隊はやや減ったが西洋人向けの農場は増えているし、山手の丘の南には屠牛場が開かれて食肉も盛んになっていくと思われた。弁天が面白がる食べ物は手に入りやすくなるだろう。

 しかしむしろ幕府は揺れているらしい。長州を討つだのと戦の話もあり、不穏な世情は続いていた。


「ああでも弁財天さま。西洋の食事では箸を使いませんぞ」


 歩きながら半右衛門が言い出し、弁天の足が止まりかけた。先ほどは匙で食べたが、他に何があるのか。


「ほおく、ないふ、というものがありまして。小さなすきのようなものと、小刀ですな」

「小刀? え、口が切れるじゃないの」

「口に入れるのは鋤の方なので大丈夫ですよ」

「それだって刺さらないかなあ……」

「ではうっかり刺さないよう使い方を学んでから出かけましょう」


 宇賀は便乗して弁天をけん制した。振り向いて頬をぷくうとふくらませるのを見て半右衛門は笑ってしまったが、それが突然真顔に変わる。


「栄作!」


 半右衛門は叫ぶなり走り出した。行く先にいた男がこちらを見てヒッと肩をすくめるのがわかった。だが逃げるでもなく、その栄作という若い男は恐縮したように身を縮こまらせていた。


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