第11話 異人墓のはじまり
神奈川奉行からの要請は突然だった。
早馬が来て何かと思えば、ロシア人二人を増徳院境内の墓地に葬れと言うのだった。五年前にアメリカ人の水兵を受け入れた実績があるからだろう。
「ろしあ?」
対応した
「その二人は開港場で亡くなったのですか。異国の病か何かでしょうか」
「病ではない」
妙な病が村に流行るのだけは勘弁してもらいたいと思って訊いてみれば、言下に否定された。
「斬られたのだ。下手人は上がっておらんが――どこぞの浪人だ」
幕府との交渉のために来航したロシア艦隊の随行員が横濱に上陸した際、波止場近くで数人に囲まれ襲われたのだそうだ。これが初めての、日本人から外国人への殺傷事件だった。
「なんと。お武家さまも開港場を見にいらしていると話には聞きますが、そんな者たちも」
「まったく頭の痛いことだ。そういうわけゆえ、流行り病などは心配無用」
「安心いたしました――ところで、ですが」
玉宥はすこし多めに無心してみることにした。墓の地代や管理料をだ。
今後、外国人が増えていけば病でも事故でも亡くなる者は出てくるはず。それを増徳院が受け入れるなら
だいたい異人墓というだけで荒らされる危険もある。外国人なら誰彼かまわずに殺すような浪人が相手なのだから、墓すら憎まれないとも限らないのだった。墓参に来る外国人と檀家の間で揉め事になるのも困る。しっかり見張らなければならなかった。
うなずいた役人は、そこは良きに計らうと約してくれた。ロシア側は石塔の設置なども求めているそうだが、ひとまず明日には仮の葬儀をすることになる。忙しないことだ。
「……さて、少しでも金になれば、本堂の足しにできるんだが」
表まで使者を送り、振り返った玉宥は傷んだ寺の屋根を見上げ頭で算盤を弾いた。
相手が奉行だろうが幕府だろうが、頂けるものは頂かなければ。そもそもすでに寺の敷地の端を開港場の
横濱村が大きく変わるこの時にこの寺を任されたからには立派に再興してみせる。玉宥は本気だ。
檀家は放っておいても増えるぐらいだが、それだけではぬるい。檀徒の産まれてから死ぬまでに何くれとなく頼っていただけるよう関係を築き、都度お布施をいただき、できるなら寄進ももぎとるのだ。でないと本当に雨漏りに溺れてしまう。
「――やるぞーっ!」
いい年をした墨染めがギラギラした決意をあふれさせるのを、弁天は自分のお堂からのぞき見ていた。乾いた笑いがのどからもれる。
「玉宥はまあ、これまでの和尚たちとは一味違うよ」
「大きな寺の内でのし上がったのですからね」
宇賀も苦笑いだが、それは少し違った。本寺の中で傍流となってしまったので、これからの伸長が期待できる増徳院に新たな本流を作るべく移ってきたのだ。時勢を読み、賭けるという点で玉宥は横濱港に集まって来る商人たちと同類だった。
「ところで、ロシア人の葬式だってさ」
ちゃっかり話を聞いていた弁天は、きらん、と瞳を光らせた。こちらも神仏にしては欲望にまみれていて、宇賀の肩が落ちる。
「……はいはい、また
「前のはアメリカだったね。ロシアのは違ったりするのかな」
「でもこの頃は、軍楽隊を目にすることもあったでしょうに」
異国の軍隊に楽団はつきものらしい。
幕府と異国が交渉するには海軍の船で来航するのが当たり前で、手前の横濱に使節が上陸する際には軍楽隊が堂々と演奏するのが常だった。それを弁天は好んで見物に行っている。殺された男たちもロシアの軍艦に乗って来たのだから、葬儀では楽隊が演奏するだろう。
「いやまあ、今度はちゃんと葬儀も見てみようよ。ロシアのお坊さんとかお経とか」
「経を上げるんでしょうか」
「ね、そういうの知らないじゃない」
開港場のあちこちで見かける外国人。日本の村や寺に興味があるのか、増徳院の近くを散策しに来たりもするのだった。
おかげでこちらも彼らに慣れてきて、楽器や音曲だけでなくいろいろな物を近しく見たい知りたいと思うようになった。
「村の皆もまた集まるかなあ。アメリカさんの時にはなかなかの人出だった」
「あの時はとにかく珍しかったですからね。今はどうでしょう」
「物珍しくはない、か。それもまあ、すごいことなんだけど」
……と思ったのだが、結局見物はできなかった。
攘夷の浪人たちが現れるのを嫌ったのだろうか。道端で立ち止まる者は役人が追い払いにかかるし、増徳院の墓地にも村人はその日立ち入ることができなかったのだ。
ピリピリする神奈川奉行所の者らに対応した上に読経もした玉宥は、紛れ込もうと試みる弁天に必死で目配せした。お願いだから目をつけられるような真似はしないで引っ込んでいてほしい。
「けちんぼ」
漏れ聴こえる葬儀の気配を弁天堂の中で感じながら、弁天は子どものような感想をひと言述べた。
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