第43話 妹、襲来

「……んっ」


 ベッドの中で丸くなっていたアーシャは、窓から差し込む柔らかい光に身じろぎした。

 時刻はすでに九時。普通の高校ならば授業が始まっているし、日本社会はしっかり動き出している時間だ。


 月曜、火曜以外は登校義務のない迷宮高専では、自然と夜型になる者も多かった。

 自由とも取れるが、探索者は自分の命を資本にして働く究極の個人事業主だ。


 すべては自己責任。

 時間やスケジュールの管理。心身を鍛えたり知識を蓄えることも含めて、個人に任されていた。


「……ふぁっ」


 目が覚めたので大きく伸びをする。むくりと起き上がれば、アーシャの横にはにいる者が一人。

 可愛い寝顔にくすっと微笑み、手を伸ばす。


「起きて。もう朝よ」

「んっ……ぁ」


 なまめかしい声をあげて寝返りを打ったのは迷宮高専でも希少な治癒術士ヒーラー職の斑鳩ヤイロだ。

 本来は202をねぐらにしているはずのヤイロがアーシャと寝ているのは、昨夜ホラー系のサイトをうっかり覗いてしまったせいだ。

 好奇心に負けて一時間もを堪能したヤイロが枕を抱えて「た、助けて……! 寝れない……っ!」と泣きついてきたのだ。


「ほら、起きなさいって。ご飯食べるわよ」

「む、りぃ……あと、5、時間……っ!」

「二度寝ってレベルじゃないわよ」


 ネグリジェ姿のアーシャはベッドから抜け出すと身支度を整える。その合間にもヤイロに声を掛けたり頬をつついたりしながら何とか意識を繋ぎとめる。


「起きてー」


 水玉の長袖パジャマを着込んだヤイロは寝ぼけまなこで辺りを見回す。


「……まだ九時……」

九時、よ」

「甲子園……目指す、野球部、も、まだ寝てる……よ?」

「高校球児をナメてるでしょ。ほら、シャワー浴びてシャキッとしてきなさい」


 ちらりとリビングを覗けばアキラは不在だったのでシャワーも問題ないだろう。

 眠気でフラついているヤイロを後ろから支え、脱衣所へと向かう。


 ――がちゃっ。


「あっ」

「……ぁ」


 そこには、一糸まとわぬ姿のアキラがいた。

 シャワーでも浴びていたのか、水気をタオルで拭っていた彼とバッチリ目が合う。

 先ほどまで眠そうにしていたヤイロも目が零れ落ちそうなほどに見開いていた。


「……えっと、閉めてもらえるか……?」

「わ、私たちに見せつけるために待機してたのね!? このヘンタイ! ケダモノ! キングコブラ!」

「こ、コブラというか……アナコンダ……?」

「良いから閉めろよ」


 謎の感想を告げられたアキラに扉を閉じられる。

 後に残されたのは顔を真っ赤にして固まるアーシャと、ばっちり目が覚めたヤイロだった。


***


「で、なんでわざわざ脱衣所で全裸待機してたの? 見るだけじゃ飽き足らず、今度は見せつける方まで目覚めたの!?」

「おいムッツリ皇女。とんでもないこと口走ってる自覚あるか?」

「ないわよっ!」

「……言い切るなよ」


 見る方とやらも冤罪である。


「私が起きてからほとんど物音しなかったわよ! シャワーの音とかも! 息を殺して待機してたんでしょ!?」

「……妹からのメッセージを無視してたの忘れてて、返信を催促する追撃メッセージが来てたんだよ」


 いや、本当に失敗した。後で返そうと思って忘れてたんだよ……。

 読むのも苦痛になるほどの長文で嘆かれてしまえば、さすがに無視するわけにもいかなかった。


 結果的にシャワーを浴びた直後に文面を考えてフリーズすることになったわけだ。

 頬を赤らめながら俺を睨むアーシャも面倒だが、もう一人のヤイロも面倒だ。


「しょ、召喚士……モンスター、強い……っ!」

「待て。このタイミングで言うと意味深な比喩表現にしか聞こえないぞ!?」

「えっちな思考回路してるからそうなるのよ!」

「……ヴァレンタイン皇国って鏡ないの? 自分のこと客観的に見た方が良いぞ」


 ぎゃーすか文句を言いながらも一回の食堂に下りる。

 今日の朝食は白米に味噌汁、目玉焼きとソーセージの予定だ。サラダもつければ栄養バランスは十分だろう。

 探索者稼業は身体が資本だからな。


「ちょっと待ってろ」

「て、手伝う……よ?」

「大丈夫。ランニング前にほとんど準備してあるから」


 油を敷いたフライパンを火にかけ、卵を3つ落とす。ソーセージは一人2本だ。

 外で朝食を取っても良いんだけど朝からゲテモノメニューに当たるとげんなりするからな。


 弱火にして水を大さじ1杯。蓋をして目玉焼きとソーセージが焼けるまでの間にご飯と味噌汁を配膳していく。ちなみに寮母を自称する高田さんは歓迎会以降一度も帰ってきてないので、当然用意なんてしない。


「良し、完璧だろ」


 黄身が綺麗なピンク色になれば半熟になった証拠だ。ここに醤油を垂らしてご飯に載せたのが超美味いんだよ。

 用意しといたサラダと一緒にソーセージ、半熟の目玉焼きを盛り付ければ完成である。


「……そ、ソーセージ……っ!」

「……えっち! ヘンタイ!」


 何でだよ!?


 いわれのない非難に頭を悩ませていると、呼び鈴が鳴った。


「「「?」」」


 3人で顔を見合わせるが、誰も心当たりはないようで頭の上に疑問符ハテナが浮いている。

 

「誰かしら」


 古い洋館を改築した寮なのでテレビドアホンはついていない。

 直接応対しないといけないのは面倒だが、制服に着替え終えているアーシャが立ち上がってくれた。


 俺は遠慮なくご飯を食べよう。


 ちなみにソーセージは塩気があるので調味料無し。

 目玉焼きは白身に塩、黄身には醤油がジャスティスだ。


 ランニング後で腹が減っていることもあってガツガツ食べているとアーシャが戻ってきた。

 その後ろには小さめのスーツケースを引いたポニーテールの少女が一人。


「マドカ!?」

「やっほーお兄! 来ちゃった!」


 妹だった。

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