俺、プロ賢者。勘違いしないで下さい。違うプロなんです。

綿木絹

第一章 異世界召喚と宴事件

第1話 五人は異世界に召喚された

「…ん」


 ユウは鉛のような重さの瞼を薄っすらと開けた。


「そろそろ…かな」


 彼の目には真っ暗な部屋、だが朝焼けに染まり始めた空は僅かに部屋に光を届けている。

 とは言え、オレンジの光に負けないくらい彼の顔は青く照らされている。

 片手で持てるくらいの小さな薄板、そこに書かれた数字を見て、深くため息を吐く。


「集合は八時…、だけどその前に行動に移さなきゃ…」


 つまりあと三時間で成し遂げなければならない。

 今までにもチャンスはあった。だけど行動に移す勇気と行動力が欠けていた。

 だから、こんなギリギリになってしまった。

 スマホをスリープモードに移行すると、慣れない目のせいで部屋が真っ暗になる。

 スマホという呼び名はユウと仲間たちだけの呼び名で、実際には魔法硝板まほうしょうばんと呼ぶらしい。だが見た目は一年前に機種変更したスマホそのものだ。「スマホがあればどうにかなる」…なんてことはないかもしれないけれど、これだけは手放せない。

 ユウはソレを学生服の内ポケットに忍ばせた。そしてリュックを背負って忍び足で部屋のドアへと向かう。


 ガチャ‼


 隠密行動にしては大きな音でドアノブが捻られた。ユウはビクッと両肩を跳ね上げた。

 だって、その音を出したのは彼ではないのだから。


「ユウ様‼起きていらっしゃったのですね。…それにしても良かった。ユウ様は準備万端でやる気に満ち満ちてますね‼」


 廊下は明かりが灯っていたらしく、女のシルエットしか見えないが、赤毛の髪は鮮明に映る。逆光で見えないが声で分かる。端正な顔立ち、そばかすがチャーミングな少女…


「リーリアさん?」


 ここまでの話で察しがつくだろう。

 ユウとその仲間たちは見知らぬ世界に飛ばされた。一目で別世界と分かった理由の一つが彼女の鮮やかな赤い髪だ。流石に赤毛と言ってもあそこまで赤くはない。

 勿論、染めれば出来なくはないが、彼女の一族全員が同じような色だったし、そもそも飛ばされた瞬間の記憶があるから、異世界だと直ぐに理解が出来た。


「どうして…、ここに?リーリアさんは──」


 ユウと仲間たちは、クシャラン大公国の魔法使いの力で呼び出された。

 正確には魔法使いに呼び出された悪魔の力で、だがそれは少し前の話。

 今すべきことは…


「…その」


 ギリギリになって逃げる、その為に早めに寝た。結局、寝付けずにスマホを眺めていただけだけど。

 だが、何故かアグセット辺境伯の娘が訪ねてきた。計画は脆くも失敗…、いやまだ時間はある。


「ナオキ様が…、昨晩からの腹痛が治らない…と」


 彼女はアグセット卿リーリア。アグセット領は南を基部とするクシャラン半島、その北端海洋領域を任された辺境伯の娘だ。

 そんな高貴な生まれの女が、遣いの仕事をすることはない。

 つまり、何かが起きている。


「そういえば、昨日の夜から顔色が悪かったっけ。ナオキの場合、違う理由も考えられ…」

「大神官のスキルを持つナオキ様が動けないとなれば、今日の作戦は難航するでしょう」

「…あ、あのさ。アイカもいるし、その辺はどうにかなるんじゃない…かな。俺がいな…」

「只今…、アイカ様とレン様は…」

「…喧嘩中だった。でも、あれはほっとけば収まるし、流石に俺は…」


 何かと思えば、その程度の事。アイカとレンは喧嘩するほどに仲が良い、の典型だ。一週間くらい顔を合わせない時もあったけど、その次の日には仲良くゲームをしていた。

 レンのジョブは大剣豪、体術特化で魔法は使えない。アイカは神聖精霊騎士で剣術と信仰魔法の両方が使える。

 けれど、喧嘩中だからって、アイカがレンへの回復魔法を拒むとは思えない。


「──私たちはナオキ様の体調を看ながら、夜通しで作戦を練り直していました」


 とは言え、初めて二人の喧嘩を見た時は、今のリーリアくらい焦ったものだ。

 二人との付き合いが短いこっちの世界の人間、彼女たちは頭を抱えているのだろう。


「それでか…」


 ハッキリ言って気を遣うだけ無駄だ。そんなの放っておけば良い。なんだかんだ言って…


「はい。それ、…です」


 ユウは「いや、それじゃなくて」と言いかけて肩を落とした。

 そっちの話は大したことではない。ユウ自身が抱える問題の方がずっと大きなもの。

 そして、道理で塔の一角が煌々と輝いていたわけだ。そのせいで夜逃げが出来ず、早朝逃げに切り替えた。

 だが、リーリアの目の周りを見れば、それも不可能だったと分かる。

 どれもこれも、アイカとレンの体調不良とナオキの精神的腹痛のせいだったということ。


「お願いします。盗賊スキルをお持ちのユウ様が必要なのです。…あ、ゴメンなさい。その大きなリュック…」

「え?…うん。こ、これは…」


 逃避行をする為に…なんだけど


「既にこうなることを予見していたのですね。流石です‼」

「いや、違くて…」

「違わないですよね‼ささ、どうぞこちらへ‼お持ち頂く魔法薬を大量に用意させて頂きました」


 赤毛の女は青年の手を引いて、砦の石廊をカツカツと歩いていく。

 黒髪の青年の方は、仕方なく重い足を動かすしかない。

 因みにリュックには乾パンと水しか入っていない。これでもそれなりに頑張って集めたのだ。気付かれないようにこっそりと。

 水はどこかの井戸で調達しようと思っていたから、数枚の革袋が入っている。

 だから、今のところリュックの空きは十分にある。

 とは言え。


「いやいや。俺の力って全然…だし」

「存じております。ですが、召喚されし五人の一人。今は覚醒していなくても、いずれは…」


 ユウは飛び出そうになる心臓と、飛び跳ねそうになる肩と、見開きそうになる瞼をどうにか抑えたが、体毛だけはどうにもならずに総毛立った。

 ある意味で正解、ある意味で不正解。勘付かれていれば不正解の方に傾いてしまうのだが。


「そのような暗い顔をしないでください。簡単な盗賊スキルがあれば、問題なくこなせる筈です」


 そうらしい。彼女も彼女の家族も部下も、この危機的状況を打開しようと本気で考えている。

 夜中、駆け回って魔法薬を集めたのは本当に領民を思ってのことだろう。

 机の上に並べられた魔法の小瓶に薬草、それから魔法石を内包した投擲用の魔法具たち。

 大した量ではないが、確かにナオキの大神官スキルを補えるに違いない。


「お、俺よりサナの方が適任じゃない?それより…」

「サナ様は…、その。ユウ様が適任ではないか…と。魔術本を持たないといけない…とか」


 く…。サナの提案か。大魔導士サナは信用されてるからなぁ。ってか、サナはあっちの世界でも喧嘩してる二人の事怖がってたし。ナオキの腹痛もそのせい…かも。夜逃げの為に先に寝室に戻ったのが失敗だったか…


 ユウは夜逃げを考えていた時点で、仲間のことをとやかく言う資格はない。それだけに今は大人しく従うしかなかった。

 今日は南にあるヌガート山脈の魔物の拠点を襲撃するのだが、そのヌガート山脈の位置が問題なのだ。

 クシャラン半島がどのような大陸変動で形作られたかは分からないが、半島の中央に山々が連なっている。


「俺…、本当に自信ないんだけど」

「私たちよりは可能性があります。それにこういった経験を踏めば、ユウ様も覚醒するに違いありません。大盗賊…、役名は少々難ありですが、きっと素晴らしい力が目覚めますよ」

「う…。それはまぁ、そうなんだけど」


 おしとやかな顔、生まれで言えば彼女の方がずっと上だが、低調に扱ってくれる。

 クシャラン半島北部、海を越えれば敵国であるテルミルス帝国だ。

 その帝国の間者によってヌガート山脈に開放結界と呼ばれる、魔物の通り道を作られてしまった。


 そのせいで俺たちは呼ばれ、そのせいで俺は逃げられない。確かにここにいたんじゃいつまで経っても覚醒は出来ない。それは分かっているんだけど…


「ですので、こちらを宜しくお願いします。手伝いましょうか?」

「いや、大丈夫です。…革袋とか革袋とか乾パンとか、いっぱい入ってるし」


 ユウは首を傾げるリーリアとその付き人に見えないようにしながら、テーブルの上のアイテムをリュックに詰め込んだ。


 どうしてこんなことになったのかを思い出しながら。


     □■□


 西暦二千…、何年だっけ。

 ころころ変わる元号を使わされているから、よく覚えていない。 

 あぁ、勘違いしないで欲しい。

 俺が引き篭もっているからとか、世間に疎いとか、そういう意味で言っているんじゃない。


「アイカ、そっちの様子はどう?」

「相変わらず。代り映えのない風景ね。レンのとこは?」

「オレも右に同じだー。課題は全然終わっていないのもなー」

「アンタと一緒にしないでよ。サナのとこは?」

「わ、私?課題は終わってるよ…。ナオくん…は…」

「そのことじゃないと思うよ、サナさん。僕のとこも同じ…かな。ユウくんのとこは?」

「特に問題なし」


 俺がユウ。ナオキ、アイカ、サナ、レンとは昔からの友人だ。

 ごく普通の学生が、ごく普通にスマホを介して話をしているだけ。通っている学校は違っていても、ゲーム空間の中でならいつでも会える。

 ごく普通の生活…


 だった筈…なんだけど


 ——今すぐ学生服に着替えてよ


「は?何言ってんのよ、ユウ」

「…え?何が?」

「何って、お前。今、学生服に着替えろって言ったぞ」

「うーん。ユウの声だったかなぁ…」


 ——早く早く。君たちがそのままでいいって言うなら、ボクはどっちでもいいんだけど?


「は…。誰だよ、こいつ…。勝手に入ってきてんじゃねぇぞ」

「でも、この部屋って。僕たちだけの…筈。人数も…、変わっていないし」

「こういうのは無視しましょ。いい時間だし、アタシはそろそろ…。え…?」


 アイカの声が震えた。声だけでなく、彼女の体も。

 そして他の友人も、俺も震えた。身も心も…


「…制服に着替えて自分のスマホを持てって…。どうして?これってショートメッセージだよ?私の番号を知ってる…?」


 ──言う通りにしないと呪いで死ぬよ?あと五分、分かったね?


 普通に考えておかしな奴。言っている意味が分からない。

 だけど、俺たちは本気でビビッて逃げるようにログアウトした。


「ふぅ。何なんだよ。凄腕ハッカーとか?リスコーズの脆弱性か何か?」


 スマホは別に古くない。友人四人も似たようなタイミングで機種変更したし、全員が親に新品を買ってもらった筈だ。

 ってことは子供見守り的な?それとも本当にバックドア的なトラップ?


「分からない。スマホはスマホだし。…ってか」


 一番問題なのは…、いやいや怖くないし。そんな非科学的なこと、ある筈ないし…


「直ぐに学生服に着替えろって…。俺の話じゃないよな。声、男っぽかったし。ってか、悪質な覗き魔か?死ぬとか…、そんなわけ…」


 ある筈がない。そんな呪い、聞いたことないし。そもそも呪いなんて…

 でも、制服を着るか、死ぬかの二択…、そんなのって…


 自然と足は明日着る為に吊ってある学生服に向かっていた。

 家族に変な目で見られる中、袖に手を通し、足を通し…

 助かる方法が簡単すぎるのだ。スマホだって依存するほどにいつも携帯している。

 万が一に備えるだけ。死ぬわけないけど、制服を着るだけ。五分後に死ななければ脱げばよいだけ。

 簡単すぎるから、非科学的と知りつつも制服を着てしまう。


「…明日、聞いてみるかな。いや、流石に恥ずかしい…か。…ん?」


 その瞬間だった。

 五分なんてあっという間に経っていたらしい。


「これ…」


 スマホのディスプレイから光の帯が飛び出して、光なのに体に巻き付いていく。

 意味なんて分かる筈もない。光にこんな性質があるなんて、物理では教えてくれなかった。


 ──なんて、考える間も実はなかったり。


「…どういう…。──は?ナオキ、アイカ、サナ、レン。なんで俺の家に?みんな、学生服…って」


 四人共、いや俺も含めた五人が学校の制服を着ていた。

 足元には分かりやすく、五芒星の魔法陣が描かれていて、俺は星型の頂点の一つに立っていた。


 そして、スマホのディスプレイは煌々と輝いていて、そこにこんな文字が入力されていた。


『部屋着とか、下着姿で異世界には来たくないでしょ?』

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