6、蠢動
第37話 帰郷
レオンとシャルロット王女の歴史に残るほどの華やかな結婚式から二年たった。
結婚したら死ぬ、とまでさわいでいたレオンは意外にも浮気ひとつせず誠実にシャルロットと夫婦関係をいとなんでいた。シャルロットも、夫を熱烈に愛しているようだった。
シャルロットは懐妊していることが発覚した。出産も公開し、華やかなものとする予定だ。
いっぽうで、修道僧となって国王のロベールの看病をしていたフレデリックは、「もういいだろう」と息子や周囲のようすをみて、思った。
——テレーズ殿下がたをよびもどしても。
微妙な立場のアンリはまだしも、エリザベートとテレーズはよびもどさなければ外聞的にまずかった。
息子に会わせなければいいだけのこと。息子は家庭をもってまじめにやっている。テレーズのことさえいっさい話題にしない。ならば良いではないか。
テレーズにはいままでの邸を引きはらってもらい、フルール宮殿に住まわせる。エリザベートやアンリなども共に住めばいい。
——そのお世話をすることの幸福よ。陛下のお世話に姫様たちのお世話に、忙しくなるぞ!
うっとりする。折にふれてかわす手紙によれば、テレーズは健康なとき、クラヴサンを弾いているらしい。やはりしっかりした教師を紹介しなければならないし、クラヴサンも良いものをつくらせなければ。エリザベートにもゆるゆると礼儀作法の教育が必要だろう。
要は、なんどもいうが、テレーズと息子を会わせなければいいだけのこと。
息子夫婦はシエル宮殿に居をかまえている。だが、シエル宮殿からフルール宮殿は最も遠かった。いや、フルール宮殿じたいが林と花畑のなかにある、すこし周囲から孤立した静かな宮殿だった。
それに、とフレデリックは顔をくもらす。
「ひどい病」ということになっている——実際はただ肺が弱いだけのテレーズが、二年前、遺言状を作成した。だが、彼女はだれにもその遺言状の中身を明かさない。貴族たちは、あのモーテルピュイ大公領がだれに引き継がれることになるのか噂した。
さらに、不審な動きもあるとマルグリットが金切り声をあげてフレデリックの部屋に乗りこんできた。テレーズのいるモーテルピュイ城に、ひんぱんにグランシーニュ侯爵夫人と、スリゼー女公爵の娘が出入りしているという。
——お話相手というところでしょう。
息子しか見ない妻とあまりかかわらずに静かに王の世話をしたいので、適当にあしらったところ、襟首を揺らされた。
——違う! よくわからないけど、違うと思うの!!
こういうばあいのマルグリットの勘は非常によく当たる。
なので、テレーズを呼んでようすを見なければならない。
***
ひさしぶりの『王宮』はさわがしく、テレーズはモーテルピュイ大公領、そしてモーテルピュイ城がいかに静かだったのか気づかされた。
馬車の車輪のまわる音や、馬の
だが、テレーズの馬車は、フレデリックの配慮により、あまり目立たないものにされていた。『王宮』に住まう貴婦人のだれかが、旅行からもどってきたのだろう、という程度のものにされていた。
——じいはそこまでかんがえてはいないだろうけど、ありがたいわ。シャルロットの出産までは伯母さまに目をつけられてはならない。
テレーズはうつむいたまま、うつらうつらしているエリザベートとアンリの手を握った。
いま、最も注目されている王女といえばシャルロットであった。もちろん「王女殿下」ではなく「ヴィニュロー公爵夫人」といわれてはいるが。懐妊してからさえも、懐妊中のドレスがどうだったとか、どんなものを食べているかなどが話題に上がる。
しばらくはそうやって華やかでいてもらわなくては困る。
ふと、シャルロットは幸福な結婚をして、皆から妊娠を祝福されるのだな、夫からも、と自嘲したくなった。
首を横に振った。
——考えるべきことだけを考えなきゃ。シャーリーにみんなが注目しているそのあいだに。
テレーズの
目立たない馬車は、マルグリットのいるヴィニュロー公爵邸や妹夫婦のいるシエル宮殿を避けて、大回りをし、「王宮」の林の木立のなかを進んでいった。途中でどんどんと木の並びがまばらになり、次第にふんわりとした豊かな花の香りがただよう。
花畑がいちめんにひろがっていた。その花畑のなかに、ぽつんと古い造りの白亜の宮殿がある。ところどころ崩れていたが、それが風情をだしていた。つるばらがあちこちに絡みついている。
フルール宮殿だった。
車止めでは、修道僧姿に身をつつんだフレデリックが手を振っていた。
「姫様がた、アンリ殿下、お久しゅう」
エリザベートとアンリはフレデリックに抱きついた。ちらちらと老臣はこちらを見てくるが、テレーズはもう大人なので子供のころのように抱きついたりはしない。
「ご成長なさいましたな……」と老臣は肩を落とした。
「お手紙で知ってはいたけれど、本当に出家してしまったのね」
「ええ。本来ならば爵位を返上したときにこうするべきだったのです」
「わたくしもそうしたいのだけれど、社交界に顔を出しておきたいから、できないわ」
「おや」とフレデリックはテレーズを見た。
「万事慎ましやかな姫様にしてはお珍しい発言ですな」
「だめ? 少しは顔を出さないといけないかしらって」
「……おすすめはいたしません」
フレデリックは表情を固くし、顔をうつむかせた。テレーズはうなずいた。
「よくない噂ばかり立っているものね、わたくし。マルグリット伯母さまにお聞きしたわ」
「……殿下が!?」
おや、とテレーズはフレデリックの顔をまじまじと見る。
「ほら、二年前、モーテルピュイ大公領にいらしてくださったじゃない? そのとき」
フレデリックは顔に冷や汗を浮かべた。なにも知らなかったらしい。
「申し訳ございません、妻の居場所もわからぬか、とご
テレーズは笑った。
「いいのよ。そうだと思った! 突然ふらりといらしてね、びっくりしてあわててしまったわ。無礼なことをしてないといいのだけれど。伯母さまは旅の途中で立ち寄られただけなのでしょうね」
「は、はあ、そうでしょうなあ」
情報を得るために、注意深く
二年経っても噂は消えない。
テレーズのかわりに、社交界に入れる人材が欲しい。
さらに、二年前、マルグリットがテレーズのところを訪ねた件を、フレデリックは知らないらしい。
——夫であるフレデリックのじいにでも、さすがに話すべきことではないと伯母さまが思われたか、常に夫と情報を共有できていないか。
後者であれば助かる。伯母側からとフレデリック側からと、遺言状に関する別の情報を流して、ヴィニュロー公爵家を
慎重にならなければ、とテレーズは宮殿の中へ足を踏みいれた。
宮殿の中は、初代国王の彫像がそびえたち、花が、咲きみだれていた。
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