第11話 忠臣の鑑

 ヴィニュロー公爵であるフレデリック・ド・ヴィニュローは、敬愛しつくして止まなかった先王の、まもるべき遺児である美しい少年国王から、その話を聞いた。


「そういうわけで、たぶん、そなたの息子とテレーズは破談となりそうだ」


 最愛の主君の病弱な遺児は安楽椅子に腰掛けながら、青藍せいらん色の革で出来た本を読み耽っている。フレデリックは何の本を国王が読んでいるかすぐに当てることができる。先王のシャルルが愛読書にしていた数学の本だ。時のスリゼー公爵が献上したものだ。

 いや、この少年のことなら何でも把握している。まるで母のように。


 ――シャルル様。私は、貴方のお子様たちを私が産んだ子のように愛おしく思っております。


 愛おしい主君の欠片をそれぞれ持つ遺児たち。

 目の前の長男ロベールは病弱。子を成すことは難しいだろう。成しても、一人が限界だろう。身体が弱いのに、無理をさせたくもない。この子にはながく生きてもらいたい。

 そのためには主君の長女姫のテレーズ。

 少女らしい小さい柘榴ざくろ色の唇を除けば、プラチナの巻き髪が、優しく聡明そうな蒼い瞳が、色の抜けるほど白い肌が、主君によく似ていた。


 この少女に主君の血脈を、遺してもらわねばならない。


 慕う主君の姉と畏れ多くも婚姻するという名誉にあずかったら、主君の姪や甥が出来た。

 特に息子は主君に似てプラチナの巻き髪と色の抜けるほど白い肌を持っていた。テレーズ姫と畏れながら並べれば兄妹のようだった。

 明朗で快活だった主君はそれを見て、気品を感じる高笑いをし、二人が結婚すればよいと言った。まるでフレデリックの心を見透かす千里眼を有しているかのようだった。


 そんな主君に似たテレーズと息子が婚姻し、男子が出来れば、……最愛の主君の再来がみられるはずだった。その子を玉座に座らせる。若くしてフレデリックを置いて逝ってしまった主君を作り直す。

 そして、女官侍従さえ職務を放棄するような、忠義なき怠惰なこの国をあらためる。

 全てが終わった後、自分は妻子を捨てて、退位したロベールとともに修道生活をおくり、まるで庶民の母子のように暮らす。ロベールの静かな暮らしを守る。

 その為には息子に一時的に玉座に座っていてもらわなければならないが、それはなんとでもなるはず——。


 その壮大な夢が、崩れ去ろうとしていた。


「スリゼー公のご提案ですかな?」


 威厳を湛えて微笑むと、可愛らしい国王は本で顔を隠した。その反応が愛おしかった。


「しかし、テレーズ殿下は御可哀想でございましょう。ありがたくも、テレーズ殿下は我が息子と、非常に仲良くしてくださっている。それを引き裂くなど」

「でも、カトライアにやるのに、テレーズしかいないんだ」

「……第二王女のシャルロット殿下では?」

「シャルロットは泣き出してしまって……。で」


 あまりに幼く純真で、側近たちに勢力争いというものがあることを理解しえない国王は素直に告げてしまった。


「王妃とスリゼーが、テレーズに相談したんだ。そうしたら、スリゼーの提案もあって、テレーズは、カトライアに行くと言ったらしいの」


 フレデリックは優雅に微笑みながら、内心で王妃とスリゼー公爵を八つ裂きにしていた。


 ――スリゼーめ……! 王妃の歓心を買いおって!


 文明がないとさえ思われている遠国からの王妃の孤独に上手に取り入り、王妃を使って「王の賢者」は上手にやりおおせたのだ。


 ヴィニュローと王家の分断を。

 様々な場で重んじられる第一王女。その第一王女がヴィニュロー公爵に嫁いだら、自然とヴィニュロー公爵の威信は強まる。フレデリックとしては息子が玉座に座る第一歩だ。スリゼー公爵は、それを避けたかったのだ。


 こめかみが自然と震えていた。国王はその繊細そうなあおの瞳を曇らせた。


「どうしたの? じい、具合、悪いの?」


 フレデリックは、自分を気遣ってくれる幼君に感動し目頭に涙を浮かべた。いけない、と表情を改める。


「いえ。爺は少し面倒な用事を思い出してしまっただけでございます」


 国王の薄い手の甲に繰り返し熱く口づけながら、フレデリックは、スリゼー公爵をどうしてくれようかと考えた。


 ――とりあえず、マルグリット殿下とご相談するしかあるまい。


 避暑に出た妻に、手紙を書くことにした。



 三日ほど後のことだった。

 急にヴィニュロー公爵は、「第一王女と我が息子の婚約破棄は不当」として王家に貸していた資産の大部分を凍結した。


 国王は、スリゼー公爵に依頼してヴィニュロー公爵を法廷に呼び出した。スリゼー公爵は、不当な資産の凍結を止めるようにと「助言」し、速やかに凍結は解除された。


 国王は安心した顔を見せていたが、スリゼー公爵は厳しい面持ちを崩さなかった。

 少年には難しいことを、「王の賢者」は口にした。


「陛下。私は長く陛下のおそばにいられないかもしれません。私ではなく、別の方がやったほうが良かったかもしれませんね。こうしてヴィニュロー公爵を引きずり出してしまったことで、スリゼー公爵はヴィニュロー公爵と対立しているという構図が出来上がってしまった。そうなれば、カトライアはその亀裂に乗じて私とヴィニュロー公爵をさらに引き離し、この国は瓦解するでしょうね」


 少年王は聡明な側近が何を恐ろしいことを言っているのかわからず、震えながらその裾をつかんだ。


「ど、どうすればいい?」


 スリゼー公爵はまだいとけない主君の無邪気な仕草に笑んだ。


「テレーズ殿下のお輿入れを急ぎましょう。そして、ヴィニュロー公爵家や我がスリゼー公爵家と同じくらいの力を持つ、グランシーニュ侯爵に宮廷にお戻りいただきましょう」


 グランシーニュ侯爵、と幼い王は反芻はんすうする。


 父王に何か諫言したとかで、まるで魔除けの盾のように国王を守護し護持してきたヴィニュロー公爵家から「反逆者」宣告を受け、宮廷から追放されていた家だ。


 国王は、何もかもわからないまま、涙を溜めて「わかった」と頷いた。



 その年の秋、グランシーニュ侯爵が帰還する。

 第一王女テレーズとヴィニュロー公爵家との婚約は解消され、彼女はカトライア国王と婚約する。

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