ある四日 / 中野 弘貴 作

緋櫻

プロローグ

 中世ヨーロッパに特徴的な裁判形態として決闘裁判(trial by battle)がある。決闘裁判とは対立する当事者同士に文字通り決闘を行わせ、その勝敗をそのまま判決とするものである。しかし一言に決闘といっても実力重視のものではなく、その実態は宗教要素を多分に含んだものだった。

 勝負を決するのは当事者の力量ではなく神の意思であり、決闘の結果はつまるところ神判であった。天上より見守る神が正しき者に勝利をもたらすと考えられていたのだ。科学が未発達だった当時、あやふやな証拠や証言の真偽を手っ取り早く確かめられるというのは非常に魅力的だっただろう。事実、王侯貴族やローマ教皇庁とその傘下の修道院といった大きな勢力間に対立関係が発生した時、彼らはともすれば世代を超えて続いてしまう面倒事を、決闘裁判という手段を用いて手短に終わらせることがあった。また、通常の裁判とは異なり裁判官を必要としなかったため、裁判の結果への第三者の介入を回避し、当事者同士で問題に決着を付けることが出来た、というのも利点の一つであろう。

 しかし対立する当事者たちが屈強な男たちであるとは限らない。決闘裁判は自由民でありさえすれば男性以外に女性や老人でさえも開くことが出来た。彼らが重量のある甲冑を着込み、剣を手に戦うのは困難を極め、公平不公平どころか勝負にすらならないことは想像に難くない。

 そこで決闘裁判には代理人を立てることが許されていた。自身の代役を決闘に送り込むことが出来るのである。勿論、代理人が決闘で敗れた場合、当事者は殆どが処刑、良くて公位役職剥奪からの幽閉だった。それでも非力な貴族豪商にとっては代理人の存在は重要だった。

 そのため決闘裁判の実施に際し、有力者たちはこぞって腕の立つ強力な代理人を欲した。場合によってはお抱えの代理人を備えている者までいた。

 他方、代理人そのものの境遇は厳しいものだった。その腕を買われて有力者のお抱えになったごく少数な者たちを除けば、彼らは基本的にアウトロー、身分制度の外側に位置する者として扱われた。当然彼らに他の職業に就くという選択肢はなく、明日を生き抜くために決闘の場へと向かうしかなかった。


 彼らは読んで字の如く「代理決闘士」と呼ばれていた。

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