第2話 その男、西後西沼男(さいごにしぬまお)

 北海道、御名醐魯市みなごろし

 この東日本最大級の地方都市たる人口800万人規模の巨大港湾都市には、忌み嫌われる地域が存在する。

 ――『舌苔尸濡町ぜったいしぬちょう

 この都市の中心部に位置しながら、多くの不動産会社が物件を抑えずにいるこの場所は、ただでさえ死亡率の高いこの都市の中で五十割という意味の分からない死亡率を誇っている。

 かつてオフィスビル街として賑わったこの町は、十年ほど前から、原因不明の怪死事件が連続し、人口は驚異的な減少を見せ、都市機能が崩壊。現在は廃墟と、何も知らない哀れな『生贄』たちが流れ着く、悪魔の祭壇となっているのだ。

 

 そんな街に男が一匹、また哀れなる生贄が足を踏み入れる。

 眼光鋭く、丸い赤みがかった色眼鏡の奥より睨む、中折れ帽にトレンチコートという、北海道の夏を舐め切った格好のこの男、名前を『西後西沼男さいごにし ぬまお』という。

 彼は車のない四車線道路の脇にある歩道を、足音響かせ歩いている。

 街は静寂に包まれている。

 

「う、うわあああああああああああああああ!」


 その静寂を突如、切り裂く一人の人間の叫び声。

 沼男はその声に駆け出し、その方向へと向かう。


 そこには細長く、筋くれだった5メートルはある、実に……【スレンダー】な体格にぴったりと合う黒スーツを着た、人間のようなものが立っていた。頭部に顔と呼べるものは一切なく、穴もない。それは長い指を開き、そのスレンダーなマンの前に膝をつき、失禁した男性に向け手を伸ばしていた。

 西後西はスレンダーなマンに対して三メートルほど離れた地点から手をかざし、叫ぶ。


 「破ァッ!」


 その刹那、スレンダーなマンは西後西の方角から衝撃波を受け、二メートルほど後方へ吹き飛ぶ。


 『ドガァアアアアアアン!』


 ――この手応え……この法力では殺せぬ怪異とは……流石は『厄災の中心』と言ったところか。


 西後西はポケットから数珠を取り出しつつ駆け、吹き飛ばしたスレンダーなマンとの距離を詰める。

 だが、西後西はその途中、踵を返し後ろを振り向く。

 その背後にはなんと、吹き飛ばしたはずのスレンダーなマンが立っており、その手を伸ばしていた。


 ――この手は、触れれば何かマズい! 先手必勝!


 「ヤサイマシマシ・カラメマシ・アブラスクナメ・ニンニクスクナメ」


 西後西は謎めいた呪文を唱え手をかざす。


 『ボシュウウウウ……』 


 スレンダーなマンは炎に包まれ、即座に灰と化す。骨すらも残らない。

 

 「祓魔完了……」


 怯えていた男が祈る様な様子で西後西に近づき、泣き叫ぶ。


 「あ、ありがとうございますぅううう!」


 ――! コイツは……!


 『ドスッ!』


 瞬間、目の前の男は、首から喉にナイフが突き刺さり、勢いそのまま前方へ倒れ込む。

 そして、どこからか、高めの笑い声が響く。


 「ケヒャァアアアッ! 1キルぅ! 今日は『生贄』が少なくてタイクツしてたからラッキーだぜぇええ、ヒッヒィーッ!」


 近くの廃ビルの二階からそのナイフの主が飛び降り、空中で一回転してから着地する。

 よれたネクタイにしっかりとしたスーツベストを着て、指ぬき革グローブをした手に持ったナイフをペロリと長い舌で舐める彼女は左側を刈り込み、長い赤い髪を右側に流している。実にチグハグな格好だが、不思議と様になっている。

 

 「へへへ……アンタ相当やるようですねぇ……楽しそうだ……」


 ナイフの刃に舌を這わせながら、彼女は西後西を見定め、ニヤリとした笑いを浮かべる。

 西後西は返答する。


 「ありがとう。危ないところを、助けられたようだな……」


 そう言って彼は頭を下げる。

 対する彼女は困ったような顔をする。

 

 「なっ……何をッ……」


 彼女が言いかけた瞬間、西後西は彼女を右手に抱え、左手でナイフを首に刺された死体へ拳を叩き込む。その死体は何時の間にか、スレンダーなマンの姿に成っており、その手をナイフ使いの彼女に向けていたのだ。


 『ボガァアアアン!』


 「グワァアアッ!」


 死体が叫び声を上げ、破裂。

 何かに誘爆したかの様に爆裂四散した。


 「――気を付けることだな……怪異は縊り殺しても死なない……」


 西後西は爆発に見向きもせず先程の一撃で死体から取り出したナイフを、右手に抱える彼女に差し出す。

 

 「ケヒヒ……怪異に関しちゃ、旦那のほうがお詳しいようですね」


 彼女はナイフを受け取ると腰のホルスターに仕舞う。


 「試すような真似をスミマセン……アタシは『広印一香ひろいん いちか』この街に『生贄』として閉じ込められたケチな暗殺者でさぁ。ケヒヒッ」


 彼女は頭を下げつつも西後西を見る目は離さない。


 ――プロだな。

 

 「おれは西後西沼男。拝み屋だ。わけあってこの地へ怪異を滅殺しに来た……今しがた来たばかりでな。ここのことを教えていただきたい」


 「ケヒヒッ……いいですよ旦那ァ、代わりと言っちゃあナンですが怪異が来た際はあたしを優先的に守ってもらいますがね」


 「ああ、当然、それくらいの礼はするさ」


 彼女はそれを聞くと西後西を手招きし歩き出す。


 「旦那、こっちです。地上じゃ怪異がうようよしてますからね……昼間はまだマシですが夜ともなりゃ、噂通り、致死率五十割です」


 しばらく道を行くと地下鉄駅への階段が見える。


 「アタシ達みたいな『生贄』の中で生き残ってる奴らは大体地下で暮らしてます。……競争率は激しくて、大体がデカい組織の場所になってますがね……」


 西後西は彼女の顔が一瞬曇るのを見逃さなかったが、それについては訊かず、別の質問をした。


 「『生贄』とは?」


 「……アタシみたいな表に出せない犯罪者、凶悪犯、政治犯を世界中からこの場所に移送して、押し込んで、フタをする……それの被害者ですよ。何でも大企業が絡んでるそうで……この土地はただの怪異だらけの土地ってわけじゃあねえんですよ」

 

 ――企業……凶悪犯……『生贄』……そして怪異。やはりこの場所はきな臭い……。地下のコミュニティを利用して情報を集めるか……。


 「オレは勝手にこの土地に入ってきたが……逃げ出す者はいないのか?」


 「ケヒヒッ……この場所は鼠返しみたいなモンです。入るのは簡単、出るのは……不可能。出た瞬間に即死するんですよ……どんな奴でもね」


 階段を降りながら一香はそう返答する。


 「即死か……ここまでの呪い、さもありなんといったところか。まあいい」


 一香は一瞬横目に西後西を見る。


 「ケヒヒッ旦那も相当ないかれですね……さ、着きましたよ」


 一香は布の張られたガラス戸に妙なリズムでノックする。


 「覚えといてくださいよ、入る時の合図なんで……週一で変わりますがね」

 

 中から扉が開かれる。

 そこは、地下歩行空間が広がっていた。だが、多くの人間の生活空間として改造されており、バラック小屋のようなものやゴミ箱を利用した焚火などがある。一種の集落となっているようだ。

 扉を開いた門番の男が一香に伺う。


 「姐さん……その方は」


 「ケヒヒッ……客さ、霊能者のね」


 「それは……どうも、ゆっくりしていってください……!」


 門番は西後西に頭を下げる。


 「ああ、どうも」


 一香が西後西の手を引く。


 「旦那、こっちです。アタシの部屋の方に案内しやす」

  

 西後西は地下歩行空間の事務局があったであろう場所へと通される。一香に促されるまま西後西は事務局奥の扉へと案内されて行った。


 扉を開くと十人はいるであろう明らかにカタギではないスーツの男たち、そしてその中心で事務机に向かうパンチパーマに薄めのサングラスをした、眼光鋭い、額に傷のある男が立ち上がり、西後西の方へと近づいてゆく。


 ――何かの組織のものだったか……それにこの組織は……。


 どかりと男は上座へと座り、西後西に手で下座へ座るように勧めた。

 緊張感が部屋中へと走った。


(続く)

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