第55話 グロリオサ


「イカれたァことになってやがるがァ。まー好都合ってやつだなァ」


 そんな、男の大声が響き渡ったのだ。何事かと全員の視線が声のした方へ向く。

 クレーターとなっているこの円状戦場。そのふちの上、曲線の頂点部分に一人ではなくぞろぞろと数十人がこちらを覗き込んでいた。それらのかしらのように膝を立ててニヒルな笑みを浮かべている大柄の男の名を叫ぶ。


「オマエ……アンギアっ」

「ハッ! クソ餓鬼はしつこく生きてやがったかァ」


 いつもの口悪さと言えばそれまでだが、あらゆるアンギアの不自然さから別の意味を受け取ってしまう。


「……」

「ッチ。まーいい。どうさテメェーらはァ死ぬみてェーだし、俺らはァ俺らの仕事をすんだけだァ」

「仕事だと?」

「ああ」


 そう、アンギア・セブンを含める無法都市フリーダムの冒険者たちの目が一斉に一人の少女へと向けられた。まるで蛇のような悪戯な視線にその少女、ルナは「わ、私……?」と困惑の少しの不愉快さに歩を下げる。

 それを冒険者が嗤った。


「いやーひとり仲間外れとかラッキー以外にないんだけど」

「あれだろ。お姫様はお下がりくださいってやつ」

「ならオレらは悪役か!」

「違いねぇー! なら悪役らしく女を堪能するのも一興だなぁ」

「オイオイ。それはまずいってよ。一応軍の依頼だぜ? 俺ら全員に犯されるとかマジで性奴隷になるしかなくなるぜ」

「想像しただけでも勃ってきたんだけど!」

「おれもおれも。いやー、最近飽きて売ったばかりだからさー。新しいおもちゃほしかったんだよねー」

「テメェーらいい加減にィしやがれェ。軍の依頼内容は忘れやがったかァ?」

「アレっスよね。戦える状況で捕獲しろっスよね」

「だいじょうぶだってよボス。一人一回くらいじゃ問題ねーて」

「そうそう。てか、奴隷にならないだけマシって話し」

「言えてるー! 僕らが優しいお兄さんたちでよかったねお嬢ちゃん。僕らじゃなかったら物好きに売り飛ばされて一生クソジジイの玩具扱いだったよ。いやー僕らってもしかしてカバラ教の言う救世主?ってやつだったり」

「マジそれな! ま、無償の救済ってないじゃん。というわけでお礼はもらわないとってこと」


 頭が飛んでいる……そう一言で表せないおぞましさとそれに隠れたさかしい利己心が獲物の眼で笑いかけ、ルナを想像で凌辱りょうじょくする。低俗な思想を隠そうとはせず、逆に見せつけて理解させることで恐怖に竦ませようとさせてくる冒険者どもに。例に違わずルナは更に一歩後退った。それを好機と見て戦場へと降りてくる。

 逃げるに対する逃がさない意思。それがより現実を突きつけ想像を膨らませ恐怖心をあおる。そして冒険者の表情は笑みである。怒りでも欲望に満ちた下衆な顔でもない。大丈夫だよと呼びかけるような笑みだ。だというのに伝染してくる思想はルナを強姦する性欲と軍に売りつけえる金欲だ。得体の知れない理解できない矛盾が脅しなんてものよりも強烈な戦慄を与える。


 そう、無法都市の冒険者こそ、人の醜さと弱さを一番知る対人戦に優れた戦士たちだ。女をどうすれば簡単に屈服させ調教できるか、言葉や表情のみで人の精神を犯す。

 人とは己の既知外を酷く恐れる臆病な生き物だから。

 例にもれず、ルナの身体はこわばり、固めていた立ち向かう勇気が一瞬で崩れてしまった。強く在りたいと確かに抱いた心根は、されど侵入してきた暗闇に隠されてしまう。闇を腕でかいて払いのけ雪山を進むように、闇と言う名のあらゆる忌憚きたんを払いのけなければ、あの強さにすがれない。

 彼らの歩みはその猶予ゆうよすら与えない。


「クソがッ! ふざけてんのかァ! アンギアッ! オマエらもやめろッ!」


 ルナに近づくなと噛みつくアディルに【雷霆領域】の外側からアンギアたちは負け犬の遠吠えを嘲笑うように下衆な笑みで弧を描く。

 アンギアは見下す鋭利な眼差しで鼻を鳴らした。


「言ったはずだァクソ餓鬼ィ。テメェーはァ殺害対象なんだよォ。大人しくそこでェくたばっとけェ」

「アンギアァアアアアアアア‼」

「ッチ。ウゼーウルセー耳障りでェ目障りだァクソ餓鬼ィ。テメェーの下手なァ危惧通りィ、これがァ俺らの性分だァ」

「……っ⁉ 娘の話しもブラフか」

「ハッ! テメェーらがァクソったれな偽善者でェ安心したぜェ。精々、テメェーらの正義っつーもんでェ救ってみやがるんだなァ」

「テメェェエエエエエエエエエエエッッッ‼」


 殴りかかるも阻む【雷霆領域】。こちらが理不尽を打倒するために展開した策のはずなのに、その性質が今こうして裏目に出ている。ルナをこの危険な戦場から遠ざけるために一人外に残したというのに、皮肉なことにすべてはアンギアの好都合となって現在に至る。


「やっめてッ! こないでっ!」

「おいおい。そんなに逃げんなよ。お兄さん悲しいんだけど」

「おまえの顔が胡散臭うさんくさいからだろ」

「ほらほら。怖くないから。きっとすぐ気持ちよくなって俺らに付いて来てよかったって思から」

「大丈夫だって。僕らだって軍が怖いんだよねー。ま、人数比も倍以上だし。眼をつけられて攻め入られたらちょっとねー。だから絶対に傷つけたり痛いことはしないから」

「そうそう! ちょーと、臭いだけだから」

「はいアウト」

「ほら、まーた遠ざかっちゃったじゃん」

「えーなんで⁉ みんな最後にはこのにおいが大好きって言うのになー」

「それ調教された豚たちだし」


 ゲラゲラと嗤う気色の悪いこと。来ないでと、やめてと、そう嫌がるルナに彼らは嗜虐心しぎゃくしんを煽られますますルナに卑しさで見る。

 その脚が早歩きとなり、その手が無数に伸びて、その笑みが獣のように視界いっぱいを埋める。


「はぁはぁっぁっ……やっ、こないでぇ……っや……ぁ、ぁはぁぁ……っ」

「オイやめろッ! やめろっつってんだろッ‼ テメェーらの脳みそはクソ塗れかッ‼ その指一本でも触れてみろ‼」

「触れたらどうなんるんですか~~?」

「てか、やめろって言われてやめるわけないじゃん。そっちの方が脳みそ大丈夫? アプス淡水で洗ってあげよか? あ、洗ったら死んじゃうか」

「ハハハハハハハハハハハ‼」


 ずっと観察していた彼らは【雷霆領域】の脅威を理解していた。曲りなりにも冒険者故にアディルが向こう側からこちらへ何も干渉できないことを。だから存分に煽りバカにしてゲラゲラと嗤う。


「きゃっ⁉」

「ルナっ⁉」


 足がもつれこけてしまったルナを容赦なくならず者どもは追い詰める。やめて、来ないで、嫌だ。その拒絶を何度と繰り返し、がくがくと震える脚でお尻を引きずりながら下がる。しかし、それも大詰めだ。


「えっ?」


 ごつん。何かが背中に当たる。逃げられないように創造された岩壁がルナの退路を断った。

 もう逃げ場はない。目の前にすぐ彼らが手を伸ばし迫る。無数の悍ましい言葉たちが身体を這いまわり、臓器を撫で尽くし、喉を握る。

 声が出ない。身体が動かない。身体中から何かもわからない体液が溢れ出て、嗚呼、これがネルファの陥った地獄だったのだと、同じような光景をルナは確かに目にした。

 その手、その脚、その口、その眼、その身体、その言葉、その息、その唾液、その体液、その脂、その皮膚、その頭、その思考、その笑み。それらのその蠢く闇がルナを汚染せんと雪崩込み――



「っざけんなァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ‼」



 大地が怯えるほどの雷撃が震撼した。誰も耳にしたことのないほどの轟雷が鮮明なる純白を落雷させ、生き物の真髄を揺るがした。

 その光が天地を切り裂き世界から一瞬の色を奪い去る。

 その音が地獄と天国を打ち砕き世界のすべてに証明する。

 その一撃がとある少年の本気の怒りであると、領域内に収まらず外界へと衝撃を撒き散らした。土の層を一つ吹き飛ばす憤慨の暴力がルナに迫った蠢く闇を吹き飛ばし、水幻体の半分を焼却した。


「―――――――――――」


 しかしだ。それでも【雷霆領域】は破壊できず反動の雷雨が領域内だけに降り注いだ。


「お、兄ちゃん……」


 やっと声をだすことができたリヴは眼を大きく開ける。

 だってそこには、身体中から硝煙を上げるアディルがいた。汗のように血を流し、ふらふらと剣を杖代わりに身体を支える満身創痍の男が。けれど、リヴが驚愕したのは兄の状況ではない。


 見たことが……いや、一度しか見たことのない正真正銘激怒する兄がそこにいたからだ。


「…………」


 度肝どぎもを抜かす冒険者どもに、瀕死の身でそれでも意志を宿した瞳で告げる。


「触んなっ……っつったろ……ころ、すぞッ」

「――――っ⁉」


 肝が冷えるとはこのことか。いや、まさしく竜の逆鱗に触れたのだ。決して触れては、怒らせては、踏み込んではならないそこに踏み込んだのだ。

 故に逆鱗が降された。


「…………っ」


 もしもと考える。もしも、【雷霆領域】がなければ。もしも、満身創痍ではなければ。もしも、『聖域』ではなければ。

 無意識に考えてしまうもしもに誰もが身震いし蒼白する。


 次はない……その意こそ、その想像そのものの意だ。


 冒険者たちもリヴもアイレももしもに恐れ為す中、ただ一人の男は違った。


「……ハッ。相当お気に入りィみてェーだなァ、クソ餓鬼ィ」

「……アンギアッ!」


 今にも噛みつかんとするアディルだが、既に限界を超えている身体は意志とは反対に言うことを聞かず膝を崩す。


「それがァテメェーの限界だァ」

「――っっ!」

「悪いがなァ。俺も金が欲しんだよォ。テメェーの冒険ごっこにィ構ってる暇はァねェー」

「クソっがァっ……」


 ぼやける視界と遠くなる声を最後に、アディルはその場に倒れてしまった。


「お……兄ちゃん……?」


 恐る恐る呼びかけるリヴ。しかしアディルの返事はない。もう一度「お兄ちゃん」と呼んで身体を揺らすも、悪語の一つも飛び出してこない。

 それをもう一度おこない、ようやくリヴは現実に引き戻った。


「おにちゃんっ! ねえ! お兄ちゃん! ねえって! お兄ちゃん! 返事してよっ! お兄ちゃん――っ!」


 何度も呼びかけ身体を揺らすも一向に返事はなく、最悪な予感が過り震える腕でアディルをうつ伏せから仰向けの状態にする。今にもこと切れそうな浅く小さな呼吸が残酷に死の影を呼び寄せた。その影はギルタブリルのような『死神』となってアディルの首に鎌をあてがう。


「――っイヤァアアアアアアアアアアアアアア!」


 少女の絶叫が響き渡った。嗚咽おえつを漏らしながら抱き着く幼子のような妹を、いつだってあやす兄は眼を覚まさない。


「お兄ちゃぁぁぁああっ。起きてよっ! 起きてよっ!」

「…………」

「ほ、ほらっ。く、くすり! くすり、のんでっ……っきっと、だい……ぶっ……だからっ……ぁっうぁっ……のんで、よ……」

「…………」

「なんか……へんじ、……してよ……っあほ……ばかっ……おにいちゃん、の……めんたい、こ…………」


 目を覚ましてはくれない。薬を飲んではくれない。そもそもこの薬が効くのかわからない。どうすればいいのかわからない。

 がくりと、リヴの頭は垂れ、腕の力が抜けていき、アディルの頬に大粒の後悔が落ちる。

 少女の苦しい泣き声が反響した。まるで雨が降りしきる霧の中のように。


「…………悪いなァ。俺にもォ使命っつーもんはァあんだよォ」


 ああ、やはり罪なのだと言わざるを得ない。生きるためでも欲を満たすためであっても。その使命が生きることそのものだとするアンギア・セブンのそれもまた、嗚呼、罪だと言わざるを得ない。こうして、一人の少女が泣いているのだから。


「テメェーらァ。その歌姫ディーヴァを回収してェとっとと去るぞォ」

「……は、へい」


 アンギアの指示に動き出す冒険者たち。しかし、次には立ち止まっていた。


かしら……あれ」

「アァ? なにちんたら」


 三十を超える冒険者の視線の先にアンギアは一瞬言葉を失った。

 そして出て来た言葉は。


「なぜだァ?」


 そんな、稚拙な問いだった。


 有り得ない。それが答えで、あるべき姿とは乖離した現実が冒険者たちを困惑させた。

 アンギアは再び問う。


「なぜだァ?」


「――――」


「なぜェッ! テメェーはァ立ち上がるゥ!」


「――強く在りたいから」


 それが真実であり、それが彼女の勇気だった。


 ルナはその両手でナイフ――〈歌を守る剣ディヴァマーテル〉を握りしめ巨悪の根源に戦う意志を向けて立ち上がっていた。

 相変わらず震えているのに、その藍色の瞳は炎のような一途な戦士を灯していた。

 風のひと吹きで崩れそうな弱弱しい身体だというのに、その眼の炎は消えることはない。

 まるで、最後まで抗った愚直な偽善者のようだ。


「……テメェーわかってんのかァ? 得物を向ける意味ってやつをォ」

「わかってます。……私は、強くなりたいって思ったの」

「テメェーのクソどうでもいい事情なんかァ――」


 その純白を唾棄しようとしたアンギアの言葉を否定するように。


「だから、今度こそは逃げない!」


 その純白に天が光を注ぐ。


「もう、逃げないっ」


 それがルナの答えであり、変わらない憧憬の在り方であった。


 ルナは〈歌を守る剣ディヴァマーテル〉を地面に突き刺し、ただ願うのだ。強く強く強く誰にも負けないくらいに強く願う。


「――お願い――力を貸して!」


 言霊には力が宿る。それは時に魔術となり、それは時に心歌術エルリートとなり、それは時に『奇跡』となる。

 言葉はそれだけに重く強く正しく悪質で怖く、けれど豊で幸せで己だから。

 ルナの言霊が〈歌を守る剣ディヴァマーテル〉を通して大地へと浸透した。

 願いが呟かれる。助けたいと。生きたいと。負けたくないと。そして――


「誰も死なせたくない――」


 そんな愚かな願いがルナという少女として言霊は笑みを浮かべた。

 三百年間、いやそれよりも前から。

 誰も願わなく、抱かなくなった、荒唐無稽ではなはだ夢物語染みた幻想の願望に。

 それを殊更純粋に願った少女に、何かがが答える。

 それは強く胸の奥を燃やし、不思議な感覚が灯る。その灯火を感じながらそっと漲る力を発動させた。



「【命楔と豊穣の息吹アマルティア】」



 すべてのエレメントの属性に適応できる〈歌を守る剣ディヴァマーテル〉より大地に翡翠色の光の波紋が幾重に広がっていく。


「な、なんだこれ?」


 狼狽える冒険者たちの足元より複数の樹根が彼らを絡めとった。先のアイレ一人に対してではなく、三十の冒険者全員をだ。

 自然の脅威と力がルナの願いに倣って真価を発揮する。身動き一つとれない強力な樹根はならず者かれら戦意を吸い取る。それは誰一人殺さずに動きを封じるルナの願望の体現だ。


「ぐぐぐっ! こんなのォ! 屁でもねェーぜェ!」


 ただ一人、アンギアだけは真に鍛え上げられた力量を持って樹根を打ち破った。束縛を破られた樹根が即座に四つと数を増やして襲い掛かる。


「俺をォ押さえつけようなんざァ百年ッはえェーんだよォ!」


 背に背負う大剣のひと凪が斬核した。まるで相手にならないと唾を吐き捨てた獣のような眼光がルナを穿ち、その威圧に一瞬の判断が遅れる。大地を蹴ったアンギアが猛スピードで迫り来た。


「ぐっ」


 慌てて大地を操作し樹根で脚を阻むが、軽やかにして大仰な馬鹿力が小石を蹴るように抹殺。彼我の距離は数秒で縮まり逃げる猶予は与えられず、目の前にてアンギアは冷徹な眼差しと共に大剣を振り下ろした。

 両断する斬撃が――バジッっと破ける音を耳の端に。瞬間に髪を攫われた。何かの余波が先行して意識を呼びつけ、渦まく風の奔流が斬撃を吹き飛ばした。

 尻もちをついて見上げるルナは「え……」と零す。そしてどうしてと眼を開くルナに、その風使いは眼を眇め。


「悪いけど、この子は僕のものだ。殺されるわけにはいかないんだよ」

「はっ! 今更聖人気取りかよォ。キメェーんだよォ。モンスターマニアめェ」

「……いつもの僕なら君のくだらない発現は許してあげるけど」


 そう、アイレは一度と振り返ってルナを見てから告げた。


「君は僕のこの上ない邪魔をした。彼女には生きて成し遂げてほしいことがある。だから――邪魔な君はここで排除するよ」

「やってみやがれェやァアアア‼ クソ餓鬼ィ!」


 更に力を増す二強のせめぎ合いがルナの介入の余地を潰す。ふと、その声は爆風の中でそっとルナの耳に囁かれた。


「その力で彼を助けてあげな」

「…………」

「それと、頼むよ」

「…………うん!」


 力を込めて立ち上がり彼らを無視してアディルの下へと向かう。その様子を鼻で笑ったアンギアにアイレは肩を竦め。


「ただ、助けたい……それはとても難しいことだね」

「アァ?」

「失ったものはどうやっても取り戻せないんだよ」

「…………黙れェ、クソ餓鬼ィ」


『聖域』の効果によって弱体化している炎の大剣と風の奔流が対峙した。

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