第46話 それぞれの準備
生きる上ですべてに意味があるなどと思ったことはない。
アンギア・セブンにとって生きることとは即ちどれだけ愉悦に浸れるかの賭け事だ。愉悦、心の良い様を長い人生の間にどれだけ感じとれるか。その享楽にいちいち意味は見出さない。故に退屈を嫌い空虚を嫌い感傷を嫌う。求めるのは愉しみの一点のみ。その為ならば仲間や友、恋人ですら切り捨てる意地を持ち、その上で仁義を提唱する喰わせ者だ。そこに善悪などそれこそ定義しない。他者が悪と言おうとも彼にとっては食事の好き嫌いに他ならず、善とすれどまた然り。故に彼は支配者であっても王ではない。これを独善と言い、彼を独裁者と称する。
アンギア・セブンとは人生に意味ではなく、価値を選ぶ者なのだ。
さて、そんなアンギア・セブンとアディルが相まみえたのは昨日、後数時間で二日前になるが、レストランで依頼を受けた時以来だろう。開いた一日にアンギアが何をしていたのかは知らないが、いつも通りの平静に戻っていた。
「ようクソ餓鬼ィ。遠足はァ楽しかったかァ」
酒を煽る独裁者に真言する者はいない。ましてや唾を吐くはしたものも。
「オマエほど邪魔な人間はいねーだろうな」
「ハハハ! テメェーのためにィ用意してやったァ時間と場所だろうがァ。テメェーにクソ説教されるいわれはねェーよォ」
ギルド公営所のど真ん中、丸机一つに向か合うように椅子が二つ。一つにはアンギアが腰を下ろして酒とトカゲの丸焼きがテーブルに。見渡せば冒険者、商人関係なく入り乱れている。傍目には各々の仕事や食事などを行っているようだが、その眼、耳は常にこちらを注視しているのがわかる。アディルは眼を眇め、舌打ちを抑える。
「で、なんだァ? テメェーが俺に聞きてェーことってのはァ?」
「…………クソが」
聴衆がウザイ。決して周囲には聞かれたくない話し故に密会を頼んだはずだが、アンギアの取った手段がこれだった。常に監視の目と耳がある聴衆所。それがアンギアの選択だ。
むろん、この結果から得られることもあるが、こうも敵味方が判別できない無法都市内となると下手な情報一つで幾重には
「ネルファ・アルザーノのことだ。本当にどこに行ったのか知らねーのか?」
「あァ? ……知らねェーよォ。んなことはァ話しただろうがァ。それともなんだァ? 俺の美談がァ嘘くせェーってイチャモンでもつけやがんのかァ?」
「んなつもりはねーよ。ただ、カイン・ビルマーは世話になったって言ってやがったから、オマエになんもなしにいなくなるとは思えねーだけだ」
「世話ねェー……」
「加えて売られた可能性だが、大体の奴は知ってるはずだろ。あの日、オマエがネルファを介護した。つまり」
「ギルド取締役の俺様の客人扱いってかァ」
「ああ。無法都市で一番の暴君に刃を向く反逆者は少ねーだろ」
あくまで可能性の話しだ。もちろん、反逆者がいないわけではない。裏の連中ならどうやってアンギア・セブンどもに恥じをかかせ殺すかを計画していてもおかしいくはない。しかし、アンギア・セブンは非道でありながらも仁義を有し、それを説く。ましてや一度妻を持ち子どもを授かった親の身だ。娘と同じ年ほどのネルファをどうかするとは考え難い。それこそ愉悦に反する。
アンギアはトカゲを齧り酒を煽る。プハーと快楽の息を吐く。ほのかに赤らんだ頬は、けれどその眼は常に鋭利でありアディルを観察している。
「……あの小娘がァどこにィ行きやがったのかは知らねェーがァ。裏にはァ渡ってねェーよォ」
「それはホントか?」
「ッチ。嘘つく理由も利益もねェー。さしづめ例の死人を蘇らせる花にでもォ縋りにいったんじゃァねェーかァ。相当愛してやがったァみてェーだからなァ」
「…………」
嘘は感じ取れな。そして今、アディルは
アンギアは非道だ。たとえ子どもであろうとその素性を道具として扱える。死者だろうが生者だろうが無責任に
「最後に一つ」
「あァ? テメェー」
「今、オマエは依頼を受けてやがるか?」
「…………。テメェーには関係ねェーよォ。そもそも依頼なんざァする必要は俺にはねェー」
「……そうか」
それを最後にアディルは背を向ける。ある程度の情報は集まったが根本が今だ判明しない。
『クルル海湖』で起こった行方不明事件。ネルファと思われる少女と謎の黒衣の人物が話していたとされる蘇生の花。『青鈴の蘭草原』の『聖域』問題。そして、イレギュラーの存在。他にも不可解な点は多いが、これらすべての謎が明日判明する。
「敵の情報が
とにもかくにも、こんな所で
冒険者たちが少しばかり騒がしくなっているのを感じながら、リヴは着々と準備を始めていく。
宿のリヴとルナの一室にルナはおらず、雑多に広がっているのは素材やセフィラなどの武具類だ。そして、それらの中心、リヴの前には直径一メル半くらいの錬金窯が一つ。
「さてはてやりますか」
袖をまくり気合いを入れる。
アルケミア結晶、
「よし。じゃあいくよ。【オプス・オン】」
「完成っと。よしこのままいっちゃおー」
リヴは続いて明日の戦いに必要になると思われる
素材集めで採取したヌエの肉体はもちろん、キュクロプスの目玉と
『聖域』と予想される『青鈴の蘭草原』において水属性以外の属性は減力されており攻撃には使い物にはならない。しかし、
そうして一通り作り終えた頃にはリヴはへとへとと今にも倒れてしまいそうなほど疲労が濃く見えた。数時間に及ぶ連続の錬金術だ。精密な調整に神経も使い、ナギとエレメントの現象にエネルギーと精神も疲労困憊。今すぐ寝たい休みたい願望を抱きながら。
「最後だから踏ん張れあたし」
頬を叩いてガッツを入れる。
「最後はお待ちかねの雷竜ドゥグロームの鱗だけど、どうしてやろうかね。ひひひ」
完全に頭がハイになっていた。魔女でもこんな笑いかたはしないだろう。
素材の中でも群を抜いて最高級の素材だ。使用方法は多岐に渡り、どうせならこの一戦に終わらずこの先の戦いには使える武器でありたい。
「う~ん」
頭を捻って数分考えた末、リヴは眼を開いて不敵な笑みを浮かべた。別に寝ていたわけではない。
「よし。いっちょやっちゃいますか」
そして、雷属性最高級の鱗と激戦を繰り広げたのだ。
どこか嘘を見ている気分だった。そういうものだと聞かされていたはずなのに、今だ現実として捉えられていない。
恐らく初めてだった。人が人を殺すのを見たのは。
「……」
言いようのできない胸の騒めきは必要な殺害への畏怖だろうか。恐怖だろうか。拒絶だろうか。ただ、ずっと残ってる。瞼の裏にその光景がルナを見つめる。その死体がルナを見る。
――どうして殺した? どうして助けてくれなかった? この殺人鬼め。
「……そう、なのかな」
わからない。でも、そんな幻聴が止まない。
わかっている。彼らがルナたちを先に殺そうとしたことを。
だから正当防衛だ。仕方のないことだ。殺すということは殺されるということ。それを許容して初めて成立する生きるための殺し合い。
わかってる。わかっていない。それでも、わかっていたいと思いたくて、けれどわかりたくなどないから。
「私は……」
答えが出せないでいる。彼らの罪を
生きるために、その免罪符をどれだけ使えば罪になるのか。その殺し合いは日常的普遍な事柄なのか。その責任転換を何度すれば悪になるのか。そもそもその中に悪ははっきりと存在することがあるのか。
悪がなければ正義はない。すべてが主観でしかなくなり、つまり誰にも肯定されない。客観が敵となり存在を許されなくなる。そうなった場合、己の在り方は何を持って正しいと貫けるだろうか。
「私は……あんなのは嫌だ。誰かを殺すのは……嫌だ」
嫌だった。ただただに嫌だった。誰かが悪意を持って殺そうとするのも。免罪符を掲げて手を下すのも。それを友達が
けれど、殺し合いはこの世界では一般的なことで時には殺さないと殺されるばかりで。もしかしたらルナの嫌悪は誰にも受け入れられないかもしれない。
それでも、この弱く脆く儚い心で思うのだ。
「やっぱり、嫌だ」
ならどうすると聞かれて、明確な答えはないけれど。
それでも今はこの気持ちを抱いていようと思う。
どれだけ滑稽で幼く醜く憐れで救い難い世迷言だとしても。
「私は誰も死んでほしくないよ」
それは記憶喪失の『私』として『ルナ』として変わらない想いとなり、少女は一つ自分を形成した。
そうして朝を迎える。
決戦の朝か。はたまた破滅の朝か。それとも、約束の朝か。
青年は花が咲くように降り出す光の空を見上げながらその名を呟く。
「クゥー。待ってて。今、行くから」
この世界でただ一人、鱗の少女のその名を知るただ一人は覚悟を決める。
約束を果たそう。少女と誓った安らぎと奇跡をもたらそう。
三百年を生きて青年は消えることなく流れ続ける風に乗せて。
「君を助けに行くよ」
そう、彼は静かに愛を囁いた。少女へのささやかな愛を。
紅月の刻 十三日。 地下 昇月六時。
無法都市フリーダム西門外に集まったアディルとリヴ、ルナ。そしてアイレ。かの四人は行方不明者が続出している北西に広がる水面の湿地帯、『クルル海湖』に属する『聖域』と果てた水脈の平原『青鈴の蘭草原』へと調査に向かう。
「確認だ。俺らが向かうのは『クルル海湖』北東に位置する水棲の聖域のある『青鈴の蘭草原』だ。水属性の加護と他属性の能力低下が及ぼす『聖域』には注意しろ」
各々が頷く。
「ギルタブリル、雷竜ドゥグロームとは異なった強敵と相まみえるだろう。覚悟はいいな?」
アディルはここでもう一度問う。この冒険に挑む覚悟はあるか否か。
「今更何言ってんの。あるに決まってないと夜通し
「オマエは趣味でやるだろうが」
「てへ」
いつも通り道化を演じるリヴはそれでも一番初めに覚悟を示した。ハイネック型の白のブラウスに膝丈のスカート。いつも着ているコートに変わって
「これはルナね」
「私に?」
はい、と手渡されたのはナイフ。純白の悪を浄化するような綺麗なナイフだ。
「いつでもあたしやアディルがルナを守れるわけじゃないからさ。自衛ように持っといてよ」
「私に使えるかな?」
「大丈夫大丈夫。ちょー頑丈だから振り回すだけでオッケー。あ、ちなみに名前は〈
「〈
重さは筋力のないルナでも余裕で触れるように調整され、しかし振り抜けてしまうほど軽いわけではない。持ち心地もよくナイフとあって刃は短くルナでも扱いやすい代物だ。
変わらずの黒のロングワンピースにノースリーブの肩には白守の衣で腕が保護されている。その上から紺色の
「ありがとうリヴ。これでもっとみんなの役に立てるように頑張るよ」
「うん、その意気! というわけでアディルはこっちね」
「これは……ペンダントか」
黒の鎖に黄金色の宝石があしらわれたペンダントだ。
「
「「「雷竜の召喚⁉」」」
三者三様ビックリ声を上げる。それが気持ちよかったのか。
「そうなのです! えっへん。まあーさすがは天才美少女錬金術師リヴちゃんなわけですよー。えへへへ」
とこれでもかと得意げなリヴが誕生した。
「蓄電した雷力を疑似的に雷竜にして召喚できる能力。ちなみにこのペンダントにはヌエの角を使ってるから〈
「おい待て。何勝手に名前を」
「あたしが創造者なんであたしに命名権がありますー。ということで必殺技みたいに名前を叫ぶこと。いいね」
「叫ばねーよ」
調子に乗り始めたリヴがあれやこれやと
「で、オマエはどうだ?」
ルナはアディルを見上げ〈
「私は逃げたくないんです。罪や責任から逃げたくない。ちゃんと
ルナは甘んじなかった。すべてはアディルとリヴの責任にできるというのに、ルナはそれをしなかった。もっと過酷で辛い道を歩くことを自ら受けいれて頷き返す。アディルはただただに眩しくて、その在り方に己の浅ましさを呪った。
「で、
「僕は変わらないよ。僕は助けたい人がいるんだ。既に死んでるとしてもね、ちゃんとお別れは言いたい。それに
「……適当にしろ」
「君はもう少し人に優しくしたほうがいいよ」
「黙れ」
「ちょっと! なんで誰も聞いてないの!」
頬を膨らませるリヴに三人揃って苦笑した。
さて、覚悟は決まった。やるべきことも定まった。この先は余すことなく未知だ。誰にもわからない理不尽の神秘が襲うだろう。生きつくこと帰ることが叶わぬかもしれない。【エリア】がどう牙を向くか、獣が何をしようとするか。誰にもわからない。
されど冒険者は挑む。己の信条や願いを持って可能性に挑む。
不敵な笑みを浮かべる少女は告げた。
「じゃあ、いこっか」
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