第32話 求婚して何が悪い!
「あれってなんですか?」
気を取り直して、ルナは指差す。頭一つ突き抜けて立つ灯台のようなどうにも全身木製作りの塔のようだ。
「監視塔だ」
「監視塔? あ、もしかしてパンテオンが来たら知らせる」
「そうだ。入口に門兵もいやがっただろ。仕事して生活してる奴らもいんだよ」
「そうなんだ……」
冒険者じゃないの?という疑問は改めて訊ねてみるとしいて、「着いたー」というリヴの元気な声にその建物を見上げた。
二階建ての高さはそこまでないが、横幅奥行ともに民家複数分ほどに広大だった。まるで城壁を眺めている気分だ。その建物の看板には文字でなんらかの店名が書かれている。生憎ルナはこの世界の文字が読めないので店名がわかることはない。ただ、目的地ということはここは宿なのだと知る。
「はぁーもうくたくた。ベッドとお風呂があたしを呼んでる声がするよー」
ふらふらと先に行ってしまったリヴにアディルがため息を吐く。
「あいつ金持ってねーだろ」
うん、アディルが使ったからね、そんなリヴの恨めしい声が聴こえた気がする。
「あはは。でも、私もなんだか疲れたかも」
「……そうだな。今日明日くらいは休むか」
「うん」
リヴの後に続いて二人も入店する。出迎えた大きなフロアは横長の長方形で二階から一望できる形になっている。フロントの左右に二階への階段があり、一階二階ともに奥へと客室が続いている。フロアの左手が食堂、右手が大浴場とのことだ。
「すごく大きい」
「一番大きい宿だからな。確か客室が百はあったはずだ」
「ひゃっひゃく⁉」
びっくり仰天。出入口フロアの奥に百個も部屋があるのだと思うとまるで果ての見えない廊下のように思えて、もしかしたらこの宿はものすごく縦長なのではと。それを想像しようとしても四角箱型しか思い浮かばず、どうしても上に伸びてしまう。
「ルナ! アディル! はやくはやく!」
フロント嬢越しのカウンターで手招きするリヴに「餓鬼だな」と近づく。宿の大きさに
「部屋は二つでいいでしょ。アディルは一人ね」
「わかってる」
「朝食はついてるけど、夕食はどうする?」
「金貨一枚はたけーよ。二泊分、夕食抜きだ」
「かしこまりました」
「えー。てか、なんであんな大金渡しちゃうかなー。もっと少なくても大丈夫だったのに、勿体ない」
「別にここを発てばもういらねー金だ。俺がどうしようがいいだろ」
「あたしのへそくりは必要なんだけどね! だから全額払ってよ!」
「ッチ」
「舌打ちだめですぅー」
ウザイと吐き捨てたアディルがフロントの受付嬢に二泊三人分の金を払っていると、ルナの肩がトントンと背後から叩かれた。振り向くとそこには
タコ唇は言った。
「一目惚れしました! 俺と結婚してください‼」
「…………え?」
瞬間、ドッと沸き上がる。フロアで休んでいた冒険者たちが口笛を吹いたり煽り文句を立てたりと一世一代の劇場に仕立て上げた。
だが、当のルナは何がなんだかわかっていない。
(えっと……私が告白されたの?)
イエスである。
(私に……その、求婚を?)
まごうことなきイエスである。
(一目惚れって……うそだよね?)
ノー。嘘ではない。このタコ唇は本気の本気である。御覧あれ。普段しない礼服は先ほど至急調達したものであり、花束も吹っ掛けられた大金をそのまま払って買った愛の花。
とにかく返事を。
「えっと……その、あなたのことよく知らないんで……ご、ごめんなさい」
「ガーン‼」
眼に見えて凹むタコ唇で、しかし諦めない。
「な、ならば! 俺のことを知れば結婚してくれるとうことか!」
「え? そ、そうじゃなくて……」
「俺の名前はタコノ・タコスケ。好きな食べ物はタコ! 嫌いな食べ物はイカ! 好きな人は……そう、君さ」
「あ、はぁ……」
なぜ決めポーズ? 困惑するルナを置いてタコ唇は続ける。
「好きな人は君で。好きな女の子は君で。結婚したい人は君で。えっちしたい人は君で。一緒に死にたい人は君で。来世は幼馴染として産まれたいのも君だ!」
自己紹介ではなく宗教勧誘であった。うん、そうに違いない。もしもこれが告白などというのなら正直気持ち悪く今すぐ憲兵に投げつけたいまであった。むしろ憲兵を投げつけたい。
周囲もドン引きするタコ唇の自己紹介はべらべらと続き、そして最後にこうしめ括った。
「つまり、俺と結婚してくれ」
「無理です」
「ぐはっ‼」
吐血するタコ唇。容赦のないルナの拒否に、それでもタコ唇は諦めない。その眼は闘志に燃え盛り、何としてでもルナと結婚したいという欲望がタコ唇を立ち上がらせた。
ドシドシと近寄って来るタコ唇。これにはさすがのルナも多大なる恐怖を感じ「来ないで」と後退る。しかし、タコ唇には「そんなに結婚したいなら捕まえてごらん。タコちゃん」と幻聴しており、血走った
タコ唇は今だ! そう地面を蹴った。そのままルナへと抱き着くように。
「俺と結婚してぇえええええええええええええ…………ふぇ?」
ルナまであと一メルほどの距離でタコ唇の身体が止まった。あと少しと伸ばした手は閃光の速さで振り下ろされた手刀により往なされた。
「いだぁぁああああああああああ⁉」
「テメェーざけてんのか?」
その声に視線を上げる。そこにはあらん限りの怒気を孕んだ双子の兄妹がタコ唇を見下していた。一気に冷める体温が正気を取り戻し自分の状態を知る。
アディルに頭を鷲掴みにされていたのだった。
「…………砕かないでくださいね。あはははは…………」
「…………」
「イダだだだだだだァ‼ 力入れないで! 潰れる壊れる頭の形が変わるぅぅぅ‼」
「ダメダメ。あんたさーあたしの友達に手を出したの。わかるよね?」
「て、ててててはだだだだしてまままません」
「うん。罪状は死刑ね」
「慈悲をぉおおおおおおおおおおおおおおお‼」
「慈悲? あはははは・面白いねあんた」
「そ、そうですか? もっと面白いこととかできますよ!」
「そうなんだ。じゃあ、タコ揚げとかどうかな?」
「…………」
「どうかな?」
「…………」
「焼く方がいい? ん?」
有無言わせぬリヴの圧に血の気の失せたタコ唇は顔を上げて。
「最高です‼ 俺、天へ飛びます!」
とびっきりの破顔からのサムズアップ。
そして、タコ唇は空高くに打ち上げられるのだった。
「ごめんなさぁああああああああああああああああああぃいいいいいいいいい‼」
処分を終えて戻って来たアディルとリヴのスッキリとした顔に何も言えないルナ。
「えっと……その」
「ルナ! 大丈夫だった? 何もされてない?」
「う、うん! だ、大丈夫だよ」
「ほんと? なんでも遠慮なく言ってね。ルナはあたしの友達で仲間なんだから!」
「――うん」
「困ったことも何でも言え」
「うん」
言えない。そこまでしなくてよかったなんて言えない。
ルナも確かにあのタコ唇が怖かった。急に求婚してきたと思えば飛び掛かってきて、悲鳴もあげそうになったほどだ。けれど、はたして空に打ち上げるほどのことだったかと言えば素直に頷けない。だから過剰すぎる二人に少しだけ引いているルナがいた。
「言ったろ。ここは無法って」
「え?」
顔を上げる。アディルの綺麗な眼差しがルナの浅はかな考えを見透かしたように。
「結婚や仲間の死なんかを偽って
「――――」
「本心なんざ誰にもわからねーが、警戒はしてろ。特にここではな」
「…………ごめんなさい」
記憶がない、知識がない。言い訳だ。ルナはまだこの世界がどれだけ危険なのか、他者が全員アディルやリヴ、セルリアたちのように優しい人ばかりではないと何一つ考えていなかった。そして心のどこかで甘えていたのだ。アディルとリヴとなら大丈夫、絶対に助けてくれると。それはアディルとリヴもそう言ってくれたから信用してもいい。ただ依存している今の自分の恐ろしさに背を冷やした。
アディルは自分でさえもルナにとって害になるかもしれないと、わざとそう言ってくれた。無条件の信頼は構わないが、おんぶにだっこといった依存になると自分一人では何もできなくなる。もしも今、アディルとリヴがいなければ。ルナはどうなっていたか。言葉通りの想像はできない。想像した先にうまく事を運べる自信はなく、また身を守るだけの力もなく、直ぐに眼を逸らしてしまう。
「私、ダメだね」
そう、憔悴しているルナに大きな影が覆いかぶさる。何事かと顔を上げると二メルは超す長身の厳つい男がルナたちを見下ろしていた。
動きやすさを重視した防具から見える肌には無数の傷跡が。人を何人も殺したかのような目つきの鋭さに本能が勝手に恐怖を抱き微かな身震いを起こす。と、同時にどこかで見たことがある気がする大男はふんと鼻を鳴らした。
「テメェーらがァ宿を使うなんざァ何を企んでやがるゥ」
まるで諫めるような威圧にたじろぐルナ。打って変わってリヴはのほほーんと。
「何って冒険に決まってるじゃん。いやー怒涛の三日間だったよ。さすがに疲れたからね。今日と明日は休暇ってやつ」
恐れ為さないリヴに周囲の冒険者が「あいつ正気か⁉」「く、喰われるぞ!」「まさか、マスターの隠し子⁉」などと騒ぎ出す。大男のひと睨みで一瞬にして沈静化。まるでここにいる冒険者の親玉みたいだ。
「軍を燃やしやがったのはァテメェーらかァ?」
「そうだよ」
どっと沸き上がる。天場の出来事は知りたがり屋たちが仕入れて新聞として売られている。三日前の出来事は既に無法都市にも出回っているらしい。しかし、反応から見てリヴたちの仕業とは公言されていないようだ。
「見た感じ、企みは成功って感じ」
もしも、犯人がリヴたちだと公言され指名手配していれば、無法都市の冒険者たちが知らないわけがない。彼らが知らないということは、軍はリヴたちを手放し、二度と天場に帰れない処置をしたということだろう。
大男は「イカれてやがんなァ」とニヒルな笑みを浮かべた。
「テメェーらこの後の予定はァ?」
「休日! 今日は頑張ったあたしをあたしいが労う日だからね」
「は? ッチ……バカはァ今度にしろォ。十九時にいつものとこに来やがれェ」
一方的に言い投げて大男は去って行った。「もーなんなの?」と頬を膨らませるリヴ。何がなんだかと首を傾げるルナはその背姿を見て「あ」とよくやく思い出した。
「ネルファさんの時の」
「そうそう。ここの冒険者の親分ことアンギア・セブン。アディル並みに強いからね」
「アディルさん並み⁉」
驚いてアディルに視線を送ったルナに「力じゃあいつの方が上だ」とのこと。ルナにとってこの二週間近くで見て来た戦士。その中で一番強かったのは言わずもがなアディルだ。まだ、アディルが誰かに負けた所を見たことがない。
「十九時まで自由時間だ。リヴ、ルナのこと頼んだぞ」
「へいへい。お任せあれ」
アディルはさっさと取り付けた部屋へと歩いていってしまった。
「やっぱりまだ怒ってるのかな?」
「どうしてそう思うわけ?」
「気をつけろって言われたばかりなのに、また……」
「今の不可抗力でしょ。てか、リヴは何にも悪くないしー」
「でも、なんだかやっぱり冷たい気がするの。どうしたらいいかな?」
これもまた依存だろうか。アディルの優しさに甘えた答えだろうか。不安にあるルナ。その横顔を見つめるリヴはニヤリと。
「そっかそっか。アディルが気になるんだ」
「気になる? そう、なんだけど、やっぱり私が原因なら謝らないといけないと思うの」
「そっかそっか。ルナは律儀だねー。そんな律儀でかわいいルナに特別に教えてあげる」
そう、リヴはルナの耳元へと口を近づけ。ほんのりと甘い香りに混じって熱を残した吐息で鼓膜を撫で。
「アディルがテメェーって言う時ってね、本気で怒ってる時だから」
「え?」
それがどうしたのかわからなく、キョトンと首を傾げるルナ。リヴは打って変わって嬉しそうに、まるで面白いものを見た子供のように。
「つまり、怒ってないってこと!」
そう言って歩いていくリヴ。確かにさっきアディルはルナのことを名前で呼んだ。そういう意味かと若干腑に落ちないが納得して後を追う。
「ま、本気で心配してたってことなんだけどねー」
「待ってよーリヴ」
「待ちませーん」
その小声の呟きはルナの耳には届かず、ませた妹は面白いことになるかも、と想像を膨らませルンルンと部屋に二人で向かったのだった。
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