第12話 蜘蛛の巣僕の巣あなたは素?


「なんだこれは?」


 一時間後、すべてを終えた洞窟内のとある戦場にやって来た者どもは驚愕に目を剥いた。それもそうだろう。目の前に広がる戦地は破壊と火傷と血濡れに染まった無惨すぎる光景として残っていたのだから。


「何があったのでしょうか?」


 一人の若い男が剣を構え常に周囲を警戒しながらこの軍を率いる将官しょうかんに尋ねる。他の隊員もこの有様に緊迫を許されない。

 将官の男は殺し合いがあったと思われる中心に歩を進め、血濡れに触れては少し離れたところの灰に触れる。


「血はまだ乾き切ってない。この灰は……心歌術エルリート観測機で観測しろ」

「は、はい!」


 若い男は将官に命じられ観測機、『心歌術エルリート』の波動を感知するオーパーツで灰の周辺を調べる。クォーツでできた四つの感知棒を各所に設置。するとクォーツは青色に輝きだしモニターと同じものと思われる端末に心歌術エルリートの反応が表示させる。四つの箇所の観測から一つのデータとしてまとめられ、そこにははっきりと心歌術エルリートを行使された反応が表示されていた。


「でました。とても強い反応です」

「その歌を持つ者は軍に存在するか?」

「……同じ性質を持つ歌姫ディーヴァはいますが、これほどの力はないかと思われます」

「……なるほど。例の歌姫ディーヴァですか……」


 男は煙管を吹き煙を吐く。二十年以上、軍に所属し下級兵から始まった将官の男は今では軍師の位まで上り詰めた優秀な騎士だ。今は調査隊を率いて【エリア】を調査する使命や軍の特殊部隊、エリア内から素材や食料を調達する専門の部隊の救助や手助けも行うのが将官の男が率いる部隊。将官はその部隊の指揮官である。

 男は数多の戦場をこの二十年で見て来た。それこそパンテオンに友がい殺される場面すらも。眼が肥えている、経験則と観察眼から男はこの戦地のあらかたを読み取った。


「血の数から人は二から四。獣の数は……五匹以下となれば大物。亜種の分類? あるいは……それはないな。火に混じって油のにおい、この液体はペイントエルカか。属性変換からの火の魔術でやったか? 鎮火ちんかの様子がないのが不自然だ」


 あるいは鎮火の代わりとなるような強大な力でも作用したか。とにかく手に入れられる情報も多いがなにぶん破壊的でどれだけ信憑性しんぴょうせいがあるか。


「灰は持ちかえる。血痕けっこんの採取と情報になりそうなもんは持ちかえれ。貴様はすぐに上に連絡しろ」

「はい!」


 若い男が数少ない連絡器から天場てんじょうの軍の情報機関に報告を始め、他の隊員は言われた通りに調べ始める。将官に屈強な男が近づき敬礼をする。


「貴様が現地での指揮を執れ。いいな?」

「了解しました」


 屈強な男はすぐさま将官の男に変わって部隊を率い調査に入る。

 将官は煙管から口を離してため息の変わりに煙を吐いた。


「異端者というのは実に理解し難い。しかし、いくら逃げても貴様らをこの監獄は逃がしませんよ」


 そう、まるで人が変わったように将官は二ヒリな笑みを浮かべたのだ。

 かくして、歌姫ディーヴァの情報と双子の情報が軍に知れ渡ったのだった。



 *



 アディルはルナの心歌術エルリートのお陰でなんとかくっついた右手をゆっくりと開いて閉じてを繰り返す。


「大丈夫?」


 心配そうなルナにアディルは「問題ねーよ、違和感が残るだけだ」と言い返す。


「それにしてもホント、大冒険って言いうかヤバかったね」


 今でこそ笑い話にできるが、先のギルタブリルとの戦いは本当に生死を別つ極致だったことだろう。ほとんどが奇跡に近い勝利で終わり、もしもルナがいなければアディルとリヴは普通に死んでいた。ルナがいても彼女が心歌術エルリートを使えなければ結末は同じであり、アディルが諦めなかったから、偶然に急所が外れたから、リヴの錬金物のお陰などなど。本当にありとあらゆる手札が一点の功を奏したのだ。二度同じことはできない。


「あーあ。錬金物も素材もぱーだよ。折角作ったのにさー。見返りがギルタブリルの灰だけとか割に合わないって。赤字赤字」

「んなもんもっかい作ればいいだけだろ」

「そうだけどー! 割に合わないって話し!」

「あはは……」


 今、アディルたちは『ラータスの鉱洞』から外に出て一番近い天場てんじょうへの出入口、第九ノ穴『ノウェムゲート』へ向けて歩いていた。危険な洞窟を出て長めの休息を入れボロボロになった服を着替えたり、予備の得物の用意や簡単な食事とこの後の作戦を考え今に到る。


 リヴ特製の防具やマントは役割を終え今は予備の衣を纏うのみ。アディルの胸と腕のプレートは破損し、身を守る防具はない。ナイフ一本しかないアディルは剣の形に整えた偉大な鼻角アイヴォリーを得物に選び、というかもうそれしか武器がないのだが、無法都市で買い取った偉大な鼻角アイヴォリーをリヴが加工したもので戦わざるを得ない。


「回復薬もあと二つだけ。使えそうなものはそんなにないから」

「歌うことはできるか?」

「少しだけなら」

「とにかく戦闘は回避だ。襲いに来ても逃げるのを優先する」

「おっけー」

「わかりました」


 普段であればリヴが「わぁ! あのパンテオンの素材欲しい!」とか言って飛びつくのだが、さすがに連戦は勘弁とおとなしく遭遇するのを回避する。


『階級の岩原』を回り込む形で南の『ラータスの鉱洞』から北西へと登っていく。

『ノウェムゲート』があるのはエリア中心の第五ノ穴『クイークエゲート』なる、第二層まで直径九百メルの『ラウムの穴』の西側。草木が生い茂、止まぬ風が吹き抜ける草原の中の小さな森に顕在している。

 天場では中心地の軍兵都市アカリブと、アカリブよりやや南西に位置する民衆都市ウハイミル、西に位置する遺物都市ファラの丁度隣接する中間地点の平地に重なる。ウハイミルからファラまで徒歩で十時間ほど。『クイークエゲート』までは七時間以上とそれなりに離れている。


「今さらなんだけど……ここってすごく明るいね」


 空を仰ぎそう言ったルナ。ルナの知る天場は朝の時間に月灯りが照らしていて、月の沈んだ夜は街灯だ。空はずっと星空に覆われていた。それが【エリア】に来る前に見た空の景色。

 けど、ここエリアの空は真っ青で光源のようなものが月の明かりよりもずっと明るく、まるで夜空を退かしたみたい。洞窟内じゃ感じ取れなかった【エリア】の不思議。精神が落ち着いてきて気づいたそのことにリヴが答える。


「そうなんだよねー。ここじゃあたしたちの夜が朝なの」

「えっと、じゃあ朝が夜ってこと?」

「そうそう。夜は天場うえと変わんないんだけど、【エリア】の朝はこんな感じなんだ。理由はよくわかんないんだけど、ナギが関係してるとか【エリア】に入った時に霧があったでしょ。その霧じゃないかとか言われてたりね」

「じゃあ、今は天場うえはまだ夜ってことになるの?」

「ああ。羅針盤が壊れちまったから正確な時間は知れねーけど、明るさからして二十七時を周ったかどうかくらいだろ。このペースなら早朝にギリギリ間に合うかどうか」

「あーあ。徹夜のそれもくたびれたまま軍に行くとか最悪ううう」

「明日は休日だ」

「やったー! これで怒られずに済む!」

「一昨日の無断欠席で俺らは補習だがな」

「おーのー⁉ 結局怒られるじゃんか! 期待させないでよね! あー嫌だぁよぉおおおお!」

「喚くな」


 相も変わらない兄妹にルナは一種の心地よさを感じながらも苦笑。


「ルナはどうするの?」

「私?」

「そうそう。あたしたちは軍の機関に行かないといけないけど。外套がいとうで姿を隠せばルナも外に出れるよ」

「そうなの?」

「ふふん! こんなこともあろうと心歌術エルリートの感知を阻害する外套を作ってあるの」


 ドヤ顔のリヴに「どんな予想してたんだか」とアディルが鼻で笑った。


「プラチナロードはわかるでしょ。お金もあげるから好きに過ごしてくれていいよ」

「え? でも」

「ただし、知らない人には付いて行かないように」

「子供じゃないから!」


 リヴはどこかお姉さん風を吹かせたがる癖でもあるのか。それともルナが案外幼そうというか危なっかしく見えるのか。子供じゃないと抗議したいところだが生憎あいにくと本来の年齢がわからないので何も言えないのが悲しいところ。


「無事に帰ってから決めればいい」

「うん、ありがとう」


 何も知らない所で出されたひまに何をすればいいのか。趣味も好物も休日に何をして過ごしていたのかもわからない。こういう時、記憶がないのは本当に不便だと思う。

 アディルが腕を広げ立ち止まる。リヴとルナも続いて立ち止まり角柱岩に身を寄せる。前方、全長三メルはありそうな巨大な蜘蛛くもが過っていき、その後ろを蜘蛛の背から女性の上半身が突き出たパンテオンが歩いていった。


子蜘蛛アラーニェ女王蜘蛛アラクネだね」

「蜘蛛だ。おっきい。あの女の人は……その」

「大丈夫大丈夫。あれ人じゃなくてあの女性自体が本体だから」

「え! こわ! 助けに行っちゃいそうだね」


 どうやら蜘蛛の部分すべてが下半身らしい。普通の剣では切れない耐久力を持つ糸を吐くとのこと。一度掴まればその糸の巣からは逃れられない。アラーニェ、アラクネのかいこから糸を採取して衣服や布などを作っているそうだ。


「あたしも欲しいんだよねー」

「我慢しろ」

「わかってる」


 耐熱性と防寒性、防水性などありとあらゆる効果があるらしい、アラクネの糸は巣を作り得物を狩るために特化したと言われている。そう例えばこんな風に。

 曲がり角を曲がった先、角柱岩が右の視線を覆い隠した直角気味の曲がり角で、それは目先で唐突とうとつに阻み、アラーニェとアラクネの姿を確認していなければ危うく顔面から飛び込んでしまったであろう。そこには蜘蛛の巣が張り巡らされトラップになっていた。


「ちょっ! 何急に止まっ――これって」

「蜘蛛の巣だよね?」

「ああ。蜘蛛の巣だ」

「やっぱり」

「あはははは……」

「まさかねー。偶然だよねー」


 リヴが左右を見上げれば角柱岩の側面にアラーニェが。左手の隆起した大地にアラクネが。


『キュルルルルルルルゥゥゥ‼』

「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」


 リヴの叫び声を皮切りにルナたちは蜘蛛たちに背を向けて猛ダッシュした。数匹のアラーニェと一匹のアラクネが追いかけて来る。まるで蜘蛛に憑りついた女の怨念のようで。


「アディル! 女の子の扱いうまいんでしょ! なんとかしてよ!」

「あれを女と一緒にすんな! あと勝手にクズみたいな言い方すんじゃねー!」

「アディルさんっ。女の子とそういうことを」

「してねーからっ! 戯言ざれごとは後にしやがれ!」

「アディルって最悪だけどモテるんだよ」

「黙れ。殺すぞォ!」


『キュルルルルルルルルルルルルゥゥゥゥ‼』


 真向からすべてを相手取る気力も武器もなく、魔術自体も顕現させるのに精神力と体力を使うので極力避けたい。とうわけで、とにかく逃げるしかないのだ。


「これでもくらえ!」


 リヴが最後の煙幕玉をナイフで切り付けて地面に捨てる。シューと音を漏らしながらにおいを消す効果付与の煙幕が溢れ出す。

 アラクネたちが惑わされている間に全速力で退散するのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る