第5話 冒険をしませんか

 

 月が昇るのは零時。

 地平線から永遠の闇を跳ね退ける月光が差し込み、それは午前の始まりの合図となる。

 九時間後、月が夜空の真上に到った時間にて昼と定義し、月が反対側の地平線へと降りていき隠れた時間帯、十八時から夜が始まる。

 夜になると街灯が灯り夜の活気へと移り変わる。朝営業していた店が閉まり、十六時頃から開店し始めた夜の店、飲食店や遊郭ゆうかく、遊戯場などに朝働いていた連中が押し寄せて一日の疲れをぶっ飛ばす。

 夜の活気が続くのが二十五時当たりまでで、二十七時にはすべての店が閉まり、街灯の明かりも最小限にとどめられ静寂が満たす。九時間後の三十六時……零時となって一日が終わり一日が始まる。

 昇月の朝と深月の夜。

 それがエリドゥ・アプス、天場てんじょうの一日だ。


 さてはて、軍においては例外である。

 むろん二十七時から三十六時までの警備もしないといけず、遅番や早番と勤務時間は異なる。そして、軍に所属する警備係の騎士ではなく、パンテオン出撃時に戦う兵士や騎士は日によって待機時間が異なる。が、むろん各軍兵都市に兵士たちの寮が存在するので明確な時間勤務は設けられていない。パンテオンが現れれば起きている部隊から出撃するだけだ。各時間帯に複数の部隊が交代で順次出撃準備はしている。

 ま、それは部隊に配属された一等兵以上の兵士と三等騎士以上に該当するわけで、二等兵のアディルには関係ないことだ……と、言い切れない現実を否めない。

 二等兵の分際でとある部隊に配属されているアディルとリヴは例外扱いされている。

 朝、六時に始まる講義から十六時まで授業は続き、その後本来なら終わりのリヴとアディルだが、所属する部隊が出撃班となっていた場合、その後は学び舎で学ぶ生徒ではなく軍兵として勤務に参加する必要がある。そう言った意味ではリヴとアディルの生活に一定のリズムは存在しない。しかし、出撃班に任命されていなければ十八時には帰宅できるのだ。そしてメリットはここにある。リヴとアディルは軍内の寮ではなく、民衆都市ウハイミルの南門近くの寂れた民家の一つに住んでいる。一度帰宅するとその日はパンテオンの侵攻があれ二人は出撃しなくていいのだ。次いでに軍に常に監視されていない。その二点のメリットが存在している。

 そして今日、アディルは十八時に帰宅した。


「帰った」

「おかえりー」

「お、お邪魔してます……」


 アディルを迎え入れるのはズル休みしても変わらぬ間抜けな声。そして。


「……目を覚ましたか」

「は、はい! お陰様で……あの、助けてくださってありがとうございました」


 律儀に頭を下げ感謝を告げる桃髪の少女。アディルはなぜか自慢気なリヴに視線を寄越し鼻で笑った。


「なによ」

「オマエも見習えよ」

「どういう意味!」


 きぃぃいいと猫のように毛を立てるリヴを無視して、アディルが軍服の上着を脱ぐ。


「顔をあげろ。俺らが勝手にしたことだ。目を覚ましたならそれでいい」

「あ、えっと……」

「ほら、アディルの言い方よくないと思う。アディルこそこの子を見習うべき」

「俺はこいつのこと知らねーよ」

「ほら頭上げて。むしろ君を運ぶためにあちこち触った重罪人だから叩き潰してもオッケーだから」

「そ、そんなことしないよ!」

「だってよ。オマエこそ見習え」

「うるさい」


 使いものにならなくなった鉱石をアディルに投げつけ、それをひょいと避けた。

 リヴは夕食の料理に戻りシチューの煮込みを続ける。少女はおろおろとしており、アディルはため息を吐いて自室に引っ込んだ。


「私、怒らせちゃったかな?」

「あー大丈夫大丈夫。人相にんそうも表情も眼も悪いのはいつものことだから」

「……兄妹だよね。兄妹ってこんな感じなの?」

「うーん。さー。あたしは物心ついた時からあいつがいたし、この距離感があたしたちって感じ。ま、慣れていって」

「慣れてって……」


 双子の喧嘩に慣れても良い事はないだろうが。当ても何もない少女にとってここにしか居場所はない。しばらくやっかいになるつもりなので確かに慣れないといけないだろう。

 何か手伝えることはないかと少女が聞いていると奥の扉が開きアディルが着替えて戻って来た。その服装は冒険に出る時のもので防具はまだつけられていない。


「あれ? 今日も行くの?」


 訝しむリヴの眼を見て少し間を開けて「ああ」と頷くアディル。

 リヴは「ふーん」と納得かどうでもいいかわからない返事をするだけ。居心地悪そうな少女に座るのを促したアディルはリビングの食卓に腰を下ろす。少女はおろおろと正面にちょこんと座った。

 少しの沈黙の後、耐えかねたアディルが切り出す。


「オマエ、名前は?」

「そ、その……覚えていなくて」

「出身は?」

「わかりません」

「……親の名前。あるいは……なんだ? どういうことだ?」


 順調に聴取していたアディルだったが、不明瞭な回答に訝しみと不可解と言わんばかり眼差しを少女に向けた。委縮する少女に変わってリヴが答える。


「記憶喪失みたい」


 味見をして少し塩を足す。


「記憶喪失だ? なら歌の説明はできんのか?」

「歌?」


 なんですか?とアディルを視る少女。その反応からでもわかる。本当に自分が歌を歌い獣を殺したことも覚えていないと。


「それはまだ。いいでしょ別に」

「……そうか」

「そうそう」


 少女は首をかしげる。アディルは息を吐き、リヴはくすっと笑った。


「まあいい。あいつに説明したことと同じでいいから俺に話してくれ」

「……わかりました」


 少しだけ物腰柔らかくなった気がした少女は大して話せることはないが、今日のできごとを踏まえ何もわからないこと。残っている知識や身体が覚えているものもあることなどを話した。服の着方や食事の仕方などは覚えている。倫理観も失っておらず曖昧な点もあるが真っ白な赤子というわけではない。


「なるほど……自分のことについて記憶を失ってやがる可能性が高いな」

「なるほどね。……うん! ちょー厄介だね」

「やっぱり厄介なの⁉」

「でていけとかじゃないよ。冗談じゃないけど冗談冗談」

「冗談じゃないんだよね⁉」


 リヴは少女をからかうことに楽しみを覚え始めていた。

 アディルから見ればどっちもどっち、いやリヴの方が圧倒的に子供だが今は口を噤む。


 さてはて、いきなりきな臭くなってきた所でリヴがシチューをお皿に装い食卓のテーブルに運ぶ。夕食は風踊る鹿ゲイルケルウス黄芋いもとミルクオニオンのシチュー。コメットパンとトマトとチーズのスクランブルエッグ。コップに果実水を注ぎ全員席に着く。

 リヴとアディルは手を包むように胸の前で重ね合わせ。


「「天の声に貞淑を。大地の御手に祈りを。その命に涙の心を」」

「あわっ。えっと……???」


 驚いた少女が慌てて同じ仕草をする。二秒ほど祈ると二人は祈りを解きうかがう少女に「ごめんね。これ、食べる時にする祈り」とリヴが説明した。


「じゃあ、食べよ。遠慮とかいらないから。シチューはお代わりもあるからね」

「あ、ありがとうリヴ。……アディル?さんも」

「ああ」

「あんたは何もしてないじゃん。お礼はあたしのものだから」

「そういう所が餓鬼なんだよ」

「なんで!」

「あはは……慣れるのかな?」


 リヴとアディルの些細な口論が続きながらもそこはどこか暖かな夕食だった。むろん、シチューが温かいからではない。確かにそう、少女には心休まる温かみを感じられたのだ。

 舌鼓を打つシチューやスクランブルエッグは胸をいっぱいにする味がして、あまり喉を通らなかった昼食が嘘のように少女は頬張った。その姿をリヴは嬉しく思い、同時にアディルを睨みつける。アディルは眼を閉じるだけ。無回答に是非もない。

 現実はいつだって残酷で、運命と言うのなら少女の背負うものは計り知れないだろう。才能とは時に自由を奪い、未来を狂わせ、人そのものを捻じ曲げる。

 純粋無垢にほど近い少女がその過酷に耐えられるか。想像は一切できない。

 アディルは食事を一度止め、リヴの睨みを無視して少女に話しかけた。


「わからねーとは思うが少し聞いてくれ」


 アディルにしては丁寧な口調。それが少女を慮っているのが見て取れた。


「はい……」


 少女も食事を止め、姿勢を正す。薄く張った氷のような緊張感が漂った。


「オマエにはある才能がある。それは多くの人間が固執するようなもんだ」

「才能?」

「ああ。間違いねー。それをオマエは誇ればいいし、自信を持てばいいことだ」

「は、はい……?」


 要領得ないアディルの話し。アディル自身も慎重になっている。


「でだ。オマエの才能ってのは軍が重宝するほどに貴重なもんだ。軍ってのは習ったか?」

「軍……戦う人たちのことですよね。戦争とか」

「そうだ。ここじゃ【エリア】からのさばってきやがったパンテオンを討伐する正義の味方だ。そして、オマエの才能ってのはその軍が喉から欲するもんだ。なんとなくはわかるか?」


 戸惑いながらも少女がこくりと頷いた。その才能が何かわからないが、軍……化け物と戦う組織が必要とするものだということは理解できたようだ。やはりリヴよりも物わかりがいい。アディルは一度息を吐いて。


「今はまだオマエの存在は知られてねー。だが、もしも知られればオマエは軍に捕らえられ兵士にされる可能性がある」

「へ、兵士⁉ わ、私がですか⁉」

「可能性だ。だが、そうなれば戦えなくなるまで平和を維持する道具としてオマエは戦場に立たせられ続ける。オマエの意志なんざ関係なく永遠に人工英雄の奴隷だ」


 軍に憧れる少年少女は多い。軍とはパンテオンから平民を世界を守る英雄的象徴であり、正しく善意と正義の象徴。憧れの的。童話の英雄と遜色ない。

 都市各地に配置されたモニターという古代遺物オーパーツには軍がパンテオンを倒す姿が流れている。子供がそれを見て、親に話しを聞き憧れ目指すのだ。映されていない軍の裏側など知らずに。


「ま、待ってください! どうしてそうなるの? 奴隷なんて嘘ですよね?」

「……」

「わ、私見ました。四角のに軍の人たちが戦ってるところ。私もヒーローみたいだと思ったよ。……ヒーローなんだよね?」

「……」

「そ、そうだよねリヴ?」

「……」


 答えない。それは解が出ている証拠。動揺する少女に動じない二人は証拠を突きつけた。


「俺とこいつも軍人だから嘘じゃねーよ」

「――――」


 息を呑む音がこんなにも痛切だと誰が思ったか。その眼に過った感情を誰が予想できたか。アディルはすぐに見誤ったと口を開こうとして。


「だからって奴隷になるつもりなんてないんだけどね」


 そう、ニヒルに弧を口に描いて、リヴは停滞を薙ぎ払うように。


「あたしとアディルはね、冒険者になるつもり」

「冒険者……」


 それはリヴが買い物の時に語ってくれた差別されている職業のようなもの。あの時、確かにリヴは冒険者だと言っていた。

 そして、今その眼に偽りは見当たらない。


「あたしたちには目標がある。絶対に成し遂げたいことがあるの。夢……じゃないけどそれを為すためならどんな努力だってする。それくらいの大きな、そうだな……野望。みんなびっくりするような大きな野望を持ってるの」

「んだよそれ……はっ。んな大層なもんじゃねーだろ」

「うるさい。アディルは肝心なところでヘタレだからこうなってんでしょ」

「黙れ。俺はだな。そもそもこんな状況なんて――」

「はいはい、言い訳はいいから」


 アディルは舌打ちをしてふんっとそっぽを向いた。呆れたリヴは「仕方ない奴でしょ」と少女に笑いかける。少女の戸惑い、困惑、混乱にリヴは再び偽りのない眼で答える。


「野望がある。そのためにあたしとアディルは軍に所属してる。簡単に言ったら、パンテオンと戦う技術とか知恵とかを身に着けるためなんだけどね。冒険は簡単にあたしたちの命を奪うから、簡単に奪わられるわけにはいかないから」

「…………」


 理屈はわかった。軍の教育を利用して強く賢く勇ましくなるために軍に所属していること。けど、アディルもリヴも軍は憧れを奴隷にすると言った。永遠に逃げられないとも。

 少女の片隅にある不安のようなものはそれだ。そしてそれとはもしかしたら未来に少女が辿るかもしれない道すがら。あるいは人生の終点地。記憶のない恐怖の中、優しさゆえに思い描いた未来は同じくらいに恐怖に溢れるものだった。

 少女の瞳が揺らぎ波紋の青のようにリヴには縋って見えた。だからリヴは言う。


「大丈夫。絶対に逃亡できる策があるんだ」


 強く強く、揺らぎなど存在しない。確たる声音は希望を灯す。


「ああ。オマエが望めば一緒に逃げればいい」


 尊く優しく、偽りなど存在しない。不安を払拭ふっしょくする言葉に勇気が灯る。


「ま、その時はあたしたち軍から逃亡した世紀の逃亡犯になるけどね」

「笑えねーな」

「笑えるから。こういうのはバカみたいに笑っておけばなんとかなるもんなの。ほんと、アディルってアホバカめんたいこ」

「黙れ貧乳。んなクソみてーな頭だから胸に栄養もいかねーんだよ」

「ちょっと! 言っていいことと悪いことがあるよね! 今のは許せないから! このめんたいこ!」

「そのふざけた言葉やめろォ! 事実を言って何が悪い」

「かっちーん。あたし怒ったから。アディルが小さい頃に好きだった骨董屋のお姉さんのことばら撒くから! あんたが毎日夜遅くまで恋文綴ってたの知ってるから」

「なっ! やめろ! 今すぐ忘れろ。記憶を消しやがれ!」

「あー! 無神経! これだから器の小さい男は」

「…………殺す」

「ふん、受けてやる!」


 バンっ!と立ち上がった二人は臨戦態勢に。机を挟んで睨み合い。本気の拳と蹴りが放たれようとして。


「喧嘩だめぇええええええ!」


 思わぬ大きな声にぎょっと二人の動きが間一髪で停止した。リヴとアディルがなんだなんだとみると立ち上がった少女はまるで子供を怒る母親のように憤怒を浮かべ。


「喧嘩はダメ。どっちも悪いんだから、はい。謝って」

「いやあの……これは」

「リヴ」

「はい!」


 名前を呼ばれリヴは背筋を針のように伸ばし。少女の眼がアディルへと向き、居たたまれないバツの悪さに視線を逸らして。


「アディルさん。妹でも女の子に酷いこと言っちゃダメだよ」

「……。」

「リヴも。ひどいこと言っちゃだめだよ。……めんたいこが何かわからないけど」

「そこなんだ……」

「あと、人の恋を笑うのはダメだよ。嗤われたら嫌でしょ」

「うっ……」


 この方、恋愛のれの字も経験のないリヴにはわからないが、確かに恋心を踏み荒らすのは間違っていたと縮こまる。


「その……悪かったな」


 アディルがちゃんと謝るのは何年ぶりか。衝撃を覚えながらリヴも頭を下げた。


「あたしこそ、その……ごめん」

「ああ……」

「うん……」


 なんという今すぐ消えたい。死にたい消えたい記憶を失いたい過去をやり直したいとばかりに二人はふんとそっぽを向いた。

 この方二人のコミュニケーションとはあの喧嘩も含め当たり前のことだった。

 満足気に「よかった」と微笑む少女がいなければこんな機会は一生なかったかもしれない。


「ごほん。と、とにかくだ。軍が動き出す前にオマエに知ってもらいたいことがある」

「知るって何をですか?」


 明日には軍が動きだすだろう。今日でアディルに疑いにかかったことから監視が随時付き纏うことが予想される。その場合、少女を隠し通すのは無理だ。軍の権限で無理矢理家に突入でもされればそれこそ終わり。一応手は打ってあるが、不足の事態など何がきっかけで起こるかわからない。なら、この自由な時間にできるだけのことはする。

 アディルは提案した。


「試しに冒険をしねーか?」


 無愛想なアディルとその隣で得意げなリヴが少女に手を差し伸ばすように見つめ。少女は時間をかけて首を傾げた。


「はい?」

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