第44話 帰還

「リ、リリアーヌ、なのか? 本物……か?」


 フェルナン様は突然目の前に現れた私に瞳を見開き、驚きを露わにしながらも手を伸ばしてくださった。発された声音は震えている。


「フェルナン様……!」


 私はフェルナン様のお声を聞いたら我慢できず、その広い胸に飛び込んだ。暖かな温もりを感じたところで心から安心できて、今までずっと張っていた気が抜ける。


 本当に、本当に良かった……


 フェルナン様の胸に顔を埋めながら安堵していると、私の背中に回されたフェルナン様の腕に力が籠った。


「リリアーヌ……! 良かった、無事で、本当に……」


 私に触れたことで本物だと理解したフェルナン様の声音には、今度は涙が滲む。その声を聞いたら、私の瞳からも涙が溢れてしまった。


 しばらく泣きながら静かに抱き合い、少し落ち着いたところでフェルナン様から離れて顔を見上げた。


「ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」

「気にしなくて良い。それに、リリアーヌが悪いのではない」


 フェルナン様が緩んだ笑みを浮かべながらそう言ったところで、執務机へと腰掛けていたレオポルド様が口を開かれた。


「そうだ、リリアーヌは完全に被害者である。犯人は既に捕えてあるので安心すると良い」


 そこで私はやっと現状が飲み込め、皇帝陛下や皇妃殿下、さらにはノエルさんリュシーさんを完全に無視してしまっていたことを思い出した。


「ご、ご挨拶もせずに申し訳ございません……! さらには皇帝執務室に断りなく入室してしまったこと、心よりお詫びを申し上げます」


 慌てて頭を下げると、レオポルド様はすぐに顔を上げるよう言ってくださった。


「気にしなくて良い。緊急事態ならば仕方がないことだ」

「それよりもリリアーヌ、どうやってここに戻ってきたのかしら。執務室の扉も開いていないと思うのだけれど」


 ヴィクトワール様のそのお言葉に、私はここ数日の話をしようと軽く深呼吸をした。


「信じられない話だと思いますが、最後まで聞いていただけると嬉しいです」


 それから深淵の森に飛ばされ、ラウフレイ様と出会い、聖樹様のところへ向かい、空間属性を賜り、転移でここに戻ってきたという話をしたところ、誰もが信じられないような呆然とした表情を浮かべていた。


 この反応も仕方がないわ。私ですら、この記憶は夢ではないかと少しだけ疑ってしまうのだから。


「まさか、深淵の森がそのような場所だったとは」

「転移なんて魔法が存在しているのね……」


 レオポルド様とヴィクトワール様ですら、表情に驚きが浮かんだままだ。


「これは歴史に残る大発見だよ!」

「信じられませんが、リリアーヌ様がその魔法でここに帰られた以上、信じるしか……」


 ノエルさんは空間属性という未知の魔法に瞳を輝かせていて、リュシーさんは未だに呆然としている。


「リリアーヌ、そのように未知な属性を賜って体調に異変はないのか? 転移魔法を使って何か異常などは……」


 フェルナン様は話の内容よりも私の心配をしてくださっているようで、そんなフェルナン様が嬉しくて頬が緩んでしまった。


「大丈夫です。今の所なんの異常もありません」

「そうか、それならば良かった」


 そこで話が途切れたところで、私はおずおずと切り出した。


「あの……私は自分の身に何が起きたのかを正確に理解していないのですが、皆様は分かっておられるのでしょうか」


 そう問いかけると、フェルナン様が厳しい表情で口を開く。


「数日の調査で全て判明している。リリアーヌはベルティーユ嬢の策略によって、失敗作の転移魔法陣で皇宮から飛ばされたのだ」


 ベルティーユ様……そうだったのね。確かにお茶会の時に悪意を感じていた。


「ベルティーユ様は、これからどうなるのでしょうか」

「犯した罪は、公爵である私の婚約者リリアーヌの殺害未遂だ。極刑と言いたいところだが……ベルティーユ嬢は侯爵家の令嬢であるため、生涯幽閉かどこかの修道院に送られ、そこで一生を過ごすことになるだろう」


 それほどに重い罪を課されるのね……私がいなければベルティーユ様は罪を背負うことはなかったと思うと、罪悪感から減刑を願いたくなってしまう。


 しかしそれではダメだ。これからフェルナン様の隣で生きていくには、覚悟をしなくてはならない。罪を課す覚悟を。


 この胸の重たさは、しっかりと受け止めよう。


「分かりました。正当な裁きをお願いいたします」


 フェルナン様の瞳をまっすぐに見つめてそう告げると、フェルナン様は真剣な表情で頷いてくださった。


「任せて欲しい」


 そこで執務室に沈黙が流れると、今度はレオポルド様が口を開かれる。


「失敗作の転移魔法陣も、この機会に破棄をすることになった。今まで研究目的のために惰性で残してしまっていたが、そのせいでリリアーヌを危険に陥らせてしまいすまなかった」

「その魔法陣とは、こちらのものでしょうか?」


 私はこの部屋に入ってからずっと気になっていた、大きなテーブルに広げられた紙を示した。そこには魔法陣と共にたくさんのメモ書きがされていて、さらにはテーブルの上にいくつもの書物が載せられている。


「そうだ。そちらはノエルとリュシーに分析を頼み、実物を書き写したものだ」

「実物はあまりにも大きくて、大切なとこだけ抜き出した簡易の魔法陣になってます!」


 ノエルさんはそう言うと、楽しそうな笑みを浮かべた。


「ノエルさんとリュシーさんは、魔法陣も描けるのですか?」


 魔法陣は魔法とは違う特殊技術なのに……そう思って問いかけると、ノエルさんはすぐに頷いてくれる。


「こっちは趣味みたいなものですけどね〜」

「私は師長に無理やり付き合わされていたら覚えました」

「ちょっとリュシー、無理やりってことはないでしょ?」

「……ほう、休日に魔法陣研究へ呼び出されるのは無理矢理でないと?」


 リュシーさんのその言葉に、ノエルさんはバツが悪いような笑みを浮かべ、スッと視線を逸らした。


 そんな二人の仲の良さにほっこりしていると、フェルナン様がノエルさんの頭をガシッと掴む。


「ノエル、研究したいからってこっそり魔法陣を保管するんじゃないぞ?」

「そんなことはさすがにしませんって! あっ、でも皇帝陛下、魔法陣の中で気になる部分だけ書き写して残してもいいでしょうか」

 

 ノエルさんのその言葉に、レオポルド様は苦笑を浮かべつつ頷いた。


「許可しよう。ただし管理は厳重にな」

「かしこまりました!」


 そこで話が終わり、レオポルド様は執務机から立ち上がられた。


「ではリリアーヌも疲れていることだし、この場は解散としよう。空間属性のことなど今後に関する話し合いは、また後日だ」

「ご配慮ありがとうございます。――そして改めまして、私のためにご尽力くださり、心より感謝申し上げます」


 私が改めて皆様に感謝を伝えて頭を下げると、レオポルド様は私の下に来て、肩に手を置いてくださった。


「リリアーヌ、顔を上げよ」


 その言葉に従ってレオポルド様を見上げると、そこには優しい表情のレオポルド様がいらっしゃる。


「リリアーヌはもう家族の一員だ。そんなリリアーヌのために我々が動くのは当然だろう?」

「そうよ。リリアーヌ、本当に無事で良かったわ」


 今度はヴィクトワール様が私の下にやってきて、優しく抱きしめてくださる。


 私はそんなお二人の気持ちが嬉しくて、幸せで、また涙を溢れさせてしまった。


「あ、ありがとうっ、ございます……」

「父上、母上、リリアーヌを泣かせないでください」


 今度はフェルナン様がそう言って、私の手を取る。


「この涙は良いだろう?」

「心が狭い男は嫌われますよ?」


 お二人のそんな言葉は軽く流して、フェルナン様は私の手の甲にキスを落としてくださった。それに驚いて、私の涙はすぐに引っ込む。


「おっ、泣き止んだか?」

「フェ、フェルナン様……!」


 恥ずかしくて自分の顔が真っ赤になったことを実感していると、レオポルド様とヴィクトワール様が楽しそうに笑っているのが視界に映り、ノエルさんとリュシーさんも柔らかい笑みを浮かべていた。


 そんな皆を見ていると、私も自然と笑顔になる。


「リリアーヌはやはり笑顔が似合うな」

「私が笑顔でいられるのは、フェルナン様のおかげです」


 フェルナン様のお言葉にそう返すと、フェルナン様もとても素敵な笑みを浮かべてくださった。


 幸せだな――心からそう思った。

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