第42話 姉妹相克、バレンタイン 後編
「なななななにやってるのよ莉羽っ?!」
姉は盛大に動揺していた。言わんや他人をや。
「あ、あのぅ……莉羽さん?そのポーズはもしかして……」
「ん。佳那妥からとりに来て。ね?」
おいでおいでー、からの、両腕を前に突きだして、ほーるど・みー・たいとの構え。
つまりこれはあれか。あれなのか。
「だぁって、佳那妥のほーからキスしてくれるなんて、今まで無かったじゃない。この機会逃してたまるもんかっ」
ぼふん。
かわいさのあまり、暴発する頭。あかん。なんだこのいきもの。かわいすぎるわ。はにかみながら「まだぁ?」っておねだりするとことかもう辛抱たまらんっ。そらこんなかわいい妹いたら放っておけなくなるわ。
「ほら、はーやーくー」
とうとう目までつむってしまった。チラと卯実の方を見ると、わなわなと震えながらも妹の痴情溢れんばかりの仕草から目を離せないでいる……と思ったらこっちを見てまたなんか動揺の色を濃くしてた。ていうか慌てふためいていた。どういう意味なの、その行動。
「かーなたー。チョコが溶けるー」
ばきゅん。
なんか今度は心臓のあたりを何かが通り過ぎたみたいだった。あかん。なんだこのいきもの(にかいめ)。
ええいとにかくそのけしからん口をふさいでくれるわ、ともそりと身を乗り出したら「ふふん」となんだか得意げに微笑していた。莉羽さんこあくまですね。
「え、ええっとー……しつれいします……」
「佳那妥からしてね?下手でもいいから」
下手はよけいだ、と言いたいところだったけど、自分からしたことないもんなあ、あたし。されるばっかりで。確かに上手いこと出来るかしら、と思いつつ顔を寄せていく。
莉羽の唇には四角く平べったいチョコがはさまれたまま。それを頂いて感想を述べるだけのかんたんなおしごと。
いただきまぁす、と莉羽が小さなお口でくわえているのと反対側の角を、あたしもくわえる。間近に、いつの間にか見慣れてしまった莉羽の顔。目をつむってる。姉に似て長いまつげ。それが赤らみ、何かを期待していた。
何を、って……そんなの分かるだろう、って、あたしの後ろ頭のところで何かがささやいた。
だから、唇がわえたチョコの残りを口の中に入れてしまおうと、あたしは唇を前に進める。もむもむもむ、って。
そうしたら、莉羽が震えてるのを自分の唇で感じた。かわいい。とてもかわいい。怖がっているのかな、ってそんなわけがない。きっと嬉しさで打ち震えてるんだろう。莉羽はそういうコだから。
チョコが残らずあたしの口に収まるのと、二人の唇が触れたのは同時だった。
触れるだけじゃ済まないのなんて、莉羽だけにしたって初めてでもないのに、その、いつ触れた時よりもずうっと、しみ入るものが違っていた。鼻のすぐ先にある莉羽のにおいが、今までしたキスのどれとも違っていた。
あ、香水の匂いかな、って思った瞬間。
「……そこまでっ!そこまでぇぇぇぇぇっ!!」
ぐわし、と後ろから頭を掴まれて比較的強引に引き剥がされていた。言うまでもなく怒れるお姉ちゃん、卯実の仕業だった。
「……うー、何すんのよお姉ちゃぁん……」
「何すんの、じゃないわよ何よ私の時よりよっぽど雰囲気出してるじゃないのっ。チョコの味見とかどうなったのよ一体!」
「うーん、なんかもうチョコとか割とどうでも良くなってない?」
引き剥がされて、床に転がされたあたし。うう、恋人にこの仕打ちはどうなんですか卯実さん……。
「どうでもいいってどういう意味よ、莉羽」
「こうなるともう、あれよね。あれ」
よいしょ、と体を起こした莉羽は、また悪戯っぽい、というよりはやや色っぽい表情に顔を改め、人差し指を唇の下に当ててこんなことを言った。
「姉妹の味比べ。どうだった?佳那妥」
………………ああああああもおおおおおおおっっっ!!なんなの!なんなのーっ!!
頭を抱えてごろごろのたうち回るあたし。莉羽がかわいすぎる。なんなのこのコ。こんなコ恋人にしてるとかあたし幸せ過ぎないかっ。
「……もうっ。すっかり莉羽にいいとこ持って行かれたじゃないの。ほら佳那妥も落ち着いて。勝負とかなんかどうでもよくなったわ」
「そんなこと言ってウヤムヤにしたりしないからね、お姉ちゃん」
「はいはい。で、判定してもらいましょ。佳那妥」
う。
二人並んで、「どっち?」と迫られるとか天国なのか地獄なのかもーよく分からん。
姉妹なのに。姉妹で好き合ってるのに。その二人にこう、どっちを選ぶの?ってシチュ、ラブコメマンガによくありそうなのに、実は男の子じゃなくてあたしは女です…………じゃなくて!
「……そのー、どっちを選ぶとかいう不毛な真似、もうやめといた方がいいんではないかとー」
そもそもの本質的な問題はそこなんだってば。
選ぶ必要なんか無い関係で、わざわざ選ぶだの勝負だのなんて真似する意味ないでしょーに。
「ぶー。だって最初に佳那妥が言ったんじゃない。デートは二人でするもんだと思う、って」
「そうね。だから佳那妥の好みに合わせて、どっちかと二人きりでデートしてあげようか、って思ってこんなことしてるのに」
「こんなこと、っていうか明らかに途中から二人とも楽しんでたよね?」
揃ってそっぽをむいてしらばっくれていた。白々しい、と言いたいとこだけど、本気でけんかなんかされるよりよっぽど良いし、何よりあたしの恋人たちが仲がいいのはあたしも嬉しいから、ね。
「……でー、あたしにも一つありましてー」
たださー、最近ようやく「らしく」なってきたとはいえ、生まれてから十七年以上、女子やってきた身としてもいささか文句が言いたいことはありまして。
「どうしたの?佳那妥」
立ち上がったあたしを見てきょとんとする卯実。
もしかして怒らせた?と慌て始める莉羽。
あは、大丈夫。そんなことでは怒りません、とあたしは「らしくなく」ニッコリと笑ってみせると、何故かぼーぜんとしていた。なんでだ。あたしはニコポがしたいのに、なんでニコポならぬニコボになるんだ。もう一回やり直そうかと思ったけれど、夕飯の時間も近いしそーいうわけにもいかない。
部屋の隅に置いた鞄を持ってきて、そういえばクリプレでもなんかこんなことしたなあ、とごく最近の出来事をどこか懐かしく思いながら、鞄の中から包みを二つ、取り出した。
「はい。バレンタインデーのチョコ」
そして、一つずつ、座ったままの二人の前に床を滑らせて、置く。
「え?え?……あの、どういうこと?」
「……佳那妥ぁ、ホワイトデーの先渡しとかセンスなさすぎない?」
「そーじゃないってば。あのね、莉羽。あたしだって一応女の子なんだから、好きな人にチョコを贈って何が悪いっての」
一瞬「は?」みたいな顔になって、言われた意味を理解するのに時間がかかったみたい。傷つく。
「……ううう、卯実と莉羽もあたしのこと女の子だと思ってないんだぁ」
体育座りになって後ろを向く。八割方演技だけど、二割くらい本気混じり。いやその二割だって自分の中の自信のなさでそう思ってるだけで、二人があたしを男の子だと思ってるとかそんなんあるわけないだろーけど。だって女の子だと思ってなかったら、らあんなえっちないたずらするわけないしっ。
「ご、ごめんなさい佳那妥。そういう意味じゃなくて……」
「そうそう。佳那妥にしては意外なことするなーと思っただけ……あいた」
「こら。余計な事言わない!……ねえ佳那妥…?その……あなたが女の子であってくれたから、私も莉羽もあなたと一つになれると思うのよ。だからそんなこと言わないでよ……ね?」
「そうそう。ただ単に、佳那妥がそうストレートにわたしたちのこと好きって言ってくれることに感動しただけなんだってば」
う………ぎゃ、逆にそう素直に喜ばれるとつまんないことで拗ねた自分がすごくあほみたいに思える……。っていうか、女の子らしいことに憧れが無かったわけじゃないもんなあ、あたし。そーいうのを発揮する相手が女の子ばっかりで、機会に恵まれなかったのと、あたしみたいなナリの女がおこがましい、って思ってただけだし……って、あたしもしかして昔から男の子より女の子の方が好きだったのか?
「あの……」
「えい」
わひゃっ?!
謝ろうと思って振り返ろうとしたら、それより早く背中からのしかかられた。この感触は卯実だなー。背中にかかる圧の違いで姉と妹のどっちかが分かるようになってるあたし……いや声とかにおいだとかでも区別してるんだけどなっ!
「……ごめんね、佳那妥。好意を示すのって、私たちの方こそしないといけないことだと勝手に思ってた。佳那妥が私たちを好きって言ってくれるの、すごく素敵なことだと思っていたのにね」
「うっ、うん……」
もう一度、ごめんね、って背中で呟いて、卯実はあたしから離れた。うう……なんか罪悪感と物足りなさで恥ずか死にそう……。
「次?次わたし行っていい?」
い、いいんじゃないかな、と思いながら膝を抱える腕にはいる力を増した。そしたら莉羽はあたしの前にまわってきて、女の子座りになる。
で、またさっきみたいに腕を広げて、来て、って風に楽しそうな笑顔を見せていた。
「……莉羽?」
「だぁって今日はわたしの誕生日だもん。お姉ちゃんにほだされるんじゃなくて、わたしを思いっきりかまえ、佳那妥」
かまちょ全開でハグを要求していた。
「いいでしょ……?」
そして、全力でかわいかった。いつぞやかまちょになってた卯実も大概かぁいかったけど、負けず劣らず……姉とは違ってギャップには欠けるが妹属性が追加された分、余計にかぁいかった。自信フルスロットルのくせして、どこか不安そうなところがまたそそるというかほっとけない感を絶妙にトッピングしてて、ああ生まれてきて良かったぁぁぁぁぁ……おかーさん、おとーさん、ありがとう……ありがとうございますっ!
……なんてアホな妄想に浸っていたら、背中から突き刺さる物理的な刺激……?
「…………」
「?………ひっ?!」
肩越しに後ろを見たら、卯実が縦のうにょろん線入った顔で、あたしの背中を指でつついてた。嫉妬とかなんかそーいう感情というよりか、なんか吐き出したいけど吐き出せない、みたいな……。
「いいけどね。今日は莉羽の誕生日だからいいけどね。莉羽が甘えたいのも許すし、佳那妥が莉羽を甘やかすのも許すけどね。今度は私にも甘えてね。甘えさせてね。いい?」
……なんかステレオでジェラしっていた。かわいいっちゃーかわいいけど、なんだか今後の関係性構築に若干の再考の余地が生じそうな態度。でもまあ、いいか。三人でいればそんなこといくらでも起こるだろうし、それだって楽しみの一つな気がするもの。
で、その間ずっと、腕を広げてハグ……というよりか抱っこを要求してた莉羽のいじましさに負けて、あたしは子どもがぬいぐるみにするみたいな、力強いハグをかます。
あたしの貧しい胸にを押しつけられても大して気持ち良くないだろーし、逆にあたしよりはある莉羽の同じトコを押しつけられて、逆にあたしだけ気持ち良くなってる気がする。女の子同士ってこーいうところが残酷だ……。
「う、うん……こういうのもいいんだけどね、思ってたのとなんか違うの」
「えー。贅沢言わないでよ莉羽。まあでもお誕生日だし、好きなようにしてあげるよ。どうして欲しい?」
「そんなこと言わせないでよぅ……うう、えっと………やっぱりはずかし……」
えっちか。えっちっぽいのが足りないのかっ。でもいくらなんでもおじさんとおばさんがいるとこで盛るわけにもいかないし……これくらいにしとくか。
あたしは一度体を離し、そのせいかなんだか不安そうな顔になる卯実を見つめ、そのせいか照れたように顔を逸らした隙に、それでこちらに向いた頬目がけて唇を寄せる。
「あンっ……か、佳那妥ぁ……」
普段エグイのをかましてくるくせに、ソフトで気持ちのこもったものには弱いのか、甘えたというよりは感じたみたいな声を出し、微かに震えてあたしにされるがままの莉羽。首元から立ち上る、香水と莉羽自身のものが混ざった香りがあたしの鼻孔をくすぐり、そのせいで胸のところがきゅぅん、ってなる。
でもガマンして、頬から口をはなす。そのまま、耳元に移動。ささやくように、でも誤解を与えないよう、卯実にも届くくらいの声でささやく。
「お誕生日おめでとう、莉羽。それから……好きだよ。ずっとね?」
って。
そしたら当然、感極まって抱きついてくるかと思ったんだけれど………。
「………ふにゃぁ……」
「え?あ、あのちょっと莉羽……?莉羽?え、うそ。あのちょっと、どうしたの……ねえ莉羽?莉羽っ?!」
くたん、と力が抜けて、ずるずると溶け落ちてしまった。いや溶け落ちたー、というのは例えなんだけど、ほとんど感覚としてはそんな感じ。慌てて横に寝かすと、もう見たことないくらい真っ赤な顔になって、それで潤んだ目で一瞬あたしの方を見たけれど、我に返ったように慌てて横に転がって……一回転と九十度、要するにあたしから離れて顔が見えないように縮こまってしまったのだ。なんなの。
「……ふふっ、ちょっと莉羽には刺激が強かったみたいね」
「え。刺激て。普段卯実としてることに比べたら何てことないんじゃないの?」
「そういう意味じゃないわよ。こう、ずきゅんと来る感じよ。あんなやり方でされたら私だって今の莉羽と同じ風になってしまうかも、だもの」
「……そんなものなのかなあ」
要するに、今のあたしの一連の所作は、莉羽の心の琴線にとても深く触れてしまったみたいなのだ。喜んでくれたのならそれでいいけれど、なんかあたしの胸の内にふつふつと湧き起こる、「なんか莉羽をめちゃくちゃにしてやりたいっ!」って衝動はどうすればいーんだろう。いっそ姉に身代わりにでもなってもらおーか。
「な、なんか佳那妥が私を見る目がこわいんだけど」
「気のせい気のせい。でも、ま、喜んでくれたならいいかな。二人きりでデートしたい、とかいうアホな話はもうしないでいいでしょ?」
「ふふっ、莉羽が私を出し抜こうとしたりしなければ、ね。佳那妥だって私たちのうちどっちかと勝手にデートしたりしたら……刺すからね?」
なんか冗談とも言い切れない表情で、
「……じゃあお開きにするかあ。あたし帰るけど……りーうー?」
びくっ。
声をかけたら肩を震わせて、それでまだ顔を見られないのか、片手だけ上げて手をひらひらさせていた。
「ん。また明日はかわいい顔見せてね。ハッピー・バースデー。あと……ハッピー・バレンタイン。チョコ、ありがとね」
「……ーっ!ーーーっ!!」
なんだか手足をじたばたさせ始めた妹を生暖かく見やり、姉の方にはあとよろしくー、と手を振って、あたしは今日は無事に姉妹の部屋を、出ることが出来た………姉妹と交互にぶちゅーってやったのを無事と言えるのならば、だけどっ。
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