第14話 動き始める時間
せっかく全部片付けて綺麗になったダイニングのテーブルの上に、卯実はまた二人分の湯飲みを置いていた。
といっても今回はソーサー付きのティーセットではなく(実はさっきは温泉饅頭を茶菓子にマイセンのティーセットでアッサムの逸品をいただいたのだ。完全に饅頭が負けてる)、家族用みたいな素っ気ない湯飲みに普通のほうじ茶だったけど。まあ片肘張らずに済む分、あたしとしてはこっちの方がよくはある。
「……で、話といいますとー」
「う、うん」
で、手短に済むのかなあ、と思ったら、卯実は言いづらそうに肩の前にかかった髪を弄るばかりで、さっぱり話が始まる気配がなかったりする。
あんまり長居してお姉ちゃんに変な気を起こさないでよ!……と莉羽が脳内で賑やかだったので、あたしとしてもそうのんびりはしてられないとこなんだけど、でもこーして時折艶っぽいため息なんか吐いちゃってくれてる卯実はとっっっても眼福なので、このまま時間が過ぎないでくれないかなあ、と矛盾した感想と共に心理的に萌え転がっていたら。
「……そっ、その!……ええっと……」
「あー、別に急いでるわけじゃないので落ち着いてから話してもらっていいですよ。ただ莉羽に釘刺されてるのでいつまでもこうしているわけにもいかないですけど」
「っ?!……りっ、莉羽と私とどっちが大事なの佳那妥はっ!」
「へ?い、いやどっちが大事と言われましてもこの場合あたしがどっちを大事とかはそれほど大した問題じゃないと思うんデスけど……むしろ莉羽と卯実がお互いを大事に思っていればそれで十分なのでは?」
腰を浮かしかけて何やら「気色ばんだ」なんて時代小説みたいな表現が似合いそーな卯実を見上げつつ、何故かあたしは冷静でいられた。そのせいだと思いたいが、卯実も「そうね……」とため息ついて、腰を下ろす。で、また髪を弄り始めると、こりゃあ長引くかなあ、と思ったのだけれど。
「うん……呼び止めたのは私の方だし、こうしていても始まらないわね。あのね、佳那妥」
「ひゃいっ?!」
「しゃっくり?」
びっくりしたんです。だっていきなりテーブルの上に置かれたあたしの手に、自分の両手を重ねてきたりするもんだから。うう、リア充の距離感には多少は慣れてきたと思っていたけど、やっぱり物理的接触を図る時はあらかじめ申請して欲しい……「あ、手に触れるなら三番窓口にお願いしますー」とか。あたしの手を握るくらいで何を大層な。
「ええっと、続けていい?」
「ふっ、ふわぁい……どぉぞ」
「ふふっ、相変わらず佳那妥は面白いね」
でもまあ、卯実も落ち着いたくれたのなら笑われた甲斐はあるというものだ。
あたしの手に自分の手を重ねながら、ではあったけれど、卯実はようやく話を切り出してくれた。
「その、二人で初めて会った時に私の言ったこと、というかお願いしたことって覚えてる?」
「え?ええ、そりゃまあ。いきなりつき合ってくれ、とか言われた時は流石に混乱しましたけど」
「そっ、そっちじゃなくて!とりあえずそれは今は忘れてお願いっ………」
なんかいきなり突っ伏して耳まで赤くしていた。それでもあたしの手から手を離さなかったのはいっそ天晴れというべきなんだろうか。
「そもそもなんでそんなことを言ったのか、って方よ。莉羽に私以外の人を好きに興味を持って欲しい、って話だったでしょう?」
「あー、はい」
そもそもあたし的には到底認められる話じゃなかったけれどね。
「それ、無かった話にしてちょうだい」
「イエス・マム。承りました。合点だ。どれがいいですか?」
「なんかすごく前向きに同意するのね……」
「だって卯実と莉羽がそーいう関係じゃなくなるなんて、あたしにはあり得ない話ですし」
「……それは佳那妥の趣味的に?」
「も、ありますけど。でもやっぱり仲の良い二人を見てるのがあたしは楽しいし嬉しいですもん。そんな二人が別れてしまうのはイヤですって」
「そう…なんだか佳那妥って時々すごい男前なことを言うのね」
男前て。こんな美少女つかまえて言うことかー、って抗議したいとこだけど、それは図々しいにも程がある、ってものだしなあ。
なんにしても、莉羽が卯実以外に興味持つようにさせたい、だなんてことを考えなくなったのはいいことだと思う。いや一般的にいいことかどうかは別として。あたし的には。だってほんっとーにこの二人似合っているもの。
「だからね。私もやっぱり、莉羽のことが好き。それはちゃんとはっきりさせておかないといけないと思う。私たちのことを、二人一緒にいるのが好き、と言ってくれた佳那妥のためにもね」
「なんですか卯実だってけっこー思い切ったこと言うじゃ無いですか。そういうのとても良いと思います」
「ありがと。でもね、佳那妥」
ほんの少し、卯実の笑顔に陰りが差したように見えた。
「……姉妹ってね、どんな関係になっても血縁だけは決して絶えることはないの。例えばの話だけれど、私と莉羽が好き合うような関係じゃなくなったとしても、あなたが見ていたい仲の良い関係で居続けるのはあり得ない話じゃない。そして、仮にそうなったとしても、あなたは私たちのいい友人でいてくれるの?あなたが望むような関係で、わたしと莉羽がなくなったとしても、それでもあなたは私の側にいてくれるの?」
なんでなんだろ。あたし、卯実のような女の子に、こんな真剣な眼差しを向けられるような大層な人間じゃないってのに。
でも、大層な人間じゃなくても正しいことは分かる。今自分が正しいと思っていることが、間違ってなんかいないってことは、分かる。
そしてそれは。
「それはないです」
「えっ?」
縋るような顔が、一転して絶望に染まる。うう、若干の罪悪感が。でもあたしにはこれが一番正しいことだと思えて仕方ないんだよね。どうしても。
それはね、すなわち。
「あたしはどうあっても、側にいたいです。卯実と、莉羽の側に。あるいは二人が恋仲でなくなってしまって、ケンカ別れしてしまったとしても、さっき卯実が自分で言ったように二人は血縁っていう繋がりは死ぬまで途切れないんです。だからあたしは二人の側にいられるように、二人が仲良くなるように頑張ります。二人が恋人じゃなくても、あたしは側にいますから。卯実だけじゃなくて、莉羽の側にも」
「………」
……………うーわっ、我ながら小っ恥ずかしい演説ぶっこいてしまったぁーーーーーっ!……っても、これがあたしの本音で、一番間違ってないって思えることなんだよね…。そればっかりはどうしても止められないや。柄にもないこと言ってしまって、それを聞かされてしまった卯実には電柱にでもぶつかってしまったと思ってもらお。
で、卯実さんや。そろそろ顔をうつむかせて肩震わせるのはやめてもらえませんか。聞いただけで笑いたくなる気持ちは分からんでもないですが、流石にいたたまれないノデ。
「……ごべ…そうじゃなくて」
あれ?鼻づまりみたいな声?と、思ったのは卯実がガバッと顔を上げるまでだった。
だってそこにあって、あたしを正面から見つめる彼女の瞳は、涙で潤んでついでに赤くなっていたからだ。泣いてる……?なんで?と思ったら。
「ありがと、佳那妥……うれしい」
悲鳴を上げる間もなかった。あたしの手を握っていた卯実は、自分の手ごとあたしの両手を口元に引き寄せ、もう一度「うれしい」と呟いたその唇を、あたしの拳に押し当てていたのだった。もちろんそんな真似をされたのは生まれて初めてだ。ハルさんにも、当たり前だけど雪之丞にもされたことがない。
それがなんだ。校内一の美少女があたしの手を、しかも割と大切そうに握って口づけるとかなんなんだ。死ぬのか。あたしは今日死ぬのかっ?!
「え、ちょっ?!あっ、あの卯実……さん?いくらなんでもこれはあたしが恥ずかしいというか莉羽に悪いのでそろそろ放していただけるとー……」
「こんなときに莉羽の話とかしないで…」
いやそんなこと言われても。いえますます力加えてくれなくても気持ちは大っ変よく分かりましたからぁっ!もう勘弁してぇっ!!
……って半泣きで懇願したら放してくれました。三分後に。一体この人何がしたいのもー。
「……で。あのー、そろそろあたし帰った方がいいと思うんですけど」
きっかり三分後にプラスして二分後。割と冷静に戻った卯実とは対照的に羞恥心を極限まで高められた存在といえばこの椎倉佳那妥のこと。ああもう早く帰りたいっ。
「あとね、もう一つお願いがあって……どうしたの?疲れた顔して」
いやあなたなに何事もありませんでしたみたいな顔してんですかこっちは一年分の羞恥心を五分間で味わわせていただいてひろーこんぱいですってのにもう。
「ごめんなさい……なんだかとにかくそうしたくなっちゃって。お礼を言いたかったのは本当のこと。その後のことは……莉羽には内緒にしてくれる?」
「多分黙ってないといろいろまずいと思うのでそれは約束するからはやくもう一つのお願いとか言ってくださいそろそろあたしの中の何かが爆発四散しそうです」
「こないだ言った、佳那妥のこと好きだからつき合って、っていうのをもう一度考えてくれない?」
「今までの流れを全部台無しにするわけにいかないのでそれは勘弁してください」
腰掛けたまま大きく頭をぺこり。これもうからかわれてるだけだよね、あたし。
「ていうか莉羽のことはどうするんですか。やっぱり好きだって再認識したばかりでしょうが」
「私欲張りなの。莉羽だけじゃなくて、佳那妥のことも欲しいな、って」
「ふたまたはどうなの……莉羽を悲しませたくないならあたしのことは諦めてください。これ以上あたしをからかうなら今の会話全部莉羽にバラしますよ?」
「残念。またにするかあ」
また、なんかあってたまるか。分かりやすくからかわれているのが丸わかりなのに、この心臓がばっくんばっくんいってるのなんとかして欲しい。
「じゃあ帰ります。莉羽が戻ってくるまでには退去しておかないとー」
「ぶう。私より莉羽の方が大事なんだ?」
だから冗談にしたって悪質だからっ。……もう本当に勘弁してほしい。
とにかく、最後はほとんど逃げるように品槻家を退去する。エレベーターの中で一人になって、ようやく安心するかと思ったら、ついさっき卯実が唇を押しつけていた、自分の手が見えてしまった。いや自分の手に見えたも何もないんだけれど、なるべく、極力意識しないようにしていたものがそれを切っ掛けにぶわぁっと吹き出してしまって、あたしはほんとーに自分らしくもなく、顔を真っ赤にして背中からずるずると崩れ落ちてしまったのだった。エレベーターの中でこんなんなると、刑事ドラマの殉職シーンみたいだなあ、なんて兄が一時期ハマってた昔のテレビドラマのことを思い出したりなんかしてみたり…………ってああはいそうですよそうとでも思わないとさっきのこと思い出していつまで経っても赤面が収まんないんですこれ家に帰るまでに治らなかったらどーすんの、あたし。
「…………卯実、かぁいかったなあ」
いや待て待て待て。なんでそーなる。勝手に喋るなこの口。ええい、塞いでくれるわっ。
あたしは、自分の口に向かって、握った拳を寄せていく。さっき、卯実が口づけた箇所を、自分の唇に向けて。
……って、待って待って待ってそれってまるで間接的なアレじゃんっていうかそんなことしたらあたしまるで卯実のこと……っ
「佳那妥?」
ひぎゃーーーーーーっっっ!!
……悲鳴にならなかったのは、声が可聴域を超えて人間に聞こえない音になっていたからだろう。
いつの間にか一階に到着して止まっていたエレベーターの扉は当然開いていて、そこに立っていたのがまさに、帰ってきた莉羽だったのだ。
「どしたの?座りこんで。っていうかお姉ちゃん、こんな時間まで佳那妥を引き留めていたの?」
「ひっ、いえっ!そうじゃなくって、あた、あたしがいろいろどんくさくて片付けに手間取ってっ!そっそれじゃさよならっ!!」
なんも、本っ当になぁんも後ろめたいことのないあたしは、立ち上がって着衣のホコリを払うこともなく、休みの日には滅多にはかないスカートを翻して小走りに駆け出す。あたしの突進をパッと避けて通してくれた莉羽は。
「佳那妥!」
あたしの背に向かって一度、名前を呼ばわると、スピードを落として振り返ったあたしに。
「また来週、ね!」
と、何の屈託もない笑顔を見せてくれたのだった。
……ああ、願わくば、莉羽の帰った品槻家において、なんかめんどくさい問題とかが発生しませんように!あたしのせいじゃないからねっ!!
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