#かわいい僕ら今日はどこへ行こうか

ヒサノ

1.Where Is My Mind?




 誰にも否定できないその思いに囚われたとき、僕はそれまでの人生の歩みを止めた。




――自分は世の中にとって、いてもいなくても、どちらでもかまわない。




 そんな事実を目の当たりにした当時の僕は、どうしていいのか分からなくなり、まるで高所恐怖症の人が無防備なまま高所に立たされていることに不意に気がついたみたいに、その場から一歩も動けなくなってしまった。


 


 呆然と立ちすくむそんな僕の前には、二人の人物が待ち構えていた。


 それは、社会からの不要を知らされた二通りの自分の姿だった。




 ひとりは、数十年分の特別休暇をもらったかのように喜び、どこか肩の荷が下りたような安堵の表情をしながら、開放的な気分を胸いっぱいに味わっていた。


 もうひとりは、不本意に社会そのものから隅に追いやられたことに対して、強烈な疎外感と恐怖を感じ、発狂しそうなほどの悲鳴をあげていた。




 それは僕の心模様を極端に表していたものかもしれない。しかし結局のところ、僕はどちらかを選ぶこともできないまま、ただぼんやりとその様子を眺めているだけだった。


 急に自分が何をしていいのか、何をするべきなのか、まったく分からなくなってしまった。


 人生を楽しむために開催されているパーティー会場の、開けてはいけない扉を開けてしまい、思いがけず屋外に飛び出てしまったような気持ちだった。


 もと居た場所に戻ろうにも、扉はすでに見失ってしまい、分からない。


 誰もその扉に「関係者以外立入禁止」という注意書きを貼り付けていてはくれなかった。






        ◇






 そうこうしているうちに、僕自身は誰とも無関係な存在になってしまった。


 自分の中身が消滅して空っぽになっても、何一つ問題なく生きていけるような気がしたくらいだった。


 関係のなさが、僕という存在を支配していた。


 そんな目から見た世の中は、驚くくらいに無差別的で、誰が誰であっても構わないような、不躾極まりない当て推量と、気楽さに満ちていた。


 例えばその時、誰かが「かけがえのない人生!」と叫びながら、僕のことを励まそうとしたとする。きっと僕はさらに困惑していたに違いない。


 そんな誰にでも通用しそうな励ましの言葉を目にするたびに、自分の誕生日ケーキのロウソクを横から誰かに吹き消されるような、なんとも言えない悲しい気持ちになっていただろう。


 励ましが届かなくなってしまったことに困っているのに、月並みに励ましを受けてもどうにもならなかった。


 


 そうしてさらに日を経るうちに、僕はそれまでの自分の心を支えてくれていた大事な指針を、あっさりと見失ってしまった。心が粉々に砕け散ってしまったと言ってもいい。


 それ以来、身の回りの物事をどう受け止めていいのかすら、よく分からなくなっていた。






        ◇






 こいつはなかなか難しい問題だ。


 そう思いながらも、もともと行動力のなかった僕は、家でごろごろしながら考えを巡らしては、二度寝ばかりしていた。それはちょうど僕が一人暮らしを始めて一年と少し経った頃だったと思う。


 それからぼんやりと日が経ち、気持ちが落ち着いた頃にやっと、そんなものなのかな、と思えるようになった。


 そう思えるようになるまでにしばらく時間が掛かった。


 その間、誰かが僕の存在をはっきりと認めてくれることもなく、考えの足掛かりになりそうなものも特になく、あれこれと、どうでもいいガラクタみたいなことまで、自分の頭の中に浮かんでくるものを、ぼんやりと検分していくしかなかった。


 他の人に説明できるような言葉はなく、自分自身に対してさえ、なんと言ってあげたらいいのかもよく分からなかった。




 不自由極まりない状況ではあったけれど、それはそれで少し不思議な心地でもあった。落ちこぼれになる前に、自分という存在の内側が社会からこぼれ落ちてしまったような気分だった。


 僕という人間は、これまでの人生で自分の人格をとりわけ強く否定されたことがあるわけでもなく、かといって強く肯定されるようなこともなかった。幸か不幸か、痛切さとは無縁だった。それがかえって、自分のことをいてもいなくてもいい、なんて思う切っ掛けを生んだのかもしれない。どこか言い訳みたいに聞こえるけれど、実際の理由はいまでも分からない。


 いや、たとえ僕がこれまでどんな人生を過ごしていようと、どんな紆余曲折を経ていようと、たどりつく結論は一緒だったと思う。


 まあなんと言っても――もともと社会に僕らはいなかったのだし。






        ◇






「生まれる前って僕ら死んでたのかな?」僕はテーブルの差し向かいに座る君に聞いた。


「さあ、どうかしら。人って生まれてないのに死ねるの?」君は目の前のシロップのかかったパンケーキから顔を上げて、僕に聞き返した。






        ◇






 思いがけず絶望的なまでの自由を手に入れてしまった当初の僕は、それ相応に落ち込んでいたのだと思う。足掛かりのないまま何かを決めなければいけないような気がして、とにかく焦りはするものの、特に何もできなかった。


 僕は部屋の隅のベッドに寝そべったまま、じっと天井を眺めていた。それから脇の壁を眺めた。反対側を向いて自分の部屋の景色を眺め、それから再び天井を眺めると、最後に自分の瞼の裏を眺めた。


 さすがに頭の下に敷いていた両手も痺れてきて、埒が明かないと思いはじめた。


 気怠いばかりで、たったこれだけの短時間に急激に年を取ってしまったような気分になった。


 僕はベッドから起き上がると、未使用のまっさらなノートを手にキッチンテーブルに向かい、ぼんやりと思ったことを書き連ねていった。


 何も書かれていない白紙のノートを見ると、思わず深いため息が出た。


 


 僕がノートに向かって考えたこと。


 それは断章形式で書かれ、最後まで書き連ねていたら、文豪の手による重厚な作品のようになっていたかもしれない。ノートの余白はそんな予感に満ち溢れていた。


 しかし実際には2ページと少しを満たす前に、僕はあっけなく書き終えた。その時の僕はなにかを悩み続けるほどの気力も体力もなく、純粋に、すぐに飽きたのだと思う。僕の手による「未完の大著」はすぐに完成した。




 以下が僕の生前に書いた唯一の断片だ。


 まだ死んではいないけれど、とにかく生きている限り、生前だ。

 

 そう思うと急に、自分の行為や身の回りの色んな出来事が深い意味を帯びてくるような気がしてくる。そんな冗談はどこかで聞いたことがある。






        ◇






――ずっと自分が何をしたいのか考えている。自分は何をしたいのか。


 子供の頃の夢?


 急に思い出すこともできないけど、たぶん何も考えていなかったと思う。




(書きたいことが思いつかなかったのか、空白には何本もの線がぐるぐるとバネみたいに渦巻いている抽象的な落書きがしてある)




 さっき。


 ちょっと何か思い出したような気がする。というか今も少し思っていること。


 小さい頃は、何かこれといったものがしたいってわけでもなくて、やみくもに何でもしたいって思っていたような気がする。


 そうして、一生のうちに図書館にある本をすべて読めないこと、世界中のすべての音楽を聴けないこと、世界中のすべての景色を眺められないことに思いを馳せてみては、世の中のありとあらゆるものに恋い焦がれてしまうような気持ちになっていた。


 それだ。


 いまもその気持ちは分かる。自分には驚くくらいにできることが限られていて、逆にもどかしさに身悶えするような気持ち。


 そういうのって、きっと、できないことを知っているからこそ、魅力的なのかもしれないけど。



 それと、世の中にいるすべての人に会ってみたい、という考えにも憧れていた。


 昔読んだ本の中に、サンタクロースがクリスマスの夜に色んな人のところを巡るという話があって、それに憧れたのを覚えている。


 そのサンタクロースは、どこかの誰かのことを思っている色んな人たちのところを巡って、本人がクリスマスの夜を楽しむことになる。そんな話だったと思う。


 そう、そのサンタクロースに憧れた。


 誰かに会いに行くための確かな用事がたくさんあって、その人のところに飛んで会いに行ける。その人の願いや思っていることを聞いて、みんなからのありがとうと、さよならを抱えたまま、また別の場所に飛んでいく。いま思い出してみても、とても詩的な話だと思う。


 小さい頃はそのサンタクロースになりたいと思っていたような気もする。




 でも、いまでもサンタクロースになりたいかと聞かれたら、もちろんそんなこともなくて、小さい頃の気持ちも、正確に言うと、ただサンタクロースが見た景色に憧れたんだと思う。僕も誰かが誰かを漠然と思っているような景色を見たいと思った。


 誰かに会いに行くと言っても、友達なんて呼べるほど心と心が通じ合っているような関係になりたいわけでもなくて、もっと漠然としていてもいいような気がしていた。


 実際に会いたいかと聞かれても、全然そんなこともなくて、会ったところで共通の話題もないし、贈り物を用意しているわけでもないし、逆に何かを受け取りたいわけでもない。誰かと関わり合うことで、その人をどうこうしたいというような特別な目的があるわけでもない。


 握手もしなくていいし、笑顔で肩を組み合いたいわけでもない。なんだったら、笑い合いたいわけでもない。




 誰かと仲良くなりたいわけでも、嫌い合いたいわけでもなくって、何というか、ただお互いに存在を認め合えればそれでよくって、うまく言えないけれど、それならなにも、関わり合う必要なんてないんじゃないかと言われたら、きっとその通りだと思う。


 お願いを聞いたところで叶えられるわけでもなく、心と心を通じ合わせるような目的もなく、自分を一方的に見せつけたいわけでもない。


 そう考えると、結局、自分が何をしたいのか分からなくなる。


 ほんとうは何もしたくないのかもしれない。






        ◇






 僕は煮えきらない思いを書き終えるとノートを閉じた。書き疲れたこともあって、鼻の奥からため息のように息を吐いた。






        ◇






 あとで調べて知ることになったのだけれど「世界のすべてを知りたい」というような思いのことを、ファウスト的衝動と呼ぶのだそうだ。


 昔、実際にそういう人がいたという伝説も残っているようで、ゲーテという文豪の著作の題材にもなっていた。図書館に出向き、その本の厚みに気が引けた僕は、ゲーテの『ファウスト』のあらすじだけを調べて読んだ。正直に言うと、全体の話はあんまりよく分からなかった。


 試しに僕も実際にファウストのようにセリフを呟いてみた。


 時よ止まれ。


 もちろん時は止まらなかった。


 そんなファウスト的衝動を抱えたまま一人で日々を過ごしたことで、僕は自分の頭が生焼けのハンバーグのような救いようのない状態になっているように感じた。そのままでは食べられそうにない余計なことばかりが頭の中にある。誰かにウェルダンに焼き直して欲しいと思ったけれど、そんな親切な人は世の中にいなかったし、どうすれば中の赤味の残った部分にだけ火を通せるのかも分からなかった。


 生肉が平気な悪魔にでも食べてもらえたら、全部すっきりするのにとも思ったけれど、そんな奇特な悪魔もいてくれなかった。






        ◇






 さすがにこのままでは、まともに社会生活を営めそうにないと思った僕は、そのやるせない思いを、「君」と呼ぶことにした。正確には、僕はいつの間にか、その思いを君と呼んでいた。


 いま考えても、ずいぶんとイカれていると思うけれど、当時の孤独な生焼けハンバーグ君ができる、精一杯のことだったのだと思う。もちろんそれは誰にも知られることではなかったし、誰にも迷惑は掛かっていないと思う。その点に関しては、自分で自分を容赦しようとは思う。なんと言っても、いまでも変わりのない事実として、僕は君で、君は僕だったのだから。




 僕は君に語りかけ、君は答えた。


 実際には僕は一人で考えていた。いまでもそう考えている。






――君ならどう考えるだろうか、と。






        ◇






「生まれる前って僕ら死んでたのかな?」僕はテーブルの向かいに座る君に聞いた。


「さあ、どうかしら。人って生まれてないのに死ねるの?」君は顔を上げて僕に聞き返した。



 そこで僕は考えていたことを説明した。


 どこで聞いたのかは忘れてしまったけど僕の中では印象的だった言葉があった。


「人は2度死ぬ。1度目は肉体が死んだとき。2度目は人に忘れられたとき」


 正確な言葉遣いは忘れたけれど、そんな内容だった。


 だとすると、生まれる前は誰でも、生きた形跡すらなく、身体もないうえに、誰にも知られていないわけだから、死んだ後よりも本格的に不在だったとも言える。死ぬ順番すら関係ない。


 そんなことを疑問に思ってしまうと、僕の両親が出会う前、僕の両親が生まれる前、僕はどこで何をしていたのかも気になってくる。


 いずれ僕という存在が現れるという、可能性も、ほのめかしもなく、ただ漫然と時が動いていたのだろうか。


 僕なんかが居なくても、過去の世界はワイワイガヤガヤと楽しく過ごしてきたのだとすると、何だか少し嫉妬してしまいそうな気もしてくる。


 過去に流れた何十億年、さらにその前の時間について考えると、一瞬で流れてきたようにも感じる。


 僕が生まれて世界を眺めた途端、時はゆっくりと一日一日でしか流れなくなってしまった。


 ファウスト博士も驚くかもしれない。


「まるで時が止まっているように見える!」


 もちろん正真正銘の屁理屈だけれど、その時の僕はあんまり暇だったので、屁理屈をこねてばかりいた。


 大げさに言葉遊びをするなら、宇宙が誕生するよりもっと前から、僕はずっと不在だったわけだ。だいぶ間が抜けているように感じるけれど、実際にそうだったとも言える。


 そんな宇宙規模の悠久の不在が、僕が生まれることによって、あっさり途絶えてしまった。そう考えると、少し申し訳なくなった。


 もしもどこかに交番の前にある無事故日数のように、僕の不在を親切に数え上げてくれていたマメな神さまみたいな存在がいたとしたら、欠伸続きだった代わり映えのしない日々が急に終わりを告げたことに、きっと心底驚いたに違いない。


 もしかすればその人は気づかずに、僕の誕生日にも不在日数を1日分追加してしまっていて、慌てて戻したかもしれない。


「いやほんと、生まれてすみません……」僕は自分でも分からないまま不測の事態を起こしてしまったことを、一応の申し訳なさからその人に謝る。


 その人は、驚いた顔をしながら、ちょっと不服そうな顔もしつつ、不在日数のカウントを0に戻す。


 理解が及ばないことを申し訳なく思いながらも、同時に、説明し難い不思議な気分も味わっている。


 そんな生まれる前の情景を思ってから、街で日だまりの中で寝転んでいる猫なんかを見かけると、より一層不思議な気持ちになる。自分が一体何を見ているのか、一体何を見せられているのか、よく分からなくなってくる。決して悪い心地ではないけれど、ついつい頭がボンヤリしてしまう。


 そうして猫を眺めていると、なんだか猫を見ている自分の姿も一緒に見ているような気分になってきて、途端に、え? と思う。


 暖かい日差しのせいかもしれないけれど、自分では判別できない不条理と言ってもいいくらいの感覚に、いつも驚いてしまう。


 僕が自分に驚いていると、急に目覚めた猫も僕に驚いて、慌ててどこかに走り去ってしまう。


 僕がなんとなく、訳も分からず生まれてきたことに肩身の狭さみたいなものを感じるのは、おおよそ、そんな訳の分からなさによるものなんだろうな、と思うことにした。驚かせて申し訳ない。






        ◇






 僕が適当にでっちあげた推測を語り終えると、君は急に両手で口を抑え、鼻の奥でこらえるようにくしゃみをした。


「まあ、だから何だと言われても困るけど」僕は補足した。


 それから何も思いつかなくなった僕は、朝食として作ったパンケーキの続きに取り掛かった。






        ◇






 僕は朝からパンケーキを焼いていた。作っている最中に一度、計量してボウルに入れてあった小麦粉を床にぶち撒けた。絶望を絵に描いたような情景を目の当たりにした僕は、膝から崩れ落ちた。自分が一体何のために生きているのか分からなくなった。その時に、自分が生まれる前のことを、何となく思いついたような気がする。


 言葉を失ったまま白くなった床を2、3度指でなぞり、丸を描いてみた。それから僕は気を取り直して粉だらけになった床から立ち上がった。


 床に散らばった小麦粉を手でかき集め、それから掃除機で吸い取った。白い粉が勢い良く吸われていく様は、見ていて心地が良かった。その後、粉っぽくなってしまった床を雑巾で拭き上げた。


 


 パンケーキを食べ終えると、君は大きなあくびをした。それから寝起きの美女のような薄目の満足げな笑みを浮かべた。


 君はベッドに潜り込み、いつものように二度寝を開始した。僕はベッドの下でクッションを枕にして横になった。


「まあ、既にある色んなあれこれをさ、否定したいわけでもないんだけど」僕はそんな事を考えながら眠りに落ちた。

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