第2話 妻のお仕事
──翌日。
「行ってらっしゃい、レベッカ」
「ええ。行ってきます」
レベッカを仕事先まで馬で送り届けた俺は、馬首を翻して帰路につく。
この国では、馬での移動は一般的な交通手段の一つである。成人した男で馬に乗れない男は一人もいないし、女も大抵は馬を乗り熟す。町や大抵の施設には駐馬場が設けられているし、朝晩には馬に乗って仕事に出る人間で道が混みあうことも少なくない。
ところがレベッカは馬に乗れない。というか大の苦手だ。子どもの頃に、馬から振り落とされて骨を折ったのがトラウマになっているらしい。
そのため、こうして彼女を職場に送り届けるのが俺とレベッカの毎朝の日課なのである。
ちなみにレベッカの仕事は、第一王女の住まうお屋敷のお抱え庭師である。高枝切り鋏が世界一似合う、そんな愛すべき女が俺の妻である。
「しかし、レベッカも出世したものだよなぁ。これといって良い出自というわけでもあるまいに」
レベッカは、出自としてはノーランド子爵家の長女である。しかし女であるため爵位の継承権はなく、元々庭いじりを好んでいたことから一介の庭師として働いていた。
ところが、侯爵家出身の俺と結婚することになった際、かねてより俺と親交のあった第一王女の目に留まったことで、ただの庭師から第一王女付きの庭師へと成り上がったのである。
「やっぱり日頃から真面目に働いていると、分かる人には分かるんだなぁ。それに引き換え俺ときたら……」
俺の仕事は画家である。侯爵家に生まれたけど三男だったから継承権がなかったし、お堅い仕事はどうにも苦手で好き勝手にやりたいことをやっていたら趣味が仕事になっていた。
とはいえ、人に自慢できるほどのものでもない。
俺の画家という仕事についてだって、昔馴染みのいたずら仲間だった第一王子が面白がって雇っているだけである。
しかもやらされることときたら、「未完成の絵」の仕上げや、破損した絵の修繕ばかりで、実際に『絵』を描くことを求められることなんてめったに求められたことがない。
王子曰く、「才能を先物買いしてやってるんだから感謝しろ」ということらしいのだが……。
「微妙に金払いが渋いんだよなぁ、あいつ……」
レベッカの仕事と合わせれば(というかレベッカの報酬だけで)十二分に豊かな生活を送れるとはいえ、いかんせん男としては微妙に面子が立たない。
「……いや、俺が立派になって、レベッカに負けないぐらいに稼いでみせればいいだけだ」
レベッカに頼ってばかりでは、彼女に申し訳が立たない。
世界一可愛い女を世界一幸せにしてやるのが俺の夢だからな。
「頑張るぞー! エイヤ!」
馬に揺られながら、俺は気合を入れるのであった。
***
「旦那様、お帰りなさいませ」
家に帰り着くと、執事のマッケンが出迎えた。
「おお、マッケンか。さて、じゃあ飯にするか。馬だけよろしく」
俺は馬から降りると、マッケンに手綱を握らせて屋敷の台所へと向かおうとする。
そんな俺を、マッケンが困ったように呼び止めてきた。
「あの、旦那様……」
「うん? なんだ?」
「お食事のご用意ですが、私共の方でやらせてくださいと何度仰れば……」
「なんだよ、別にいいじゃねえか。レベッカを送って、美味い飯を作って食う……仕事前の俺のルーティンなんだよ」
「しかしお言葉ですが、旦那様方の身の回りのお世話をするのが私達の仕事なのです。それを旦那様に奪われてしまっては……」
「いや、自分でできることを他人にやらせんのは俺の性に合わねえから勘弁してくれ。マッケン、ソーセージは何本いる?」
「だ、旦那様ぁ……」
情けない声をマッケンが出すが、俺の知ったことではない。
手早く作った朝食をコーヒーで流し込んで、俺はテーブルを立った。
「それじゃ俺はアトリエに籠るから。洗い物だけあとはよろしく」
「……まったく、旦那様にも困ったものです。これではどちらが主人だか分かりません」
マッケンの憎まれ口も、俺の朝のルーティンの一つだ。
***
その後、アトリエに籠ってしばらく仕事をしていると、急に扉が開かれた。
「よう、顔見に来てやったぞ」
ぬけぬけとそんなことをほざきながら中に入ってくるのは、豊かで鮮やかな金髪と逞しい長身の持ち主である。
その顔つきは端正だが、どこか不敵。「なんでいつもそんなに楽しそうなんだ?」と以前聞いたことがあるが、その時に返ってきた言葉は「楽しくない瞬間なんてあるのか?」だった。
そんな、常にちょっとムカつく顔をしているこいつの名前は、レオンハルト・ジオフロント。このジオフロント王国の第一王子にして、俺の雇い主その人である。
「顔見に来てやったぞ、じゃないよ。納品まであと二週間はあるはずだろ」
「だけどそろそろ終わる頃だと思ってな。違うか?」
「……レオのそういうところ、嫌いなんだけど」
と言いつつ、つい先ほど修繕が終わったばかりの絵を俺は彼の前に差し出した。
「おお、さすが仕事が早いな。一ヶ月の仕事を二週間で終えるとは」
「……いや、これでも時間がかかった方だよ。ここの色の調合が難しくてな……」
二週間前に修繕の依頼を受けたその絵は、色の重ね方に複雑な部分があった。
薄い色を何度も塗り重ねることによって、表現に厚みと深みを与えている箇所である。
その再現に、どうしても丸三日もかかってしまったのである。
「ほんとまだまだだよ。自分の勉強不足を痛感した」
「いや、じゅうぶんすぎる出来栄えだろ。相変わらずいい仕事だよ、アル」
「いい仕事、ねぇ……」
レオの言葉を、俺はつい鼻先で笑ってしまった。
「人の作品の模造ばかりで『いい仕事』とは恐れ入るよ。見せかけを似せたところで贋作に過ぎないだろうに」
「そこはオレとは、意見が違うな」
一方のレオンハルトは、フッと嫌味に笑ってこう言った。
「本物を蘇らせるのを模造とは言わない。それを贋作などと言っては、卑下が過ぎるし女々しく見えるぞ」
「つったってなぁ……」
画家と名乗ってはいるが、画家らしいことをできているかと言われれば疑問が残る。
所詮は俺は偽物だ──そんな風に、どうしても感じられてしまうのである。
「ま、オレは仕事さえ問題なくやってくれりゃ何でもいいけどな。というわけで、コイツはこのまま持ち帰らせてもらうぜ」
「俺の悩みを適当に流すな。あと塗料がまだ乾いてないからあと一日待てバカ王子」
「おっとそうか。じゃあ、コイツは明日イザベラに届けておいてくれ。報酬もその時に渡すよう、こっちで話を通しておく」
「姫さんに?」
意外な言葉に、俺は目を丸くする。
「ああ。この絵は元々オレのじゃなくてな、イザベラが大事にしてた絵なんだよ。ただ年代物でな、大事に扱っていても色々ガタが来るもんだ」
絵というものは、どんなにしっかり補完していても劣化を免れないものだ。
ところどころインクは色褪せてくるものだし、厚塗りした部分のインクがごそっと剥げてしまうことだって珍しくない。
今回俺が修繕した絵も、大事に補完されていたことはその保存状態から伺えるが、大なり小なり塗料は色褪せ、剥げている部分も少なくなかった。
「と、いうわけでな。大事な妹の悲しみを拭ってやるために、コイツをお前に任せたってわけよ」
「なるほどなぁ……。姫さんはこういうのが好きなのか」
ボヤきながら、俺は修繕を終えたばかりの絵を見遣る。
静かな森の中、白い馬が足を折って身を横たえているすぐそばに、あどけない少女が寄り添うようにして座っている絵である。森の静けさや心の穏やかさのよく伝わってくる良い絵だが、画家(を自称する)俺の眼を通しても誰が描いたものか分からない。
「リオデネントか? いや、でもこの白の使い方はナイアールのような感じも……」
一応、著名な画家の絵柄は大抵把握しているのだが、どうにも目利きに自信が持てない。
そんな俺にレオナルドが口を挟んでくる。
「祖母が大事にしていたものだよ。イザベラもよく懐いていてな、遺言でこの絵はイザベラにと遺されたものだ」
「へええ、そんな経緯が」
「この出来栄えなら、イザベラも喜ぶことだろうよ。改めて礼を言うぞ、アルベルト」
「礼より金を弾んでくれたら有難いんだがなぁ」
「絵を売れ、絵を。イイもん描いたら高値をつけてやる」
そう言われて簡単にイイものを作れたら苦労はしないのである。
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